三木家古文書について(その4-3)
三木 信夫 次に官宣旨の対になっている後醍醐天皇大嘗会の太政官符について解説する。
文面 太政官符阿波国司 後醍醐天皇大嘗会に使用する「荒妙」の受け取りに,従五位下(じゅごいのげ)の齋部宿禰(いんべすくね)親能を荒妙御衣使(あらたえのみぞつかい)の勅使として,神部(かんべ)二人を伴って阿波国に下向する旨を,太政官から阿波国に申下した官符の写しを三木氏に交付したものである。 |
シェイクスピアの生家
天羽 達郎 昨年夏のイギリス旅行の最後の日はシェイクスピアの町のストラットフォードで過ごした。町は小さく町外れの駅からシェイクスピアの生家まではそんなに遠くはない。チューダー朝の家並みの中にそれはあり道路に面している。観光客であふれていた。建物の中へは裏庭の方から人数制限をし時間ごとに入れていく。入り口の所に簡単な解説の用紙があった。日本語版も英語版もすでになくなっていたのでドイツ語版にした。家でゆっくり辞書でも引きながら読もうと思ったのだが,これは出口の所で返せといわれ取り上げられた。なんだ,ケチ! |
思いの世界とありがとう
大西 時子 三が日の朝はお神酒でお祝い,お節に箸をつけたあとお雑煮をいただきます。 |
曲水の宴をたずねて(5)
山田 善仁 「蘭亭の会」が行われたのは,羲之(ぎし)が会稽(かいけい)の内史になって3年目,苦戦続きの殷浩(いんこう)の北伐軍が,敗軍の兵を寿春(じゅしゅん)で休ませていた頃である。永和9年(353)3月3日,羲之47歳の時である。 |