日曜さんかん 笠原 彩加
6月8日に,日曜さんかんがありました。お父さんが来ていました。学校には,お母さんも来ていました。日曜さんかんは,6時間まであったけれど,わたしと弟は,午前中で帰りました。
お昼ごはんは,おすしを食べました。とてもおいしかったです。
おすしを食べてから,ヤマダ電気に行きました。そこでウィーを買ってもらいました。ヤマダ電気にWiiのリモコンみたいなのが一つ足りないから,買おうとしたら売ってなかったので,デオデオで一つ買いました。
その次に家に帰ってWiiの線をつないでWiiをしました。Wiiスポーツをしました。とても楽しかったです。
次に,温泉に行きました。とてもきもちよかったです。
その次に,トマト&オニオンで,ごはんを食べました。とてもおいしかったです。
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普通のオバサン化計画?
西山 欣子
実は,ここんとこの心身とものバタバタで,思いがけなく減量できてしまったんですよ,私。(実際会えば,それでかい?って言われてしまいそうだけど)
そんなこともあってか,先日久々に会ったある男性いわく。
「きんこさんが普通のオバサンに見えた」
はて???
いったいそれはどういうこっちゃ? と,よくよく聞いてみると,
彼の目には
「私のイメージ=いつも元気なデカイひと(中性的な)」としてインプットされていたらしく・・・。
少し痩せたことで,ああ,女性だったんだ・・・って改めて気づいたらしく,「普通のオバサン」っていうのは,彼にとっては,結構な誉めコトバ(?)だったらしい。
…ならば,もっとマシな表現方法はないんかい?! やっぱりオッサンだと思ってたんかい?!
ま,いいですけどね。
・・・ってなことで,せっかくなのでこの際,真っ赤な口紅でもつけて「普通のオバサン化計画」を,試みてみましょーか。
・・・ま,ガラでもないし,気持ち悪がられるのがオチですけどね。
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友の旅立ち 大西 時子
十年の長い闘病生活を経て先般旧知の友がみまかりました。彼女とは30年来の交流がありました。
私より6歳年下の早すぎる旅立ちとなりました。
ご主人,お子さんたちの故人を支える日々,また故人の家族への思いはいかばかりであったかと身につまされます。
重い病気を背負い乍らも,どこまでもピュアで前向きな彼女の日々にたくさんの勇気をもらいました。
青春というキャンバスに夢や喜び,時には苦悩や挫折の苦渋をなぐり描きした過ぎ行きし彼女との日々。天真爛漫,天衣無縫。彼女の存在は誰をも慰めました。
結婚,出産を経て子育ての途上再び出会った彼女はすでに病魔に冒されていました。蝕まれる体と裏腹に逞しさを増す彼女の精神は素晴らしいものがありました。神様との出会い,安寧の中成長期の4人のお子さんをおおらかに包みこみました。
そんな彼女も後半は激しい痛みとの闘いを余儀なくされました。
そして今,彼女を苦しめた桎梏の肉体をようやくと脱ぎ,憧れて天に召されて行きました。
告別式は若かりし彼女が共に出向いた坐禅の寺にて厳かに行われました。
お琴と三味線を愛した生前の故人に因んで天奏院の文字が戒名に刻まれました。
きっと天国で天女のように美しき音を奏で続けることでしょう。
ご苦労さま,そしてたくさんのお心遣いありがとうございました。心安らかにお過ごしくださいね。
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身を修める 近藤 隆二
「大学」の第1章に,物に本末有り。事に終始あり。(中略)古の明徳を天下に明らかにせんと欲する物はまずその国を治む。その国を治めんと欲する者はまず家を斎(ととの)う。その家を斎えんと欲する者はまずその身を修む。その身を修めんと欲する者はまずその心を正しくす。その心を正しくせんと欲する者はまずその意を誠にす。その意を誠にせんと欲する者はまずその知を致す。知を致すは物を格すに在り。物致ってのちに知至る。知至って后に意誠なり。意誠にして后(のち)に心正し。心正しくして后に身修まる。身修まって后に家斎う。家斎って后に国治まる。国治まって后に天下平らかなり。天子より庶民に至るまで,壱にこれ皆身を修むるを以って本と為す。その本乱れて末治まる者は否(あら)ず。その厚くする所の者薄くして,薄き所の者厚きことは未だこれ有らざる也。とあるも「法華経」の精神と同じであります。聖人の教えは今日の自然科学の原理と同じであると説明されてあります。
「法華経」の序品の阿羅漢の人格を説いてある中に,諸漏巳に尽きてまた煩悩なく己利を体得して諸の有結を尽くし,心に自在を得たり。とあります。
己利すなわち自己の真の利益のなることを心得ていて,いっさいの束縛を解脱しているというのであります。
そこで「自己の真の利益」ということがすなわち仏の最高道徳を体得して最高品性を完成したということであります。
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