忌部の話 二十六 「麁布貢進」その一
               尾野 益大

 旧木屋平村三ツ木の阿波忌部の末裔・三木家。大正天皇の即位の大嘗祭(大正4年11月14日)で麻布の「麁布(あらたえ)」を貢進した。北朝第二代・光明天皇以来577年間途絶えていた古例の復活だった。三木家は以後,昭和,今上天皇の大嘗祭でも奉仕した。まず大正天皇の復活の事情を記したい。
 明治末期,三木家二十六代目当主・宗治郎氏は遠祖以来の職分であることから「三木家由緒」などをもとに復活運動を始め,宮内省・御用掛りとして明治天皇の御記編纂に携わった山田貢村氏(木屋平三ツ木出身)の協力を得た。忌部神社宮司で国学者の斎藤普春氏からも学究的献身を受け,小松島出身の歴史学者・喜田貞吉の意見も聞いた。
 大礼使当局には,宗治郎や徳島県の渡辺勝三郎知事らがしばしば請願。多くの支援による復活運動が実って,1915(大正4)年7月,徳島県の末松偕一郎知事から宗治郎あてに麁布貢進の命令書が届いた。しかしこの年,木屋平では麻を栽培していなかった。結局,旧木頭村北川の宇井ノ瀬で西仁和太氏が太布の混紡用に栽培していた大麻の皮をはぎ,船谷という川でさらして槍戸越えで木屋平へ送ったという。
 西氏を紹介したのは北川の野口文平氏で,麻栽培で困惑していた事情を剣山本宮で聞き,協力を買って出てくれたのだった。北川八幡神社には「大正四年十一月十日」付で三木家から感謝の思いを記したと推測される墨書した木製の額が残っている。
 北川で採った麻は,旧木屋平村谷口の谷口神社拝殿で9月5日まで糸を紡ぎ,旧山川町山瀬の忌部神社に新築した織り殿で10月9日織り上げた。これに先立ち山瀬では7月11日,有志が麁布貢進の協力をする忌部崇敬会を立ち上げた。
 15日に織上式をした後,麁布は鉄道で徳島駅へ運ばれ,徳島公園の千秋閣で2日間,一般人に縦覧を許し,18日夜航で上洛。19日に宗治郎らが京都・大宮御所へ奉送し,無事に麁布を貢進した。

窓から空を眺める時間 西山 欣子

 昨夜のことだけど・・・。
sumiwoさんに誘っていただいて,かもめ食堂へ。(ほんとの店名は違うけど,彼女はそう呼んでます)
 ぜひ一度行ってみたいと思ってたんですよ。
 若い女性オーナーがやってるそのカフェは,ちょっとカントリー調のこじんまりとしたお店。コーヒーもしっとりシフォンケーキもとってもおいしくて,おかげさまでゆったりした時間が過ごせたことでした。
 あぁ,ひとりだけのぼ〜〜〜っとした時間・・・。もう長いこと作ってないなぁ。
 sumiwoさんのマネして,あのかもめ食堂で,窓から空を眺める時間を作ってみましょうか。。。

海部川風流マラソン試走
               芝山 靖二

 今年の2月22日に海陽町で第一回海部川風流マラソンがある。それに申込をしているので,正月二日に試走(私はランナーではなく,ウォーカーなので試歩)してきました。
 朝3時半に起きて,一路海陽町の「まぜのおか」まで,途中コンビニで軽い朝食をし,エネルギー補給用のおにぎり一個とクッキーとスポーツドリンクを買いこんで,まだ真っ暗の6時前に出発です。電池は車までは持って行きましたが,荷物になるので持ちません。
 かすかに分かる路肩を頼りにいきおいよくスタートを切りました。
 時速7キロで歩くと,制限時間の6時間を少しオーバーでゴールします。
 当日は少しランニングを入れると,時間内でゴールの計算でした。ですが,道に1キロごとにキロを書いてくれてありますが,13キロの所で丁度2時間,時速6.5キロでしか進んでいません。しかも前半,これでは先が思いやられます。
 一時も休まず(途中オシッコ三回は止まってする)大股速歩で歩き続けて,6時間45分48秒,朝の真っ暗の内から,昼の1時前までかかりました。
 20年ほど前に姉夫婦に無理やり誘われて,「室戸岬健康ウォーク15キロ」と言うのに参加しました。当然今より20歳若かったわけですが,ウォーキングには全く興味のないときで,どこへ行くのも車で少しも歩いていませんでした。
 今でもハッキリ覚えていますが,この15キロゴールした時,もう100メートルでも歩けんと思いました。
 人の体はどの部分も使わないと,退化します。脳なんかもその最右翼です。
 皆さん老化は足から日頃から鍛えましょう。

コーヒーを楽しむ   石渡 修司

 徳島には,コーヒーを飲ませる店が多い。教会の周りにも沢山ある。住宅が並ぶ中に溶け込むようにして,店がある。小さな店,十人とは入れないような,小さな店があるのには感心する。店主が,本当にコーヒーが好きで,おいしいコーヒーを飲ませたいと,採算を度外視した経営なのだろうか。
 コーヒーを飲ませるだけでなく,コーヒー豆を売っている店が多い。こういう店を見ていると,コーヒーを飲んでもらって,商売しようというのではなく,おいしいコーヒーを一緒に味わい,コーヒーの楽しみを分かち合いたいという気持ちが,店を出させ,支えているのだと,私は納得した。
 徳島に来て,本格的にコーヒーを飲むようになった。それまでは,コーヒーはモカかキリマンジャロしか知らなかった(ブルーマウンテンは高いので,敬遠)。ところが,店に行くと,聞いたこともないような種類が沢山あった、これを片端から飲んでいくとしたら,何と楽しいことではないかと,今は,思っている。
 徳島に来てよかったと思うことは沢山ある。コーヒーという飲み物の楽しみを改めて知ったことは,嬉しいことだった。
「人間にとって最も幸福なのは,喜び楽しんで一生を送ることだ」コヘレトの言葉3:12