なぜ,今「品性教育」か  相原 雄二

 「ひとは一人で生まれ一人で死んで行くのに一人で生きられない存在である」 また人間は,教育によって始めて,「ひと」となる。と聞きます。戦後教育の民主化によって,個人の尊厳を重んじているという大きな福音(ふくいん)を得たと同時に,個人主義,自由主義が行き過ぎて,価値相対主義の社会に変化してしまった。
 要するに「価値観というものは皆が納得できるようなものではない。一人ひとりの顔,形が違うように価値観も一人ひとり異なっているものであり,他人の価値観に対して,どうのこうのと言うべきものじゃない」という考え方が一般化されました。しかしそれは正しいのでしょうか。
 最近,「国家の品格」,「日本人の品格」など相次いで出版され,品格,品性という言葉に関心が高まっていることは興味深くある意味,日本の現代社会に必要だからこそ出た社会現象だと思いたい。
 嫁が嫁いだアメリカでも,今さまざまな教育問題に直面しているようで,道徳教育の一つの運動として「品性教育,character education」ということが注目されており,どうやら世界的な欲求かも知れません。そこで日本の教育について「国家の品格」にも紹介されていた会津藩の教えに「什(じゅう)の掟(おきて)」というのがありました。七ヶ条すべての最後の言葉に「ならぬことはならぬものです」とまとめ,要するに「問答無用」「いけないことはいけない」と言っている。これが最も重要です。時に幼いうちには頭ごなしに価値観及び道徳規範を叩き込むことです。戦前の日本は論理で説明できない部分をしっかり教える我が国民の高い道徳規準があったようです。今,第三の教育改革が進行中で教育再生に向けてさまざまな施策が打ち出されていますが,新しい教育基本法には「人格の完成を目指し……伝統・文化を尊重しわが国と郷土を愛する態度」などを盛り込まれました。また生涯学習の理念,家庭教育における父母,保護者の責任等々についても明示されたようです。まさに家庭でも学校でも,先生,親子が教育目標である「品性教育」という共通の価値として十分に認識して,それを実現するための議論やコンセンサス(同意)づくりをして行かなければならないでしょう。一番下の娘が4月から六年生となり,PTAの会長の役がまわってきました。これも何かの計らいと思い,皆さんと共に「品性教育」について学んでまいります。

〜大国主の生まれたまち〜♪
八桙神社看板除幕式  須恵 泰正


 徳島県阿南市長生町にある式内社「八桙神社」に行って来ました!!
 「阿波古事記研究会」による「八桙神社看板除幕式」が行われました♪


 阿南市長生町は「長(おさ)が生まれた町」と書きます!! 長生町にある式内社「八桙神社」は,古くから「大国主」が祀られてきました!!
 徳島県の北部は「粟国」で,南部は「長国」となります♪ 祭神の「大己貴命」は「長国」の祖神です!!
 「大国主命」には多くの別名があって,「大己貴命」も「八桙神」その別名なんです。「八桙神」の名が付いた「八桙神社」は,全国の式内社神名帳のなかで,ここ阿南市長生町の一社のみしかありません。「大国主命」は,実は「阿波国」が出身地だったのです!!     \( ^ o ^ )/
「古事記」は「阿波国」を舞台にして書かれています♪

忌部の話 二十八 「麁布貢進」その三
               尾野 益大

 1989(昭和64)年1月7日,昭和天皇が崩御。今上天皇が皇位を継承した。90(平成2)年11月22,23日,大嘗祭が行われ,大正,昭和天皇に続いて三木家が麁布を貢進した。今回は,憲法上の論議があって県や村の積極的関与は見送られ,旧木屋平,旧山川町の麁布貢進協議会の大きな協力を得た。
 89年4月4日,三木家の南西の畑で,栃木県麻振興連絡協議会から譲り受けた大麻の播種式をして,続いて三ツ木八幡神社で大麻の豊作祈願祭をした。大麻の種は群馬県吾妻町岩島麻保存会からも提供を受けた。このため播種の指導者として群馬県吾妻町から2人が来県した。
 麻が高さ3メートル以上に成長した7月17日,抜麻式があり,その後,三ツ木八幡神社境内に置いた蒸釜で湯通しをした。30日にかけて皮はぎや麻挽きをして8月2日,同神社で初紡式が行われた。紡いだ糸は9月11日,桧の唐櫃に納めて山川町山崎の忌部神社に向けて出発。忌部神社では,宮内庁の意向によって拝殿で麻を織ることになった。完成した麁布四反は10月19日に徳島市の忌部神社の大祭で神前に供えられた。
 麁布は,三木家で一度保管して,東京の皇居に向かう出発式が10月27日,関係者や住民ら約350人が見守る中,木屋平村の川井総合グラウンドで盛大に行われた。翌28日にも山川町の忌部神社で出発式があった。
 旧脇町,旧川島両警察署員の警護のもと,空路上京し30日午後1時,麁布は乾門から宮中三殿(賢所,皇霊殿,神殿)に進んだ。神嘉殿前庭で二十八代当主・三木信夫氏らが麁布を貢進し,掌典・鎌田純一氏から「天皇陛下にご奏上申し上げていますから後日,何らかの御沙汰が必ずあると思います」と挨拶を受けた。
 この麁布は「登極令」附式「大嘗宮ノ儀」で悠紀,主基両殿の神座に置くことが決められており,さらに「延喜式」巻七に麁布は細籠に納めると定められている。このため細籠,細目籠の謹製が大分県内で行われた。一方,麁布とともに絹糸の「にぎ服(たえ)」も麁布と同じ扱いを受けることになっている。これは三河国で織ることが決められていて,愛知県の稲武町献糸会が三木家同様に大正,昭和,今上天皇の大嘗祭で貢進した。

大国主の命が生まれたまち 大西 時子

 阿南市長生町「八桙神社」にて氏子の皆様,地元有志の皆様のご賛同を得て,阿波古事記研究会のイベント「大国主の命が生まれたまち」として看板設置の式典が行われ,天の渦女連も踊り奉納をさせていただきました。会員規約も規制もない連ですが先ずは私自身が常にひたすら「歓喜」の世界に立ち返られますよう心身を浄めて踊らせていただいています。
 今回は4人の踊り子4人の鳴り物,有志の方に参加していただきました。
 毎回阿波古事記研究会にご賛同列席いただいています奈良天香具山神社宮司様他同行の神職の方達との「なおらいの会」でも和気藹々と古代ロマンたゆたう有意義な時間を過ごす事ができました。
 今年は「いずもフェア」と銘打って複数のイベントが予定されていますが,そのうちの第二弾「長の国(大化の改新以前の海部郡,那賀郡,勝浦郡,名方郡の一部〈名西,旧名東郡〉の呼称)の長,八桙の神様(大国主の命)のお祭りが行われたのでした。私の様な不勉強ものはこのような活動を通じておおいに学習させられます。
 今回も研究家の皆様や地元神社関係者古代史マニアの方達からの寄稿をいただいて立派な記念誌が出来上がりました。ますます「阿波と古事記」古代史のなかの阿波が見えてきます。記念誌が多くのみなさんに「阿波」を見つめ直すきっかけとなれば嬉しく思います。
 写真はすえドンさんにお撮りいただきました。
 今回イベントに参加ご協力頂きました皆さん本当にありがとうございました。