蜂須賀家の秘宝      御堂 孝

 皆さんは万年山公園をご存知であろうか。佐古小学校を南へ眉山に突き当たった処がその公園です。徳島藩十代藩主蜂須賀重喜は巨大な自然石に「阿淡二州太守族葬墓域」題して墓域を万年山と命名しております。ここには蜂須賀家八代藩主から十四代藩主までの藩主とその一族のお墓があります。またかんぽ宿の付近には大阪より移転改葬された家祖正勝(小六)の墓もあります。蜂須賀家の墓所の特徴として,藩主はもちろん,夫人,なかには側室の墓も合祀されているのもあります。今は荒れ放題で墓石は傾き,玉垣は倒れています。ところが昨年より徳島市がなぜかこの財政難のおり改修を始めたではありませんか。十一代藩主とその夫人のお墓は立派に再現されました。今は十代藩主の墓所が進められております。私が工事を見学していると工事監督が眼で向こうへ行けと言うような態度みせます。徳島市はついに蜂須賀家の秘宝に目を付けたに違いない,よし,市が早いか私が早いか意欲を燃やして通うことにしました。原稿が「阿波風」に載らなくなったら,黙って徳島を去ったものと思って下さい。ちなみに工事が始まったのは国の予算が付いたからだそうです。

青年が 荒野をめざした 果てに
              松林 幸二郎

 この夏,訪れた国,北欧フィンランドは私の青春にとって切っても切れない特別な国であったことを改めて思います。
 1970年代,日本が高度成長期に入り,未だ貧しくとも夢があった1960年代末から70年にかけて,その頃人気を博した五木寛之の冒険小説“青年は荒野をめざす”の世界に魅せられた多くの若者がナホトカ航路の乗客となり,その時代,果てしなく遠かった夢のヨーロッパに向かったものでした。
 貧しい勤労青年であった私もその一人で,片道切符と僅かな所持金を懐に,1971年の3月中旬,その当時,一番安かったシベリア鉄道ソ連経由でヨーロッパの入り口のスカンジナビアに向かったものでした。安かったといっても片道10万円余りかかり,高卒で司法書士事務所に勤務していた私の月給が1万6千円ほどでしたから,片道しか買えなかったのです。
 一週間後,戦時下の重苦しい空気に包まれた共産国ソ連のモスクワ,レニングラードをやっと抜け,憧れの北欧フィンランドに到着したときの,感動と興奮はフォーククルセーダスのフォークソング“青年は荒野をめざす”のメロディとともに,フィンランドの国名を聞くたびに今も鮮やかに蘇ってきます。
 白いヘルシンキは,ソ連とは対照的に明るく美しく,人々も親日的ですっかり好きになったものです。悲願だったフィンランドの独立に,隣の覇権国ロシア帝国を破った日本に恩義を感じ,そこから来た好感もあったかも知れません。私が訪れたときでも,バルチック艦隊を日本海で壊滅させた海軍指揮官東郷元帥の名からくる“トーゴービール”が売られていました。ユースホステルへの道を尋ねたら,頬を赤くした可愛い男の子と女の子が,雪のなか,随分距離もあったユースまで案内してくれました。(今回の旅で接したフィンランド人のほとんどは,当時と変わることなく穏やかで親切でした。)ただ,私のような貧乏旅行者にとっては,フィンランドの寒さは身に染み,スエーデンを経て南へ南へヒッチハイクで下りました。
 一年の予定が,気が付いたとき,私の放浪旅行は既に3年半となり,世界55カ国を巡っていました。その旅の途中,イギリス南西部エクセター市の語学学校で知り合ったのが,現在のスイス人の妻です。
 妻にとっては初めての北欧,そして私にとっては38年ぶりのフィンランド。それぞれ異なった感慨をもって,この8月初旬に開催された,日本人キリスト者の集いへの参加のためにフィンランドの土地を踏みましたが,この日を誰が夢想できたでしょう。人には計り知れない主の計画があったことを知りました。

「ごっついん阿波美術展」を
見に行って思った事
   橋本 節子

 今日,文化の森の多目的ホールで展示している「ごっついん阿波美術展」を見に行って来ました。
 まず最初に驚いたのは,入口右横に墨で力強く迫力ある大きな文字の「ごっついん阿波美術展」の案内でした。
 さて今年の作品や如何と……。
 さらに多目的ホールの中へ足を踏み入れると,向かい側の広い一辺一面に,立体的でそれでいて躍動的な堂々たる絵と文字がど〜んと浮かび上がって目に飛び込んで来ました。なかなか色合いも上品で優しい良い感じでした。
 次に,ゆっくり数名の方々の個性ある作品を楽しく見せていただきながら,ふっと今,「ごっついん阿波美術展」という曲が演奏されていると感じました。作者の方々が居て,それぞれの作者の個性ある能力というか魅力を十分に発揮出来る様にと,三村さんがタクトを振っているのです。もの静かに,時には激しく振り続けて,終始楽しそうです。
 そんな想像をしながら感じた事は,毎年の事ながら,阿波って凄い所なんだと,再確認出来て良かったと思いました。
 今ある事が当たり前の様に感じて流されて行く人生でしたが,この展示を見てからは,そんな地に生まれ,育って良かった。こんなにも恵まれた環境を当たり前と思わずに,もっと感謝して人生を楽しく生々と生きて行こうと,そう思いながら家路に着きました。

「思いの轍(わだち)」    大西 時子

 日々の事象の中であたふた,ぜいぜい、ふ〜ッ。
 なんとか走っている自分をしんみり振り返ってみると,結構「心の思い」がしっかり目の前に「わだち」を作ってくれていることに気づきます。
 楽しみ,時にはちょっと辛かったりする自分をヨイショと励ましたりして。
 一見道がそれたように見えても実はしっかり予定のコースを進んでるじゃないか………,そんな気にさせられて感謝の気持ちが湧きあがってきます。
 住まいのトイレの壁に,毎回目を通す四つの箇条書きがあります。日々に流してしまってはいけない一枚の紙に託した日々への処し方です。
 シンプルで大事な事を心に留めないでやり過ごす私へのちょっとした警告です。
 発すれば即ちいたる。
 意思の力は強く形を創っていくのですね。
 只々,思う事をやめなければいい。
 日々プレゼント攻めの中で受け取り上手な自分でいること,ときどきの「ご縁」という贈り物が轍をつくる輪となって私の思いを即,届けてくれる事を肝に銘じてどんな時も前に一歩。
 ヘブン,今ここに。
 有り難く楽しい日々です。