三木家古文書について(その4-2)
               三木 信夫

 前回説明しました「官宣旨案」と「太政官符案」について資料を抽出して後醍醐天皇大嘗会官宣旨案(1318)を解説する。


文面

左弁官下す阿波国司
 應(まさに)早く荒妙御衣を織り進(まいら)しむべき事
右,大納言藤原朝臣師信宣す,勅を奉ずるに
大嘗会主基所料,宜(よろ)しく彼の国に仰せ
先例に依って常(いつも)の氏人を以て織り備え令(し)め
神祇官の使いに附して,早く以て進上すべし者(てへれば),国宜(よろし)く
承知して宜(むべ)に依って之を行え,曾日(えじつ)限り有り延怠することを得不(えざれ)。
 文保(ぽう)二年(1318)九月廿六日右少史高橋朝臣 在判
 右少辨藤原朝臣 在御判

 これは後醍醐天皇大嘗会に関して「荒妙神服」(あらたえかむみそ)を,先例によりいつもの忌部の氏人をもって織りあげ勅使に進上するよう,また大嘗会には期限があり延滞しないようにとの内容である。
 この文書は,天皇の命をうけて大納言藤原朝臣師信が宣し,右辨の藤原朝臣(=甘露寺冬方)と右少史の高橋朝臣が奉じたもので,奉者は二人とも右官であるが,吉事のため左弁官の下文(くだしぶみ)として阿波国司に下した官宣旨の写しで三木氏に交付したものである。この文面では「…先例に依って常(いつも)の氏人を以て織り備え令(し)め…」と記載,後伏見天皇の場合は,「…例によって忌部の氏人を以て織備え令め…」と記載,花園天皇の場合は「…先例によって麻殖忌部の氏人を以て織備え令め…」と記載されている。

ペンパールEthelを尋ねて3万里(5)
               天羽 達郎

 エセルさんへはこの無念の思いを手紙に書いた。そうこうするうちに平成20年はお盆休みを利用してちょっと無理をすれば6日間休みを取れることがわかった。その旨を昨年手紙に書いたところ,いついつどこにいるという彼女のスケジュールを教えてくれた。今度こそはと思いイギリスに向かった。汽車で湖水地方近くケンダルという所まで行きそこからレンタカーだ。性懲りもなくまたウィンダミア湖畔のホテルを取った。そこは風格のある元貴族の別荘であった。
 ホテルまできてくれた。由布子が先にラウンジで会って話をしていた。僕が行ったときエセルさんは「タツオ!」といって抱き付いてきた。僕は言った。「僕はいつかイギリスに行き君に会うという夢をずっと抱いていたのだ。いまそれが現実となった」
 夢中で喋った。お土産に阿波踊りのDVDとCDと,それに写真集を見せ,いま日本はお盆の真っ最中で徳島では阿波踊りをやっている,などなど。しかし僕のヒアリングの能力が低く会話はうまくキャッチボールになっていなかったようだ。由布子が言った「パパはね,エセルさんに会った時気まずい沈黙があったら怖いので,いろんな話の種を考えていたようだよ」。僕は言った,「それはみんな忘れてしまった」,エセルさんは「家に帰ったら思い出すよ」。とこんな具合であった。そのあとみんなで周遊船に乗った。夢心地であっと言う間に時間が過ぎた。「私たち来年はもう70歳だよね」とエセルさん。「そうだよね,僕たち元気でいてお互い長生きしようね。そしたらまた来るよ」
 イタリアの読み物で「クオレ物語」というのがある。クオレとはイタリア語で愛という意味だそうだ。そのなかに6歳ぐらいの男の子が生き別れのお母さんを尋ね歩く「母を尋ねて3千里」という感動の物語があった。たしかアニメになりテレビ放映されたと思う。徳島とイギリスの湖水地方との距離は2万km足らず,それを4年かけて往復を3回,約3万里です。タツオとエセルのクオレ物語でした。

 めくるめくウィンダミア湖の船上の
   別れの言葉はまた会いましょうね


おすすめの論文 No.2
               相原 雄二

 前回は田母神俊雄氏(前空幕長)の論文をおすすめしましたが,今回は同じく産経新聞平成20年11月28日(金)に掲載されましたインタビュー記事をお奨めします。
 氏が「論文で言いたかったのは,米露英仏などが侵略国家といわれないのに,なぜ日本だけがいわれるのか。よその国が侵略国家でないなら,日本も侵略国家でないということが言いたかったのです」また更迭への思いは「変なのは『日本は,侵略国家ではない。よその国に比べてよい国だった』といったら,『日本は政府見解で悪い国となっている』との理由でクビにされたことです。裏を返せば『日本はろくな国でなかった』と考えている人を航空幕僚長にせよということではないか。外国の将校は,まず自国を弁護する。自分の国を悪く言う外国人将校に会ったことはありません」とインタビューにお答えしている田母神氏のどこがおかしいのでしょうか。
 まさに戦後教育の誤りであり「世界の非常識」であります。
 安倍政権で教育基本法が60年ぶりに改正され,家庭教育,道徳教育の重要性などがやっと明文化されました。教育目標に,伝統と文化を大切にし,国と郷土を愛する心の育成があげられました。これに対して田母神氏の発言のどこが法に抵触すると言うのでしょうか。
 もし責めを受けるとすれば,自国の歴史や国家に対する限りない不信感,反感,憎悪,敵対心を植え付ける一部のマスコミではないか。誤った戦後教育と偏ったジャーナリズムで育った「日本人としての自覚と母国への誇りを持たない」若者,そして報道関係者は素直な心でもって論文及びインタビューを読み解くことを望みます。
 この機会に「アメリカ人の,アメリカ人による,アメリカ人のための憲法」を改正して,国民みずからの手で独立国家としてふさわしい「日本人の,日本人による,日本人のための憲法」を制定するチャンスとしたい。
 支那事變(日中戦争)から始まる,先の大東亜戦争はまぎれもなく義戦(国家自存上の必要に迫られて起こったいくさ)であったのです。
 自国に誇りを持たない国民は,世界から尊敬されることはありません。

あったかいみぞれ    島川 文代

 うどん屋さんの扉を開けると・・・
そこは「立ち食いうどん」のお店でした。
おお! びっくりですよ。
 「うどん」といえば,そこはモチロン高松さぬきうどんのお店です。姉と一緒に行きました。ちょっとドキドキしながら,ちくわ天入りのうどんを食べてみました。
 すると,後から60代くらいの女性の皆さんが,次々と入ってきました。そして,慣れた雰囲気で,うどんを注文しました。
「あったかいみぞれひとつ!」
「わたしも,あったかいみぞれ!」
「あったかいみぞれ」
・・・「みぞれ」といえば,私が思い浮かべるのは,カキ氷ですが。ま,そんなわけないですよね〜。
「あったかいみぞれ」ですから。
もちろん,「みぞれ」とは「大根おろし」の事ですね。(徳島では「おろし」って言いませんか??)
 ま,それはさておき……さすが香川はうどんの国。皆さん,食べるスピードがはやいっ!!
 後から来た皆さん,うどんをすすって,あっという間に店の外に消えていきました。
 「立ち食いうどん」だから,食べるのがはやいのか。はやく食べるのが,うどん通なのか。はてさて,それはわかりませんが……私もつられて,ものすごい勢いでうどんを食べましたよ。自己新記録!
 うどんは,もちろんとてもおいしかったです。
ヾ(o´∀`o)ノ・・・で。
 家に帰ってきてから,気がついたのですが。
熱いダシに「みぞれ」がはいると,ちょうどいい熱さになるんですね。なあんだ。はやく食べれるはずじゃないですか〜!
 そっか〜,それが「うどん通」の選択だったのかも?
 うん。そういうことにしておこう。
よくわからないけど。(笑