長男よ。     島川 文代

 新学期も始まって,バタバタと学校行事も増えてきました。そして,早いもので,長男はもうすぐ小学校を卒業です。
 昨日は希望していた中学校にいける事が決まり,とりあえずひと安心です。これからは,いろんな手続きや,入学準備をしなくては・・・。
 私がウッカリミスをしそうで,怖いなぁ。
 気をつけなくては。
 ところで,最近,長男がミョ〜にキレイ好きになってきています。そんなワケで,私は最近怒られっぱなしです。
「母さん,掃除ができてない!」
「母さん,物を散らかしっぱなし!」
「母さん,この服,汚れがとれてない!」・・・
 ひや〜(lll ̄□ ̄)
 (掃除で)旦那に怒られたことはないのになぁ。こどもに怒られるようになったとは。(〃´∀`)ゞ
 これは,ちょっとお年頃になった証拠なのでしょうか?(いや。単に私の掃除が出来てないだけとも言う。)
 長男よ。母の分まで,部屋をキレイにしてください。(笑)
 お掃除お願いします。
 という事で,さあ。
 これから,夜の分の洗濯物を干してきます。(うちは洗濯物がたくさんあるのです。)
 主婦の仕事って,結構たくさんあります。
 ま,ブログ書く時間もありますけどね。
 では では〜。

おすすめの論文 No.3   相原 雄二

 いま日本は,国際的にも国内的にも変転激動の時代です。科学技術の進歩,高度な情報化社会,国際化社会の到来,高齢社会の進展,世界的な経済不況。このような複雑で困難な動向の中,私たちはどう対応して生き残っていくか,その基準を見出せない状況にあります。そこで紹介したいのが,法学博士,廣池千九郎が大正11年(1922年)に次のような言葉を残しています。

大勢(たいせい)には,善きものと悪しきものとあり。
大勢に逆行するもの,または順応するものは滅ぶ。
順応しつつ真理を守るもの残る。
大勢の事のみ奔走するものは俗人なり。
大勢の外に真理の事に心を注ぐものは偉人なり。
大勢の渦中(かちゅう)にありて,自ら高しとするものは卑(いや)し。

 博士は,「ただ大勢に形だけ整えて従っていけばよいかと云えば,その大勢には善いものと悪いものがある。その大勢に反発し,逆行するものは必ず滅びる。だからといって逆にバスに乗り遅れまいと無原則に大勢に従っていく者も一時的には形が整っても永続性は持たない。」といっています。私たちは現代の時代の動向をしっかり把握し,冷静に洞察しながらそれに対応していかなければならないし,その基準を確立しなければならない。つまり真理に立って時代に即応していくことが必要です。地球には不易の世界と流行の世界,変わる世界と変わらない世界があります。変わらざる真理をしっかり踏まえて,激動堕落するこの娑婆に先見性,創造性をもって対応しなさいと教示されているようです。
 真理とは何か。
 過去の正しい歴史と,聖人の教訓,教説及びその実行されたるところの最高道徳(super morality)です。田母神氏が今回出された「自らの身は顧(かえり)みず」は,現代の政治,法律,教育そして堕落したジャーナリズムに警鐘を与える必読の書であると同時に,日本人としての良識を問う書でもある。と信じ,お奨めします。

ニューモラルを読んで・・・No.473
人は労して成長する
  相原 詩恩

 私は,「若い人の戸惑いと悩み」で,今,若い人が就職してもすぐやめてしまうという事がおこっていると聞いて,なんでやめるのかなあと思った。せっかくがんばって就職したのに,もったいないと感じた。何でやめるかの理由は,「本当の自分を見つけたい」や,「自分探し」などがあった。私は,「そんなの関係ない。自分が選んだ道を行ったらいいじゃん」と思った。
 「他人に喜びを与える喜び」では,話にでてくる,木村さんの友人の話では,苦労して,老夫人の世話をしてあげたら,後日老夫人から,お礼のお手紙がとどいて,うれしかったそうだ。
 私は,苦労して人に親切にしてあげると,お礼などのうれしいことがふつうより倍にうれしく感じる。私も,これから苦労してでもいいから人の役にたって,たくさんの喜びをあげたりもらったりしていきたいと思う。

オバマ新大統領    松林 幸二郎

 遅ればせながら,明けましておめでとうと,新年のご挨拶を申し上げます。
 おめでとうと申し上げるものに,“百年に一度”(前グリーンスパン 連邦準備制度理事会議長)と言われる,私たちの世代が全く経験したことの無い,未曾有の経済的社会的危機の中に迎えた,あらゆる面で先行きの見通しの利かない“年明け”でした。サブプライムローン問題で,さほど痛手を蒙らなかった日本でしたが,米国発の大不況の影響をもろにうけ,非正規雇用者の解雇が加速度的に増加し,正規雇用者すら,雇用調整という名の首切りの不安に脅かされています。スイスにおいても,あの強欲マネージャーに率いられたUBSが経営危機に陥り,連邦政府が国民の税金を使って,一時的であれ,危機を脱した事は記憶に新しく,これから経済的にも社会的にも危機的状況に遭遇していくことは避けられないことと信じます。
 そんな2009年の幕開けのなか,アメリカでは,史上初めて黒人の血が半分混じるバラック オバマ氏が大統領に選ばれました。その行動力と可能性を秘め,若さと活力に満ちたオバマ大統領の登場は,激動の60年代初めに登場したJFケネディのデビューに当時中学生だった私が受けた鮮烈な印象を思い起こさせてくれました。63年,私が高校生のとき,JFケネディは何者かによって暗殺され,世界中を震撼させましたが,ケネディの言葉“ask not what your country can do for you. . .ask what you can do for your country”は,その後も,高校教師によってたびたび聞かされ,私は自己の利益のためにではなく,他者のため,国のために働こうと若者らしく決心したものでした。
 そして,半世紀を経た今,ケネディが国民の希望を集めて登場した時代を彷彿させる,斬新で誠実な大統領の登場を目撃する事になります。しかし,国民性とはいえ,オバマ大統領を迎えるアメリカ人のあの無邪気な“はしゃぎよう”には,“Buy Now, Pay later”“貯蓄から投資へ”と,資本家とマスコミに踊らされたとはいえ(これは,日本も同様),浪費に浪費を重ね,その挙げ句,破産し世界中に損害と不況をバラまいているという,自覚も反省も全く見られませんでした。オバマ氏を,この破局的状況から国民を救い出す“救世主”かのように,熱狂して迎える国民は,そのどの一つをとっても解決には時間がかかり,国民に忍耐と苦渋が果てしなく求められることを知ったら,イエスを十字架につけたユダヤ人のように,オバマ大統領に牙をむくことになりはしまいかと,私は恐れます。オバマ大統領の演説は,国民にバラ色の夢を約束してはいません。むしろ,国民の自己犠牲と責任と忍耐を求めている事が理解できます。
 「私たちには今,新たな責任の時代が求められています。私たち自身,私たちの国,そして世界に対して義務を負っているという認識です」(オバマ新大統領)