三木家古文書について(その2-1)
              三木 信夫

 古文書を理解する上で,その時代の仕組みや政治的背景等を知っていると古文書の内容が理解しやすいものです。今回の古文書を理解する上で,律令制,特に神祇官について簡単に触れておきます。
 大宝元年(701年)に律令制が施行され,歴史上でも今までの氏姓制度が大きく変わり,氏族が個々の家に分裂していきます。律令制では中央に神祇官・太政官の二官が並存して置かれるのですが,官位相当では神祇官を一つの省よりも低く顕著な差がつけられています。太政官の左右大臣が二位相当であるのに,神祇官の長官(かみ)伯は従四位下,次官(すけ)の大副(たいふ)が従五位下・少副(しよう)が正六位上,判官(じょう)の大祐(だいじょう)が従六位上・少祐(しょうじょう)が従六位下となっています。神祇官では慣例として,次官(=大副・少副)・判官(=大祐・少祐)等の上位官職には中臣・斎部・卜部の三氏の内から任ずることになっていました。よって,京師在住の斎部氏が副(すけ)或いは祐(じょう)に任命されていますが,だんだんと中臣氏が重要ポストを占めるようになります。この中央斎部氏には,氏上(うじのかみ)が氏長者として置かれ,この氏長者は神祇官に仕えるものが兼ねるのが通例で,南北朝時代まで中央の神事に関わるものは,氏長者が全忌部氏族に対してある種の支配力を有していたと考えられます。
 神祇官の職掌は,神祇の祭祀をつかさどり,諸国の官社を総管し,大嘗・鎮魂・卜兆などの官事を行う役所です。ちなみに太政官は,諸国を総管し国政を総括する最高機関です。
 神祇官の長官伯は,初め大中臣氏がなるなどして家筋が一定していなかったが,寛徳3年(1046年)花山天皇の孫延信(のぶざね)王が伯に任じられてからは,その子孫が代々王を称して永く世襲する事になり,之を伯家と呼び,この伯家が斎部氏長者の任命はもちろん麻植忌部長者をも任命したのです。後に三木家歴代も麻植忌部の長者となっております。

(つづく)

賀立神社 大国主命と素兎祭
        天香具山神社宮司 橘 豊咲

 前略。お変わりなく。本業に,「阿波古事記研究会」の発展繁栄に余念無く,ご励精の事と敬意を表する次第です。
 来年,ご案内をいただき,錦地におもむく場合よろしくお願い申し上げます。
 藤田氏のご都合に依り,私一人で,和歌山から阿南まで船で行く事も考えております。
 橘湾の全景に瞳目するばかりで,賀立神社のご祭神と郷里の能登一宮の気多(けた)大社のご祭神も同じで感動しました。
 色々,ご配慮と会員の方々のお見送りに感謝の外ありません。
 乱筆何から右お礼まで。

草々

かたつむり        天羽 達郎

 雨の中とろと角出すかたつむり
        犬が鼻嗅ぐ草むら見れば

 雨に濡れ二匹並んだかたつむり
        姉と眺めし遠いあの日の

鹿に教えられたこと   松林 幸二郎

 日の未だ登らぬ時間に,我が家の周囲を囲むアルムにはよく鹿が2匹あるいは4匹,ときには親子が連れ添って草を食んでいます。そんな愛らしい姿をみるのが私たちの楽しみの一つになっています。鹿はおそろしく警戒心の強い動物で,家の中で明かりをともしたり,なにか動くものを察したら,目も止まらぬ速度で森の中に駆け込んで身を隠してしまいますので,私たちは息をひそめてその姿を観察することにしています。
 ある朝,2匹の鹿が草原の草を食んでいるのが,キッチンの窓から眺められましたが、そのうち一匹の歩き方が後ろ足を引きずるように歩いていました。おそらく牧場に張られている鉄条網かなにかで負傷したのでしょう。我々の気配を感じたので,保身のため健康なほうの一匹は,走ることのできぬビッコの仲間をおいて,一目散に逃げていくに違いないと思って窓外をみていましたら,なんとビッコのほうを先に逃し,健康なほうの鹿は周囲を警戒しながら,後を追っていくではないですか。畜生と呼ばれ,人のもつ義侠心や,思いやりはないとされる野生動物ですが,私たちは,この朝,本当に大切なことを鹿に教えられた気がしました。
 その朝,朝食を終えて,本を読んでいましたら,2006年5月,3度目のエベレスト登頂に挑み成功したものの,下山中酸素が尽きて瀕死の状態になったデビット シャープの話がでていました。その日,デビットの傍らを40名もの登山家が通り過ぎていったものの,誰一人助けるものがなかったためデビットは命を落とします。高山での救出はリスクが伴うことは事実でしょうが,何が何でも登頂を極めたいとする登山家の野心が,デビットを見殺しにしてしまったように私には思えるのです。“何事にも,自分にしてもらいたいことを,ほかの人にもそのようにしなさい(イエス キリスト)”の言葉をそのうちの一人でもデビットに対して実行していたら,その生命は助かっていたかもしれない,とその朝見た2匹の鹿を思い出しながら思ったものでした。