三木家古文書について(その1)
               三木 信夫

 徳島県美馬市の国重要文化財である三木家住宅は,阿波忌部直系の子孫が居住する住居で,三木山の頂上近く標高552mにあり,徳島県で最古の民家です。
 この三木家は住宅も古いですが,その歴史は古代まで遡ります。
 三木家には,鎌倉時代から室町時代にかけて,県下でも数少ない中世古文書を多数保有していますので,この古文書を中心に歴史を考えてみたいと思います。
 まず三木家の苗字ですが,もともとは忌部姓でありましたのが,いつの時代からか,すでに鎌倉時代には三ツ木という地名に因む「三木」という苗字を帯びるようになっています。三木(みき)は「みつぎ」とも読まれていた形跡もあります。しかし,南北朝時代の朝廷からの叙任書などには忌部姓が使用され,後村上天皇綸旨や宛行状(あてがいじょう)などには三木姓が使用されるなど,古文書の宛名は忌部姓と三木姓が混同して使用されています。
 もともとは「三木忌部○○」と使用していたのが略されたのでないかとも考えています。

因幡の白兎の話は蒲生田岬が舞台だ   天羽 達郎

 蒲生田は「蒲(がま)」が生える田と読める。蒲とは,線形の1〜2mの葉が茂る中に細い茎が伸びていて,その先端近くにチョコレート色をした円筒形の穂が付いている植物です。池や沼などの水辺に生え,夏から秋にかけてこげ茶色のこの花穂がよく目につきます。生け花によく使われる。蒲生田岬の灯台への登り口の手前に細長い池があり,そこには蒲がいっぱい自生しています。この太い円筒形の穂は雌花の集まりで,それより先端部の細いところは雄花です。蒲の花粉は蒲黄(ほおう)といい止血鎮痛の作用があり漢方では傷薬として使われています。江戸時代大道芸人のガマの油売りの口上の,筑波山に棲むガマ,前足の指が4本後ろ足の指が6本のいわゆる四六のガマは,鏡の前におかれると鏡の中の己の姿に驚きたらりたらりと脂汗を流す,その油で作った膏薬というのは大嘘で,実際はこの蒲黄を原料にした軟膏だそうです。赤剥けにされ塩水に濡れ岩の上で風に吹かれて苦しんでいる白兎に,大国主命は真水で体を洗いこの蒲黄すなわち傷薬をつけるように助言している。
 伊島と蒲生田岬との間には23〜4の岩礁がある。これは神様が橋を架けようとしたが,天の邪鬼が邪魔をしてしようがないので,橋げたのままで放置したためだと言われている。この岩に強い南風に煽られて海水がぶつかると,いくつもの白波が跳ねあがりまるで白兎が跳んでいるように見える。この現象を地元の漁師もヨットマンも兎が跳ぶという。古事記にいう因幡の白兎の話は,近くに島がありそこからは兎が飛び跳ねる足場があって,そのうえ真水と蒲が手に入るところでないと成り立たない。このような条件を全部満たすところは,阿南市の蒲生田岬をおいて他にはない。

大国主命と素兎奉祝祭に思う
        天香具山神社宮司 橘 豊咲

 水無月の今日の吉日に,賀立神社の大御前に崇敬者等参来集いて,大国主命と素兎奉祝祭斎行に際しまして,一言お慶びを申し上げます。大八州(おおやしま)の倭国の紀元は口伝(くでん),伝承として本年二六六八年に当たります。即ち紀元前の八百万(やおよろず)の神々は,天津神(あまつかみ),国津神(くにつかみ)と崇(あが)められています。「阿波古事記研究会」の天羽,三村の両先生及び会員の諸氏におかれましては,御繁多(ごはんた)の中,日夜記紀の研究に努めて居られる事を思い,そして今は阿波一国のみであっても,諸氏の熱意が四国全域の隅々に伝わることは,長い先の事では無く,印刷物を発行されたり,知人や種々の会合に出て対話をしたり,記紀に関心を持たれる様に呼びかけたり,徐々にでも成果があがると思います。地域社会の俗に言う町おこしに付いては,種々の名称の祭典の奉納行事並びに,神賑(しんしん)行事等のイベントが催される事の効果は,論を待たない素晴らしい事であると思う所以です。見るよりも微笑んで阿波踊りの行列に加わる事は快挙に思います。世相は眼をそむける事が突発的に起きたり,国の経済が不況であっても,地域社会に於いて,規模の大小を問わず趣向を凝らしたイベントには,賛成する人は多い筈と思います。老若に拘わらず魂が終始活性化する事を願っています。大和から馳せ参じた喜寿の老祝(はふり)も元気が湧いて来ます。

 阿波賀立(あわがたち) 大国主(おおくにぬし)の見そなはす
   今日の祭りに 天地どよめく                     香林

すべての思いを家族に 45
幸せのコツ 中身
     田上 豊

感謝の精神

 五体不満足でも感謝があれば幸せです。なんでもない普段でも感謝があれば幸福なのです。感謝の種を探すのです。感謝すれば良い遺伝子にスイッチが入るのです。幸せは人に決めて貰うのは間違っているのです。自分で決めても良いのです。愚痴や批判文句は心のボケにつながるのです。愚痴や批判文句や悪口は口から出ないようにしても,心に止めるのも駄目なのです。運命が悪くなるのです。精神作用なのです。自分が幸せと思ったら笑顔が出るのです。笑顔が一番なのです。それが幸せのコツなのです。大自然から学ぶものは感謝一つなのです。
 私達は人生の崖淵にいるのです。生死の狭間に居るのです。今,在るのはすべて神のお陰です。出会いも一期一会も感謝の為にあるのです。感謝を探すのです。聞いた事をそのまま出すとケンカになり誤解になるのです。同じ事を何度も指摘すると相手の感情を傷つけるのです。見たこと聞いたこと嫌なことも,自分で下ごしらえして,感謝として発表するのです。人生がプラスに動くのです。眠っている遺伝子をスイッチonに成るのです。
 自分には感謝から来る力がある。膨大な効果があると考えるとプラス発想が出来るのです。卓越した道徳的能力が出てくるのです。誰でも運命を変えたいと思っています。願望や希望を持っているのです。今の運命に満足しているわけでは在りません。ですが愚痴や批判や文句や悪口は付き合いが長いから簡単には手放せないのです。愚痴や批判,溜息,文句や悪口や妬みで心のバケツは真っ黒なのです。この濁った心を美しく浄化するのは感謝しか在りません。感謝の透明な水を次々と注ぐより他無いのです。心のバケツを真っ黒にして両手にがらくたを一杯持って幸せに成りたいと言っているのです。がらくたを捨てないと幸せは持てません。幸せって感謝なのです。感謝って身軽なのです。両手で人様の役に立てば良いのです。片手でも人の喜ぶことに役立てばよいのです。心の綺麗な水を人様に分け与えれば良いのです。私達は両手に一杯煩悩を持っているのです。少しでも煩悩を捨てたいものです。