忌部の話 二十三 「国造」その三
               尾野 益大

 国造は「先代旧事本記」の巻十「国造本記」に記されている。先代旧事本記は,氏族伝承を書く必要に迫られた物部氏ゆかりの誰かが「古事記」「日本書記」「古語拾遺」などから漏れた記事を編纂したとみられる。
 国造本記は序文と本文で構成。本文には百二十九の国造が紹介されている。さて,序文の内容が注目に値する。
 神武天皇を大和へ案内する「神武東征伝説」に粟忌部の祖である天日鷲命がかかわったという趣旨のことが書かれている。天日鷲命は「日本書紀」などで天岩戸神話などに登場するが,神武東征には登場しないため序文を疑問視する指摘がある。しかし「日本書紀」の神武東征の記述で,神武天皇が速吸之門で渦彦と出会う場面があり,速吸之門を潮流が激しい鳴門海峡と推定し,渦彦を鳴門の渦潮に例えた天日鷲命と考えれば矛盾はしない。
 国造本紀の序文は,何らかの理由で不明確にされていた日本書紀の神武東征に関する記述を,鮮明にした,ということがいえるのではないだろうか。
 さらに国造本紀の序文には,天日鷲命が伊勢国造と伊賀国造になった,との記述もある。伊勢神宮と阿波忌部との強い絆については以前に書いたため触れないが,序文ではそれを明確に書いている。書物によって神の名の表記が異なるのは,同じ神でも時代が変わると捉え方が違ってくることがあるからではないだろうか。
 国造本紀は原資料を元にして書かれたとされる。成立は九世紀初めごろ。ただし先代旧事本記の序文については本文とは別に平安・鎌倉時代に書かれたとの説もある一方,古事記や日本書紀以前の用字,用語のあることが指摘されている。いずれにせよ,阿波忌部の祖である天日鷲命が重視された事実は消すことができない。

オーストリアからの手紙
              松林 幸二郎

 “2年前に夫を亡くし,ウイーン近郊の老人ホームに入居しました。次男のカールが,私をよく訪れて世話をしてくれるので,寂しくはありません。見るもの,触る物すべてが愛する娘サビネの思い出に繋がった故郷を遠くを離れて,やっと20年間の呪縛から解放されたように思えます。
 コージから贈られたリトグラフは,今も私の部屋に掛けられ,慰めを与えてくれています……。”
 20年ぶりに届いたオーストリアのF婦人からの手紙に私は深く打たれ,予測できぬ人生の悲しみ喜びに思いを馳せました。
 日本の知人の紹介状を手に,オーストリア中部の鉄道の要衝にあるセルツタールというアルプスの山々に囲まれた小村を初めて訪れたのは37年も前のことでした。ローマのユースホテルですべてを盗まれ,貧しい東洋の青年を優しく迎えてくれたF家には,その後も幾度か訪れることになりますが,鉄道員のために駅前に建てられた長屋に住む素朴な隣人たちも,私のためにアルバイト口を見つけたり,食事に招いてくれたり,暖かく迎えてくれたものです。“サウンド オブ ミュージック”の大ファンであった私は,あの夢のように美しいシーンは,あくまで映画の中のことであろうと信じていましたが,映画の中の景観が現実にあるのだと,セルツタール村で目の当たりにして,身震いするほどの感動を覚えたものでした。
 F家には,息子が3人あり,長男三男はオーストラリア,カナダへと移住していて,13歳のサビネという,それは可愛らしい少女が両親と住んでいました。初めて女の子が生まれたということで,父親は嬉しくて嬉しくて一晩中飲み明かしたとのことですが,少女は両親の愛情をいっぱい受けて大自然のなかで素直に美しく育っていきました。少女は成人して,ウイーンに住むエジプト人の建築家と結婚し,男児2人が授けられます。家族で,スイスに遊びにきたこともありますが,“僕がエジプト人ということで,オーストラリアの義兄が訳もなく大反対をしているのが悲しい”と語るものの,私たちには幸せそうな家族に見えて喜びを分かち合ったものでした。
 サビネ夫婦は,その後,カイロに住みますが,女性の人権のなきに等しいアラブ社会で,アパートに何日も捨て置かれることとなり,飢えと孤独のなかで精神錯乱を起こし,愛児2人を浴室で殺めてしまいます。人を殺めた記憶も自覚もないところから刑法上の罪には問われず,カイロの精神病院に入院させられました。自分の犯した罪の重さに耐えられず,サビネは病院の屋上から飛び降り自殺を計りますが,一命を取り留め,障害者となって祖国オーストリアに送還されます。
 サビネは,退院後2度我が家を訪れます。娘たちと仲良くなり,外国語習得の意欲もみせ,きっと立ち直ってくれるのではという希望を私たちに与えますが,セルツタールに帰ってから,目の前に入ってきた電車に身を投げ,自ら命を絶ってしまいます。“2人の息子の事を話さない日がなかったので,よほど息子達に会いたかったのでしょう”と,F夫人は涙ながらに語っていましが,誰があの美しい少女の悲惨な運命を予知できたことでしょう。サビネが生きておれば,今年で50歳。セルツタールで知り合った多くの青年たちは,一組をのぞいてほとんどが離婚し,人が幸せになることの難しさ,人間の運命というものを,深く考えさせられたF夫人からの手紙でした。

運動会の日        笠原 彩加

 9月21日(日)に運動会がありました。9時行進でした。プログラム1番は,ラジオ体操でした。
 私が出たえんぎは,1.ダンス(HaPiNeSu) 2.Uzu,うず,渦 3.ときょう走 でした。
 前半が終わったので,お昼を食べました。お父さんとお母さんと私で食べました。弟は友達と食べました。とてもおいしかったです。
 その後売店で,アイスを買いました。とてもおいしかったです。
 次に,マーチングなどがありました。
 運動会はとても楽しかったです。
 来年もがんばりたいです。

がんばってる娘へ     本多 幸代

 私には二人の娘がいます。長女と同居しています。親子といえ毎日一緒に生活をすることは大変です。お互いの顔色を見ることもあります。
 その中で何にでも一生懸命です。薬剤師と言う仕事に誇りをもって,良く勉強するなぁと思うときがあります。仕事が遅いときでも子供とのスキンシップも忘れずに,食事はほとんど自分の手で作っています。夜留守をしたら,子供からお母さんへのお手紙,ちゃんと返事を書いています。
 趣味のテニス,マラソンと,多分一日24時間が12時間位に思っているでしょう。夜は,遅く迄,朝夕の食事の準備をしてやっとフトンに入っている様です。若いんだなと思います。でも私に似ているのか,短気で泣き虫です。
 そんな娘へほめて上げることもしませんが,自分の人生を大切にしながら,仕事・子育て・趣味と,がんばって下さいネ。