今日の眼鏡小売業界は,不本意ながら各企業とも価格競争に明け暮れているのが現状です。不安定な世界経済,将来への不安によって消費者の財布の紐は堅くなっており,その上,中国製品の輸入増加により全小売業界で価格競争が激化しています。「眼鏡」は基本的に視力を補正する用具であり,専門的知識とさまざまな実習を通して技術を身に付け,多くの時間と経験により初めて正しい眼鏡をお客様に提供することができます。しかし,今世紀に入り規制緩和等々による他業種からの進出により経済効率,利益追求による低価格販売が可能な物販,あるいはセルフサービス的販売が成り立つありさまです。人体の仕組,眼の仕組,視覚心理学,幾何光学,屈折測定理論と実技,眼鏡光学,両眼視機能検査理論と実技,眼科学,薬理学,コンタクトレンズ理論と実技,眼鏡店・眼科医院実習,流通業概論,眼鏡店マネジメント,眼鏡作製・調整理論と実技,眼鏡経営学,眼鏡とファッション,商品知識(レンズとフレーム)ほか,以上のカリキュラム取得するには,少なくとも3〜4年の年数が必要です。これらの知識と技術を取得せずとも,現状ではお客様の目を測定し,加工し,調整し,販売しているのが事実です。そこで私は,適切なメガネをお客様に提供すべく,眼鏡販売する人には眼鏡専門学校でのカリキュラム取得を奨めています。メガネを作製する場合,近視,遠視,老眼,乱視,どのような屈折矯正する場合でも,より高い知識と技術,そしてよき資質のある眼鏡店と技術者を選ぶことをおすすめします。価格が安いから少々雑に仕上がっていても,見よう見真似で目を測定し販売しているメガネ店や販売員を選びますか。参考のために,店によりそこに一定のレベルに達した技術者(眼鏡士)がおられるか確認して作製するとよろしいでしょう。
いつの時代も,それなりの品には,それなりの代価を支払わないと手にすることはできないのでしょうね。最後に,メガネファッションについて基本的に,自己主張は控え目なのが魅力的で,それが日本に特徴的な文化的感性とメガネに関しても言えます。よき技術者との出会いを!
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すべての思いを家族に 64
視点をかえる 田上 豊
視点を変えないと,何事も当たり前に見えるのです。当たり前に感謝出来たら幸せが見えてくるのです。
私達は幸せになるのに道を単純化しないといけません。心と行為で幸せに向かうのです。余り多くの情報で頭がメタボに成るのです。躰も要らない物をそぎ落としたいものです。躰も心もメタボになるのです。要らないものをそぎ落とすのです。家族の幸せにも広い視野を持ちたいものです。
不平,不満,愚痴,批判,溜息の生活をしていると幸せはドンドン遠ざかっていきます。
感謝して楽しみで幸福行きに乗り換えましょう。今まで親しんできた電車から新しい視点の乗り物に乗り換えましょう。今まで親しんで来たから,なかなか捨てがたいのです。
今までの自分を否定するようでなかなか乗り換えられないのです。でも自然はドンドン変わってきているのです。
それは,
宗初末さんからの借り物です。
●かせぐ
●まなぶ
●あそぶ
●つながる
●やくだつ
大勢に逆らう者は苦しくなるのです。大勢に迎合する者も苦しむのです。大自然に従う者が幸せの方に向かうのです。
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昨年12月5日徳島モラロジー会館で麗澤大学教授望月幸義先生の講演会がありました。お話の一番最初に今日の結論を先に言いますと,「道徳の実行をすると直ちに莫大な効果がある」と申されました。
人生は思った通りになる。「直ちに莫大な効果がある」と思ってやると,直ちに効果が得られる。思わないと得られない。
何をやる場合でも莫大な効果が出ると思うこと。
私達は今までに皆出したことはあるがそう思っていないだけであると言われました。
又,自分の考え方によって自分の世界をつくっている。
考え方が違えば世界の見方が違う。
自分の考え方が自分の人生をつくっている。
よいと考えることは道徳,わるいと考えることは不道徳。
品性はよいと考えるものが多い。品性を高める程,全てよいと考える,あなたが考えている人がそこにいる。
子供を悪いと考えている人は大変損をしている。
そう考えるとそう考える人がいる。
子供を素晴らしく良い子だと思うこと。
宝物とは「人」が宝である。自分が宝物であるということがわかれば人生はすごく楽しくなる。喜びに満ちた人生になる。
以上,望月幸義先生のお話の内容であるが,最初に申された「何をやるにも直ちに莫大な効果が出る」と思ってすること。
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朝早くジョギングしていますが,冬場は日の出が気になります。
平日は仕事があるのでそう遅くも始められません。1月,2月の極寒期は,朝6時に起きて20分ほどストレッチと筋トレをして6時20分ごろスタートします。
夜が最も長いのは,12月22日冬至の日ですから22日を境にそれから段々に日の出が早くなるように思っていましたが,そうではありません。徳島では,日の入りの方は22日を境に段々遅くなりますが,日の出の方は,冬至の日が7時04分ですが,まだまだ遅くなり,年が明けて1月の13日の7時08分まで遅くなります。そして冬至の日と同じ7時04分になるのは,一か月以上過ぎた1月25日です。
ここからは日の出は,日に日に早くなり一か月後の2月25日には,1時間32分も早い6時36分になります。
日の出より30分早く明るくはなりますが,真っ暗で氷点下の朝は大変です。早く日の出が早くなる日を待ち焦がれる今日この頃です。
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1月もあと一週間で終わろうとする22日(金)その夜と週末に迎える来客のために買い物を済まし,料理の支度にかかるまでの自由時間を,近くのスキ−場で抜ける様な青空の下でクロスカントリーを楽しんでおりました。なだらかな傾斜の先にあった氷の面で,転落し,大腿骨を骨折し激痛とともに,一歩も動けぬようになりました。一瞬の出来事でした。
その夜,見事に亀裂の入った大腿骨に2本のねじを入れる手術が1時間20分かかってなされました。40年前,盲腸を手術して以来の入院でしたが,麻酔のために下半身の機能が麻痺していて膀胱が破裂するぐらい小水がたまっても,一滴も出てくれません。その苦しみで一睡も出来ませんでした。ただ,病む人々の耐えておられる言葉では表現できぬ激しい痛み,苦しみを,そして,今日まで健康に恵まれていた私が,病院生活の大変さと,健康の有り難さを自ら体験ができたのは感謝でした。
5日間の病院生活を過ごした後,帰宅前にサンクトガーレン市の病院にいる次女サマラを訪ねて,26日深夜3時に生まれたばかりの2番目の孫娘,Latisha(ラテン語で喜びの語源)あゆみに対面してまいりました。2250gと小さめの,鼻が大きめで,小麦色の肌の日本人的な顔立ちの可愛らしい子で,しばし自分の事故も傷の痛みも忘れ見入ったものでした。出産にあたり,胎児の成長が遅く,栄養がへその緒を通じて十分に補給されない(栄養補給する2本のへその緒が一本しかなかった)など,難しい処置が必要な出産で,心配しましたけれど,その心配を全てを主に委ねましたが,主は最善をなし,元気な女の子を授けて下さいました。
その後,零下10度の寒気に覆われ雪と氷のなかにある農家に帰還できたときの安堵感は忘れられません。鎮痛剤のせいか,胃は不快感に支配され,まったく食欲もでず,2日間何も食べられずにいましたが,家内がスーパーで見つけた生鮭一切れを持ち帰ってくれたので,焼き鮭にして大根おろしと白いご飯とともにいただきました。やはり私は日本人なのですね。洋食は全く胃が受け付けてくれなかったのに,日本食はちゃんとお腹に収まってくれ,久しぶりに生きた心地がしたものでした。
現場復帰までまだ長い道のりでしょうが,頑張ってリハビリに励んでいこうと思っております。
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