屈原をたずねて(31)  山田 善仁

 「天」と言う文字を字解すると,手足を広げた人を正面から見た形の大の上に大きな頭を付けた形で,体の一番上の頭を意味する天を借りて「そら」を天と言う様になった。天は神の居る所と考えられ,殷代では天を神聖視する。
 殷(商)の神聖な邑(都)を「大邑商(だいゆうしょう)」と言い,甲骨文(こうこつぶん)では「天邑商(てんゆうしょう)」と記されている。
 天は際限の無い,偉大なるものと言う意味で,「天」は「大」と同義に使われていた。また天に居る神が陟(のぼ)り降りする時に使う神の梯(はしご)を使って降り立つ所を地(ち)(原字は墜(ち))と言う。周王朝になって,すべての事は天命によって決まると考えられ,人の力の及ばぬ事をすべて天と言う様になった。
 神に供える酒食を載(の)せる祭卓(台,机)を「帝(てい)」と言い,あまつかみ(天に居る神)を言い,最高神を上帝と言う。後に殷では,「帝」は人格概念で人間の最も完成された形の神を示す。
 古の人名に食物を当てている事が有る。
 釈尊(釈迦)の父は浄飯王(じょうぼんおう)と言い,パーリー語でスッドーダナと言う。「スッダ」は,清らかで純粋な混じり気が無い。「オーダナ」は,米飯で,スッドーダナとは,白い飯を言い,白米を珍重していた事が察せられる。浄飯王の前の王も,その前の王も,オーダナ(米飯)と言う名が付いている。
 中臣鎌足(鎌子)の父は,中臣御食子(なかとみのみけこ)と言う。
 「記紀」に食事や食物を宇気(うけ),保食(うけ)と記し,古代朝鮮語で「稲の実,租」の意をウケと言う。
 日本の言語,風俗,習慣,等々の源流は,古の楚漢文化で有る。

乱終。

 参考文献

「中国の詩人,屈原」竹治貞夫。「詩経,楚辞」目加田誠。「中国の歴史」陳舜臣。「小説十八史略」陳舜臣。「中国詩人伝」陳舜臣。「故事,名言,由来」自由国民社。「桂東雑記」白川静。「常用字解」白川静。「ブッダ入門」中村元。「日本語の真相」李寧熙。「記紀萬葉の朝鮮語」金思。「地球の歩き方」ダイヤモンド社。

裁判員制度について  相原 雄二

 どこのだれが言いだしたか知らないが,裁判員制度の実施が一年後に迫ったことで,まことに僭越ながら一言申し上げます。
 まず最初にお断りしておかなければならないのは,この私,法曹界の者でもなければ,恥ずかしながら,昨年の(H19.8.25 AM5:55)道路交通法,指定速度違反(50km/hのところ33km/h超過)により,徳島区検察庁検察官より,出頭を命ぜられ,公開の法廷で通常の規定による審判を受けるのではないのですが,交通事件即決裁判手続法により,略式手続による裁判を受けた経歴を持つ者であります。
 その私が,この裁判員制度に資格があるや否やも分からない,まったくの法律音痴であることをお伝えした上に申し述べます。
 結論を先に申し上げます。
 「裁判員制度の実施は,断固反対です。」
 自分が法律,規則,道徳など,過ちを犯すこと,また他人の権利を損なったり損害した場合には,自己責任において自己に反省することは可能であり,また,倫理上行わなければならないのは,人間として当然の義務であると思います。
 しかし,正直なところ「人が人を裁く」こと自体,すなおに受け入れがたい気持ちがあるのが本音です。ましてや,刑事裁判に参加することは国民の義務であると頭ごなしに言われても,どうしても納得できないのであります。
 うまく説明できないのですが,たとえて言えば,ここにすばらしく高性能な車があります。それを,これからあなたが国民の中よりみごと選ばれた一人として,運転することが出来る義務と権利を与えます。ですから,○年○月○日,出廷して実際に運転してみて下さい。ただし,その車はブレーキが効くかどうか分かりませんが,ともかく乗ることは認めます。「さあ〜どうぞ乗って走って下さい」と言われているようなものです。
 その結果,どのような結論が出ようと,それはあなたと一緒に乗り合わせた人たちとともに責任をとって下さい。と言われているように感じるのは,私だけでしょうか。
 法曹界,司法人の専門家の人たちが行った裁判にしてもいろいろな諸問題が起こっている現状で,素人の国民にそれを押しつける制度は,いかがなものか問いたい。
 この制度をすすめる人は,もっと私たち国民に分かりやすい説明をする,それこそ国民への義務があるのではありませんか。

ニューモラルを読んで … No.466
食卓がつなぐ「家族の絆」

               相原 詩恩

 私は,「おふくろの味」の隠し味で,Tさんのお母さんは,温かいものは温かく,冷たいものは冷たく食べられるように支度していたそうです。下ごしらえだけは早くしておいても完成させずに,「そろそろ上がってくるかな」っという時間になると,お魚なら半身,裏側だけを焼いておきます。トントントンと上がってくる足音が聞こえたらひっくり返します。食卓についた家族は,「今日は暑かったね」と言って麦茶を飲んでいるうちに,魚が焼けて,焼きたての熱々のを食べられるそうです。Tさんのお母さんは,家族に,出来たてでおいしいごはんを食べてもらいたいと願いながらごはんを作ったのを読んで,そのお母さんはとてもやさしい人だなあと感じました。
 「かぞくでいっしょにあさごはん」で,吉村香南さんの作文を読んで,お父さんは病院の先生で帰りが遅いそうで,夕食はお母さんと兄弟で食べていたそうです。だけど,朝ごはんはいっしょに食べることに決めたら,お父さんともおしゃべりが出来るようになったそうです。
 私は,反対で,土日(学校が休みの日)に,ときどき朝ごはんをいっしょに食べて,夕食はほとんどいっしょに食べます。夕食ぐらいはみんなで食べるのは,当たり前のことだと思っていました。香南さんは,朝も夜もお父さんといっしょにごはんを食べられなかったときは,とてもさびしかったんだろうな〜と思いました。いっしょに朝ごはんを食べられるようになって,夕食もいっしょに食べられたら楽しいだろうな。
 私もみんなと食べられると安心します。これからも,なるったけ,家族みんなで夕食をいっしょに食べられるよう,願っています。

神山町は人も道路も好い
               石渡 修司

 神山町は道路がいい。それが第一印象だ。
 昨年の4月に徳島に来て,神山町の名前は聞いていたが,まだ行ったことがなかった。6月の初めに徳島新聞で特集していたこともあり,ようやく行く決心が付いた。
 梅雨の合間の薄日が差す程よい天気だった。徳島市内から国道438号線を行く。2007年11月に完成した新府能トンネルはありがたい。山をくり貫き,一気に神山町に入ることができる。道路の両側に畑があり,民家があり,山の中腹にまで,畑が耕され,大きな田舎家が見える。山村風景がしっかりと残っている。もう,それだけで充分に来た甲斐がある。
 殆ど予備知識がないまま来た。かろうじて,徳島新聞で紹介されていた「寄井座」と「雨乞の滝」に行くことにした。先ず,神山町役場に行って,道を教えてもらうことにした。これが,大正解であった。役場の窓口に尋ねると,雨乞の滝に行く特製の地図をくれ,ルートを丁寧に教えてくれた。寄井座も近くに行って,もう一度誰かに尋ねてほしいといわれた。二階建ての長屋の1階部分を通り抜けると,開けた所に建っていた。なるほど,これでは,地元の人に尋ねないと分からない。役場への街並みに昔ながらの店が立ち並んでいる。この街を愛する人たちがここで生き続けていこうとする意気が感じられる。「寄井座」はそのシンボルかもしれない。天井にはめ込まれた各店の屋号看板がかつての賑わいを想わせる。
 雨乞の滝に向かう。車がすれ違えないほどに狭い道,しかし,しっかり舗装され,走りやすい。途中,1台すれ違っただけで,駐車場まで行くことができた。駐車場で車を降り,歩くこと25分で,雨乞の滝に着いた。途中に不動滝・もみじ滝など幾本か滝がある。最も奥に雨乞の滝,雌雄の2本の滝を見ることができる。特に雌滝は見事だ。
 最後に,神山温泉に入り,ホテル四季の里で食事を取る。好い人との出会い,走りやすい道路,神山町での一日は,少し贅沢な休暇であった。