腹八分         近藤 隆二

 ニューモラル476号に「満腹ネズミ」の話が紹介されていました。
 ネズミの食事と寿命の関係を東京都老人総合研究所が実験調査したところ,毎日腹八分に食べたネズミは1220生き,常に満腹なネズミはその半分のわずか680日しか生きなかったのです。ネズミの平均寿命は730日とされますから,腹八分のネズミはその1.6倍も長生きした反面,満腹ネズミは平均寿命も全う出来ずに早死にしたわけです。
 なぜ満腹ネズミが短命に終わるかについては食べすぎが胃などに大きな負担をかける,栄養過多が肥満につながって高血圧や高血糖を招くなどの理由のほか,脳に満腹になったことを知らせる「満腹中枢」の機能不全があるといわれます。これはネズミのことだけでなく,私達人間にも同じことが言えると思います。
 昔から「腹八分に医者いらず」と言われていて,腹八分に食べることが健康を保つ秘訣となっています。
 廣池千九郎博士は古代から長寿のシンボルとされている鶴をたとえにあげて「鶴が千年の寿命を保つのは,腹八分に食うからじゃ。経営者は急進的な繁栄を望まないで力相応漸進的に進め」と教え,企業が永く繁栄するためにはゆとりのある経営の必要性を説いています。
 暮らしや経営を腹八分に抑え,そこで生まれた二分のゆとりを万一の備えや世のため,人のために役立てて行く。

曲水の宴をたずねて(9)  山田 善仁

 王羲之の子供は,父に比して各段の差は有るが,書に関しては程度の差こそ有れ,それぞれ書名を得ていたようである。子の中で,末子七男の献之(けんし)が卓出し,父の書法を受け継ぎ,南朝の貴族社会を風靡(ふうび)した王羲之父子が,書法の規範として尊重せられるに到った。
 それは陳(ちん)代(557〜589)の僧智永(ちえい)に負うところが大きい。智永は,羲之の第五子徽之(きし)の後(のち)で,羲之の7世の孫である。
 会稽の永欣(えいきん)寺に住し,羲之の書法で自ら真草千字文(しんそうせんじもん)を八百余本も書き,浙東(せっとう)の諸寺に施入したと伝えられる。
 南朝の貴族たちにもてはやされた王羲之の書は,7世紀唐初の社会に盛行をみるに到ったが,それは唐の第2代太宗(たいそう)皇帝(李世民(りせいみん))の支持に依る処が大きい。
 太宗は,王羲之の書を愛し,これを2297紙,収集し,崩じた時に「蘭亭序」を含む充てを一緒に陵墓に埋めてしまった。その為か現存する王羲之の真筆(しんひつ)は存在しないと言われており,現在,王羲之の書とされているものも,唐代に太宗の命令で複写したもの及び,太宗が作らせた拓本のみで有ると言われている。
 「蘭亭序」を手に入れる事について苦心談が有る。
 「蘭亭序」は,王羲之7代の孫で,陳(ちん)より隋(ずい)にかけて書名の高かった智永禅師が会稽の永欣寺に所蔵していた。智永の没後,その弟子の辨才(べんさい)禅師がこれを大切に護っているらしい,と察した太宗は,3度にわたって辨才を召し出して所望したが,そのつど辨才は,先師の没後はその所在が分から無くなった,と答えるばかりで,らちがあかない。
 太宗は諦(あきら)め切れ無かった。そこで宰相の房玄齢(ぼうげんれい)(578〜648.晋書(しんじょ)の撰者)の進言に依って,監察御史の蕭翼(しょうよく)という,教養と機略の有る人物を会稽に遣わし,策略をもって奪い取る事を企てた。
 蕭翼は,身分を匿(かく)して永欣寺に至り,辨才禅師に会い,しだいに親しくなり,ともに詩を作り,碁を囲み琴を撫(な)し,文学や歴史を語り合う遊び友達となった。
 若い心友を得た事を喜んだ辨才禅師は,或日,梁(はり)の欄檻(らんかん)の上に隠してあった「蘭亭序」を降して見せた。翼(よく)はわざと,ああ,これは響搨(きょうとう)の書でしょう。蘭亭の真蹟(しんせき)が此の世に現存するはずが無いでしょう,と馬鹿にした振りを見せたので,いささかがっかりした辨才は,すっかり警戒心を無くして,それを机の上に置いたまま,檀家(だんか)からの迎えを受けて寺から出て行った。
 好機到来と喜んだ蕭翼は,禅師の不在に乗じて此れを盗み取り,長安に持ち帰り,太宗に献上したという。

復活と食と歴史探訪 古代ロマンツアー 3月21日(日)
                瀬尾静子きもの学院 瀬尾 静子

 なんとも心魅かれる素敵な名前のツアーに瀬尾学院長や講師を含め,学院関係者八名が参加致しました。
 学院で着物の歴史や日本礼法などを学んでいると,どうしても日本の国の成り立ちや神様の存在は無視できません。機会よく学院講師のお父様の野口一夫様が鳴門古事記研究会の会長ということで,古事記の素晴らしい世界をご紹介頂き,古事記研究会の行事には折々に参加させて頂いております。
 今回は鳴門古事記研究会が主催する行事に協賛の徳バス株式会社がツアーを組んで,大宜都比売命と天太玉命を御祭神とする阿波井神社の元宮新宮祭やこれに関連しての記念講演をはじめ県北部の史跡や神社をご案内して下さいました。
 このツアーに参加させて頂いたことで,五穀の起源とされる穀神であり阿波国の国神でもある大宜都比売命について学ぶことができ,とても充実した一日となりました。さらに日本礼法や古事記を通して私たちと神様の繋がりを学びたいと,好奇心を刺激されるツアーとなりました。

 瀬尾静子きもの学院発行「藍の鏡」第165号より転載

大人の為の 絵本♪  大西 時子

 昨夜,古事記研究会が終わったのが9時45分。
 雨がパラついていました。
 事務所について片付け。何をするでもないけれど,ホッとするひとときです♪
 午前12時,この時間は私にとってのターニングポイントです。ここで切り上げてすんなり自宅で就寝するか,慣性の法則が働いてこの山を一気にこえてしまうか。ここのところやや睡眠不足,気持ちは元気ですが身体がシグナルを送ってきます。コクリコクリ…………
 ( ^ ^ ;♪ブログ更新の手が進みません。
 切り上げて帰る事にしました♪
 今朝は姉を送った足で文化の森図書館へ走りました。
 読み聞かせボランティアの教材絵本調達です♪
 開館まで一時間ほど,緑の木々がさわさわと風の音を伝えています。夜来の雨が空気を洗って、爽やかです♪
 待ち時間を両サイドのウインドウを少しおろして手持ちの本を読む事にしました♪ 携帯の着信音で吾に返ると30分程が経過,どうやらウツラウツラしていたようです。
 図書館では階段を上って直進絵本のコーナーへ。
 ランダムに書棚を回りちょうど視界に何冊かの宮沢賢治の絵本が入ってきたところで立ち止まり一冊を抜き取りました。
 私の読み聞かせ担当はたいてい低学年(1,2年生)。抜き取ったのは「いちょうの美」
 イチョウの大木に無数になった「実」たちの旅立ちの物語です。その中には千変万化,移り行く大自然の営みの中で繰り広げられるたくさんのドラマがあります。すべてはおおいなるひとつの変容の姿。
 自然の素晴らしい描写に酔いました。
 読み聞かせには少し,難しそうです。
 これは私の為に借りて帰る事にしました (*⌒▽⌒*)♪
 事務所に戻り,ブログの更新。
 作業机定位置から見える緑の垣根のすき間の真っ青な空を見上げながら,そうだ,今日は定休日だった………,なんて呑気に気がついたことでした (^_^)~
 休みにはなりませんが,のんびり作業をこなしたいと思います(*⌒▽⌒*)♪

ポヶ〜〜〜〜ッと     2009.04.27   西山 欣子

 いったい私は何が描きたかったのか?
 遥か遠くを眺めているのに,目は閉じたまま。。。
 自分を見つめる。
 自分を認める。。
 頭ではわかってるつもりなのに,心底実践できてない自分に気づく。
 ほんとにやりたいことは何なのか?
 時間に追われて「やらねばならぬ」な生活を続けてきたせいか,少し時間にゆとりができても,何にもやる気が出ないこの頃です。
 ま,こんな時は,ポヶ〜〜〜〜ッと過せばいいんでしょうかね。

よかったさがし      2009.05.06

 どうやら今日はタイミングが合わない日だったらしい。。
 最近このタイミングってのに敏感になってる私がいてそしてそれは,かなりマイナス思考になってる証拠で・・・。いつもなら,なんら気にならないことまでウジウジ凹んでしまう。
 先日,テレビから聞こえてきた小児ガンと闘う子どものコトバ
「毎日『よかったさがし』をやってるんだよ」
 これは,あっちこちで耳にする中途半端なプラス思考と違ってズシンとココロに響いたことでした。
 そうだよね〜〜。
 わかったつもりでいながら,すっかり忘れてましたよ。いい歳して・・・情けない。。。
 実はここんとこず〜〜っと,気持ちの切り換えができなくてジタバタしている私。
 楽しいことがあっても,その後起こるシンドイできごととのギャップが辛くて・・・。
 ならば波風立てずにひっそりと・・・ってなこと思ったり。。。
 けど…。せっかくなので,これを機会にはじめてみましょうかね。
「よかったさがし」。

あぁ、よかった。     2009.05.28

 昨日からのクラクラは,今日の午後にはすっかりおさまり,ご飯もちゃんと食べれるようになって。。。
 阿南教室の後は,今月廃刊になってしまった情報誌の送別会に参加。
(車で行ったから残念ながら飲めなかったけど)
 レギュラーの仕事がまたひとつ減って,ほんとはかなり厳しい状態になってしまったけど,ここんとこのウジウジした気分が,なぜか,サバサバに変わって。。。
 久々に,ちょっとしたひらめきもあったりして。
 あぁ,よかった。