忌部の話 三十七 「倭と卑弥呼」その三
               尾野 益大

 卑弥呼が行っていた「鬼道」と呼ばれる祭祀に関する遺跡として,考古学者・石野博信氏は「導水施設」を想定している。導水施設とは,井出や貯水池から溝や桶を通して水を引き,浄水・聖水として神や王に捧げる施設のことだ。卑弥呼のことは古事記や日本書紀に登場しないが,導水施設については古事記,日本書紀,風土記,万葉集に継承されているという。
 石野氏は,導水施設の発見は 纏向 ( まきむく ) 遺跡(3世紀後半)が最初と考えていたが,鳴門の萩原1号墓の発掘成果によって「導水施設は3世紀前半の阿波・讃岐に淵源があるかもしれない」と注目すべき指摘をした。つまり,萩原1号墓から出土した小型丸底壺は王の葬送儀礼で使われた壺だというのである。壺の内容物は酒や水とみられるが,それは単なる水ではなくクニの物代であり井泉信仰に基づく聖水という。
 また「下川津B類土器」と呼ばれる独特の土器も萩原1号墓や讃岐から見つかった。搬入・搬出のピークが,卑弥呼が治世し魏と外交を展開した3世紀前半であることから,石野氏は「萩原1号墓の被葬者が活躍した可能性が高い」と推定している。卑弥呼と,卑弥呼と関係が深い祭祀施設の導水施設が,奈良よりも早く萩原1号墓から浮かび上がってきた。これは卑弥呼がしていた鬼道が阿波から奈良へ伝わった証の一つに認められないだろうか。
 奈良の纏向遺跡で見つかった導水施設では,糞塊があったことを示す寄生虫卵があったという。石野氏は,それを記紀の天照大神の「クソマキ伝承」と想定した。それは,天の岩屋戸に籠もった天照大神が再び外に出てきて世界を明るくする話に通じる。今でいえば日蝕であり,日蝕を恐れた人々が古墳の前で太陽の再生を願ったと考えられるだろう。古事記,日本書紀によると,岩屋戸の前で天照大神の再生を願って祭りをした一人は阿波忌部の祖先であったことも忘れてはならない。卑弥呼の時代に祭祀に携わった人たちの末裔が阿波忌部となったのであろう。
 石野氏は大胆で興味深い分析をしており「記紀編纂者は,卑弥呼の鬼道の内容の一端を知っていて天の岩屋戸伝承をつくったのかもしれない」としている。
 魏志倭人伝は,女王国より北の伊都国に大率(軍など)を常置して,西日本の諸国を監視させたので諸国は畏怖した,と伝えている。つまり卑弥呼は徳島市国府に住んでいて,吉野川や旧吉野川を挟んだ北岸の板野・鳴門に同盟諸国の政治・経済を監視する機能があったとするのは考えすぎだろうか。
 阿波と讃岐の古墳の形態が似ている点や鳴門の古墳の石棺の中には讃岐から船で運んできた石も確認されており,阿波・讃岐が連合国となって瀬戸内に目を光らせていたことは容易に想像できる。敵が瀬戸内海から来た場合,讃岐山脈が防壁となり,山間部の神山町への入り口「山の戸」(倭=ヤマト)に住んでいた卑弥呼の国を守っていたのだろう。

                 中村 修


寅は七里を行き七里を戻る   橋本 節子

 先日あるお宅におじゃました折,2010年のカレンダーの中に寅の絵と文字で「寅は七里を行き,七里を戻る。」と書かれていました。
 ふっと,これはどう云う意味なのかな?と黙って見ていると,そこの奥様にっこりされ,しばらくして「トラは一日七里行動し,そこで戦って勝って可愛い子供の所へ帰ってくる,という意味です。」と教えてくれました。
 そもそもそのカレンダー作成に至ったのは,日頃たくさん書き溜めた絵手紙を基にされたようですが……。
 やはり,手作りの良さというか,この絵からは恐ろしい寅も,なんだか恐ろしい姿の中にもその瞳の中には真の優しささえ感じられます。
 もちろん,こんなお話を聞いたからだと思うのですが,やはり生き物,寅も子供を思う気持ちは人間と同じなんだなと安心した気持ちになりました。
 どうか寅年の今年,心から楽しく思えるような年にしたいと願っています。

愛犬マコ「誠」からの教訓   山田 章

 マコ「誠」は,家内の仕事仲間のAさんから,5年前に生まれて一週間にならないかわいい仔犬3匹の中の1匹を,大切に育てて来た四国犬の雄犬です。名を,誠の意を含めて「マコ」と付けた。
 昨年の春,5歳の尊い命を交通事故でなくした。
 顧みると,昨年は私の厄年であった。3年前になるが,68歳で設備会社を退職して,自分の世界の全てが自分中心に回っていると思い,自己満足の生活をしていた。それは一瞬の黄金世界であった。毎朝の配達を終わって,朝日を全身に浴びて我が家に帰れば,一反の畑地で「茄子」を収穫して納めた。大自然の中の深い深い深い恩恵を,何一つ気に留めず,自己中心の毎日であった。
 そんな合間の「愛犬マコ」との散歩の時間を楽しみにして来た。表面上の至福の時でした。
 それは突然の出来事であった。何を思ったのか!! 国道に向かって一直線に走った。呼んでも呼んでも振り返らず!! 車の走る国道に向かって,我が尊い生命を掛けて,無言にて,愚な主人への伝言であった。「愛情とは」「絆とは」「勇気とは」「思いやりとは」「常日頃の素直とは」,細心の注意が無ければ何に役にも立たない,此の世の世界だ。
 顧みれば,わが国の先人達は,これまで高い道徳性によって信頼をし合い又協力し合って幾多の大きな国難を乗り越えてきた。長い歴史伝統に培われた,よき日本があった。此の日本,戦後廃墟の中から立ち上がり豊かな産業社会,高度な情報社会を築きながらも,政治,経済,教育,社会事象等あらゆるところで人間性道徳性が根元から問われるような事件が起こっている現状ではないか!! その様な事を!! 愚な私には気付かなかった,長い病気との中から,運命全てをもって,自己に反省をする時,此の悲しい生命は,白紙の中に黒点を示した!! 此のすばらしい大自然の慧智を悟って,その三つの大恩恵に「肉体の恩恵」「国体の恩恵」「精神の恩恵」に気付いて報いる生活が出来る時,その瞬間には真の幸せが得られる事を!! 各伝統に報いるとは大恩恵に対して御安心を願う事であり,全ての事に感謝と自己反省である。平均と調和がなす,大自然の仲間の「和合」から教えられる。此の大自然を素直に全てに感謝が出来る時,此の慧智は得られる。それは人様の幸せを願う事だ。私には夫婦仲良く感謝の生活が最も大切な事に気付く。全ての事を感謝するという事は,それは精神的,労力的,時間的,金銭的犠牲を持って,生命の続く限り,親から子へ,子から孫へと世代を重ねて幸せを願うという毎日の事です。
 有難く感謝し,又,感謝です。
 有難う御座居ます。