トリャ〜ッ      大西 時子

 武道館で行われた錬成会に参加。私は胴着の帯も結べない初心者です ( ^_^ ;
 半袖Tシャツの上に胴着,足は裸足。さほど寒くはなく,先ずはウォーミングアップのため腹から声を出して基本的な「型」をします。
 その後は力を使う事はなく,一連の動作は全て人を括る「身体意識」を消すという作業の中で行っていきます (^_^)~じんわり汗が滲み,自然と笑みもこぼれてきます♪
 合気道の創始者が,何倍もある巨体の相手を力を入れず倒すといった古い映像が残っており,以前テレビで紹介されたことがありました。強く記憶に刻まれています。人の心は宇宙より広く大きい。爽快な気分で帰宅しました♪
 すごいなぁ,スゴイナァ,やっぱりすごいなぁ。帰路,昼食。バッグの中の本。以前読んだ本をもう一度読み返しています。ホントに理解が深まっていて驚きです。素晴らしい日々です。


阿波と安房      室伏 聖司

 12月20(日)に古代忌部の足跡を追って,歴史愛好家6人でワンボックスカーに乗り,片道3時間掛けて東京から千葉県南房総の館山に行きました。
 午前中は館山市立博物館にて主任学芸員の杉江敬氏に古語拾遺と忌部と安房の概要を講演して頂きました。徳島の阿波と館山の安房は忌部で繋がっていたんですね。
 午後は,阿波歴史民族研究会の林博章氏にご紹介頂きました,安房忌部交流会実行委員長の鈴木馨氏に館山にある忌部にまつわる神社等を以下の順でナビゲートして頂きました。
 洲宮神社
※天比理刀命(あめのひりとめのみこと)が祀られている→天太玉命(あめのふとだまのみこと)の后
 阿由戸の浜
※天冨命(あめのとみのみこと)上陸の地
 駒ヶ崎神社
 布良崎神社
※天冨命。後に須佐之男尊。
 相浜神社
※楫取神社(宇豆彦命を祀る)を合祀
 安房神社 ※上の宮
天太玉命(あめのふとだまのみこと)が主神。
天比理刀命(あめのひりとめのみこと)
※下の宮には忌部6神を祀る
天日鷲命(あめのひわしのみこと)→阿波忌部の祖神
手置帆負命(たおきほおいのみこと)→讃岐の忌部の祖神
彦狭知命(ひこさしりのみこと)→紀伊の忌部の祖神
櫛明玉命(くしあかるたまのみこと)→出雲の玉作の祖神
天目一箇命(あまのまひとつのみこと)→筑紫・伊勢の忌部の祖神
 洲崎神社※天比理刀命(あめのひりとめのみこと)
 下立松原神社
※天日鷲命,木花開耶姫命,月夜見命
   写真,ムービーをブログからご覧頂けます。
   http://mitumitusi.blog22.fc2.com/


 忌部は安房から関東を北上しました。
 次回は私たちも忌部を追って北上します。

地球ラジオ       松林 幸二郎

 NHK第一放送が,土日と短波やインターネットを使って全世界に同時生放送をしている“地球ラジオ”という番組がありますが,私は数年来,MDにインターネットから録音しては,畑仕事や草刈りの友として愛聴しています。低俗番組が闊歩するマスコミにあって,聴くものの心をほぐし,母国と全世界から届くリスナーの生の声や市井に生きる日本人からの報告を,かって訪れたことのある土地や国々の情景を思い出しながら聴くのは,それは楽しいものです。
 この番組では,世界中のリスナーに様々な質問がだされますが,先日の質問は“この国に来てよかったと思うことはありますか?”でした。祖国を遠く離れて異文化のなかで住むということは困難や痛みを伴うことは当然ですが,私は地球ラジオへの投稿のために“数えてみよう主の恵み”と指折り数えてみました。まず,一番目に思ったのは,娘3人を私の乏しいソーシャルワーカーの収入でも,共働きせず,家庭で娘達を育てあげ,上級学校に進むまで妻の手料理で3度の食事を家族一緒に出来たことでした。主の創造された壮大で美しいスイスの自然のまっただ中で平和を享受しながら暮らせたことが2番目となりましたが,到底十本の指に収めることができず,その2つの“恵み”を投稿したところ読み上げられました。
 しかし,どれをとっても,自分の努力でなし得たものはなく,全ては,神の恵みなのです。ただ,不偏不党のNHKには,あからさまにキリスト(教)の名を出せないのが残念です。出せなくとも“地球ラジオ”を通して,キリスト者としての証は発信できまいかと,の試みは続けたいと思っています。


覗覘 ( してん ) 魏志倭人伝(4) 山田 善仁

 「倭人の条」の続きは,こう記している。
 その女王国(奴国)の南に狗奴国があり,男を王とする。その官に狗古智卑狗がある。女王に属さない。帯方郡から女王国までは,一万二千余里。
 中略……女王国より以北には,特に 一大率 ( いちだいそつ ) を置き,諸国を検察させる。諸国これを 畏憚 ( いたん ) す。常に伊都国で治める。国中において 刺史 ( しし ) の如き有り。
 王,使者を遣わして 京都 ( けいと ) (魏の都 洛陽 ( らくよう ) ),帯方郡,諸韓国に行ったり,また郡が倭国に使するや,皆,津に臨みて 捜露 ( そうろ ) (さがしあらわす)し,文書 賜遺 ( しい ) の物を伝送して女王にとどけ, 差錯 ( さしゃく ) (入り乱れ交わる)する事はできない。
 下戸が大人と道路で相逢えば, 逡巡 ( しゅんじゅん ) して草に入り, ( ことば ) を伝え事を説くには,或いは ( うずくま ) り或いは ( ひざまず ) き,両手は地に着けて恭敬を為す。対応の声を ( あい ) (朝鮮語の発音イェが近い)という。比するに承知の如し。
 その国,本また男子を以て王となし, ( とど ) まる事七,八十年。倭国乱れ,相攻伐すること歴年,乃ち共に一女子を立てて王となす。名付けて 卑弥呼 ( ひみこ ) という。鬼道に事え,能く衆を惑わす。年すでに長大なるも, 夫婿 ( ふせい ) 無く,男弟有り, ( たす ) けて国を治む。王となりしより以来,朝見する者少なく,婢千人を以て自ら待せしむ。ただ男子一人が飲食を給し,辞を伝え居処に出入りす。
 宮室,楼観,城柵,厳かに設け,常に人有り,兵器を持って守衛する。
 女王国の東,海を渡る千余里,また国有り,皆倭種なり。……倭の地を参問(照らし合わせ尋ねる)するに,海中洲島の上に絶在し,或いは絶え或いは連なり, 周旋 ( しゅうせん ) ( めぐ ) ( めぐ ) って)五千余里ばかりなり。
 景初二年(238)六月(明帝は景初三年春正月下旬に没す。次の斉王芳の正始元年は240年),倭の女王,大夫 難升米 ( なしょうまい ) (川官または地方長官)等を遣わし,帯方郡に詣り,天子(魏の明帝)に詣りて朝献せんことを求む。郡の太守劉夏は役人を遣わし,京都(洛陽)まで送らせた。