かんかん活動 相原 雄二
バックナンバーNo.14(2005.11)で,「自分のためにできること,誰かのために」というテーマで平成14年8月に立ち上げましたボランティアグループ「かんかん倶楽部」の紹介をさせて頂いたと思います。お陰様で現在も楽しく「自然と人,地域と人を結ぶ,思いやりづくり」を念頭に置き,奉仕活動や体験活動をとおし「感謝の心,思いやりの心,自立の心」を育て,地域社会との交流を図り,地域社会の健全な発展と心豊かな人間性を高めることに貢献することが出来れば,より嬉しく思います。会が発足したのは4ヵ町村が合併する少し前でしたので「麻植(おえ)」をどうしても残したく「麻植かんかん倶楽部」としましたが,平成16年10月1日に残念ながら麻植市とならず現在の吉野川市となり,止むなくわが倶楽部も「かんかん倶楽部」と名称を改めました。
現在も地元中心に,かんかん活動を展開し主に,草刈り,掃除,庭づくり,土づくり,剪定等々を喜びを感じ,まちの環境美化運動にも役立てればと活動しています。
ふり返って19年度(H19.8.1〜H20.7.31)のかんかん活動は延べ39回,月平均3回ほど,感謝,感動,歓天と楽しませていただきました。今では吉野川市以外でも奉仕活動をするようになり,少しずつではありますが,かんかんの輪が広がっているようです。
平成の周利槃特(しゅりはんどく)を目指してかんかんしよう。
人づくり,国づくりは,まず地元郷里から。
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ニューモラルを読んで … No.469
心を添えるコミュニケーション
相原 詩恩
「受け取りやすいボールを投げる」で,私の学校で教育実習に来ていた先生と文通をしています。この場面を見た時,コミュニケーションをキャッチボールにたとえた所で,考えてみたら,本当にいっしょだなぁと思いました。また,絵の所を見たら,電話でも静かに受話器を置くとあったので,自分のをふり返ると,いつもふつうに置いていました。これから,静かに受話器を置いていこうと思いました。
「宛名書き一つで心が育つ」で,そこに「コミュニケーションが生まれるとき,喜びの多い人生が開かれていきます。」とありました。私は,手紙で話をするのが好きです。手紙を出したら,返事が返ってきます。その送り相手が喜んでくれるような人間になりたいと思っています。
コミュニケーションは,とても大切だと分かりました。人間は,人と話すことで,仲良くなったり,喜んだりします。友達と話すととても楽しくて,学校の休み時間が終わるまで話をしたこともあります。
これから,人との会話を大事にして,手紙を書く時は,ていねいに書く事と,電話の時は,静かに受話器を置くように心がけたいと思いました。
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教会,逃れの場 石渡 路子
教会でも敬老のお祝いをします。教会に来ておられる方は礼拝の中でお祝いできますが,ケアハウスなどに入居しておられる方には,こちらからお伺いします。私達夫婦だけでなく,この時には,お仲間も一緒に行っていただきます。
お仲間に会うことが,これほどまでに人を変えてしまうことなのかと驚かされます。現在という時を忘れ,時間をさかのぼり,あの若い頃に戻ることができるのでしょう。表情が生き生きとし,元気が溢れます。私達夫婦では見ることのできない一瞬を見させていただきました。
お互いに時を一緒に持ったということが,どれほどか大きなことになったのでしょうか。苦しみや悲しみを分かち合うことは本当のところ難しいことです。しかし,同じ時を過ごしたということが何よりも大きな慰めと懐かしさを与えてくれます。教会が逃れの場,避け所となったということです。振り返る時,がんばった自分を思い起こすことができます。傍らにいて,心配してくれた仲間がいてくれた。その仲間が,今,訪ねてきてくれ,ここにいる。涙が溢れないはずはないのです。
私達夫婦には知りえない仲間の絆を見る思いがします。ここに教会があって,本当に良かったと思います。人と人との出会いがあり,分かち合う仲間を持つことができたことの幸いを,今,噛みしめている人達がいるからです。
教会があるかぎり,このような出会いがあり続けることでしょう。また,教会とは,そういうところであるということです。そのことを,敬老の日に改めて教えられました。
「わたしは,めんどりがひなを翼の下にかばうように,あなたの子らを幾たび集めようとしたことか」ルカ13:34
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神の作品 石渡 修司
鳴門市にある大塚国際美術館には何度か訪ねる機会がありました。遠方からのお客で,絵画に興味のある方が来られると一緒に出掛けます。
展示品は世界的な名画をそのまま陶板に写しているとのことです。ですから,原寸大で見ることができ,色合いはまったく同じであるとのことです。何よりも嬉しいことは,現地に行かずに見ることができ,その雰囲気を味わうことができるということです。
1,000点以上の作品が展示されていますので,全部を丁寧に見ると大変な時間と疲れを覚悟しなければなりません。自分の興味のある作品だけに絞って,じっくりと時間を掛けて見て見たいものです。私の好きなレンブラントの作品も多数展示されています。レンブラントの画集に必ず載っている『夜警』も,その寸法のまま展示され,その大きさに圧倒されます。レンブラントの膨大な作品の中で,あまり知られていない作品に,『放蕩息子の帰郷』があり,この大塚国際美術館にもあります。実物はロシアのレニングラードにあるエルミタージュ美術館に所蔵されています。
オランダのヘンリー・ナゥエンというカトリック司祭は,この絵が見たくて,わざわざエルミタージュ美術館まで出掛けて行きました。彼の特別な願いは叶えられ,この絵と対面することができました。彼はこの絵の前に,二日も座り続けました。二日間,絵と対話したと彼は語っています。レンブラントのこの作品も数ある絵の中の1枚にすぎないと思いますが,素晴らしい作品は自ら語りだし,止まることがないということなのでしょう。
私たちも神によって造られた,固有性を持った作品です。日々の生活を通して,神のすばらしさを語り続けています。きっと,誰かが,その語り掛けに気付いてくれることでしょう。
「私達は神の作品であって,良い行いをするように,キリスト・イエスにあって造られたのである」エペソ人の手紙2:10
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