正平22年(1367)3月後村上天皇が三木重村の忠節を聞し召したので,三木重村宛感状の綸旨である。
館は武家の邸宅を意味する。紙は薄いねずみ色のすきがえし紙で,鎌倉時代からは綸旨を書くのに使用された宿紙である。
(訳)
忠節の次第聞し食(めさ)れおはんぬ,尤も以て神妙,
いよいよ其の節を守るべし,
者(てへれば),
天気かくの如し,之をつくせ 正平廿二年三月廿三日 左少(花押)
三木太良左衛門尉館
この綸旨の1カ月後の正平22年(1367)4月29日南朝方は,葉室光資を幕府に派遣して講和を議するが,足利義詮(よしあきら)は同意せず不成立に終わっている。
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寝物語のその後
祖母が語った阿波の民話(終章)
天羽 達郎
私が東京にいた頃,勤め先は東京で住まいは埼玉県,という人が大勢いた。いまでもそうだがこれを埼玉都民と言った。私も30代はそのひとりで,所沢市の外れの方にいた。百姓のあばら屋を借りていて裏庭が広かった。裏庭のすぐ先には狭山茶で知られるお茶畑がつづいていて,冬が来るとそこから上州下ろしの空っ風が吹いてきて寒かった。子供たちとふとんにくるまって寝た。風のゴーゴーいう音を聞きながらもふとんの中は別世界だった。そこで祖母と同じようにおとぎ話を始めた。さすがにえげつないセックスに関する話は聞かせる勇気がなかった。「おむすびころりんすっとんとん」とか「舌きり雀」とかありきたりの話を全部したが種が尽きたので,「日本の民話100選」という本を買ってきてこれをネタにでたらめの脚色をして延々と話をした。毎晩長々と話をしていたら必ず子供が笑う場面があった。それは「屁ひり婆さん」のうんこがぼたぼたと落ちたというところであった。後年子供にそのことを話したら,よく覚えているという。毎晩その場面がでるのを今か今かと待っていたそうだ。そしてそこのところが来るとやっとでたかという感じで,そして安心して眠れたそうだ。
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大腿骨骨折という考えてもみなかったアクシデントに見舞われてから,今日,3月22日で2ヶ月を数えます。
この日の出来事を,私は生涯,決して忘れることはないでしょう。
クロスカントリースキー中の一瞬の出来事でしたが,自分の脚が180度捩じれたまま,微動もできず,スキーも外せないといった,自分の脚でありながら自分のものではないような奇妙な感覚がいまでも蘇ってきます。一見,危険や事故には無縁で,いわば,熟年向きのスポーツに見えるクロスカントリースキーですが,体力もかなり必要ですし,傾斜地では,あの細いスキーでは速度のコントロールは全く効かず,ゲレンデスキーと異なり,倒れたとき自動的にスキーは外れてくれず。それゆえ,一見安全なスポーツがとんでもない大怪我にいたるという落とし穴を自ら体験した訳です。
警察庁長官をされていた元スイス國松孝次大使は,15年前オーム事件が社会を騒がしていたとき捜査指揮を執っておられました。その折り何者かに狙撃をされ,瀕死の重傷を負われました。
手術後,麻酔の後遺症で,膀胱が溜まった尿でパンパンに張っていても,一滴の小水もでなくて,七転八転した私の体験を書き送ったところ,
「私の15年前の大手術は,皆さんから大変だったでしょうと言われます。確かに大変でしたが,うまい手術をしていただいたおかげで,それほどでもなかったような気がします。ただ,手術のために尿道内に留置したカテーテルを抜いた後,尿道狭窄になり,一時,小水がまったく出なくなったことがあります。いや,その時の苦しさは,今思い出してもゾッとします。あの苦しみは,体験したものでないと判りません。松林さんと私は,あの苦しみを共有する戦友同志ですな!」
という返事をくださいました。
2ヶ月経った今,室内では杖無しで移動できるようになりましたが,未だ痛む怪我をした左脚をかばうように脳に刷り込まれているのか,ロボットか,おもちゃの兵隊のようなぎごちない動きをしている自分に気づき,苦笑しております。
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すべての思いを家族に 66
忙しいは禁句 田上 豊
私達は毎日忙しい,忙しいと言って居ます。忙しいと言うと皆さんが同情し物事をお願いしなくなります。大事なことで忙しくしているのは良いとしても,どうでも良いことで忙しい忙しいと言って,人から頼まれた物事を回避していることがあります。
忙しいと言うことは実は自己中心で恥ずかしいことなのです。
忙しいと言う漢字を解剖すると心が亡ぶと書くのですね。心が滅んでしまっては,人への思いやりどころではありません。もっとゆとりを持ちたい物ですね。
私達には子供をより良く育てる義務が有ります。それは子供達が周りの人達に良い影響を与える人になることです。親が忙しいと言って周りの人から逃げていれば子供もその後ろ姿から同じ様な事をするでしょうね。代々人様の役に立つような人間に成りたい物です。
人は心に余裕がいるのです。善い事に繋がるのですね。忙しいは禁句です。
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私は,阿波のいのちのひとつとして,この国が良くなっていくように,世界が地球が平和であるようにという思いで,同じ志を持つ仲間たちと共にあちこち導かれるまま,お祈りに参っています。
それは私が私であるためにとても必要なことで,喜びでもあります。
この間は,伊勢熊野に参っていました。そして目的地の一つのとある山間で,「朧月夜」という歌を,歌いました。私は参った先で歌を,自然に感謝しながら讃える気持ちで歌うことが喜びでもあります。お祈りに参る少し前から思い浮かんでいた歌でした。一番しか知らなかったので,二番,三番は自分でそこへ向かう道中,ふと思いつくまま歌詞を作り歌ったのですが,歌う中で鳥たちがさえずって応援してくれたこと,夕日と夕月,山々の大自然が耳を傾けてくれたこと,仲間たちと,お祈りで一緒に回らせてもらえることを心から感謝しました。その歌をここに書こうと思います。
菜の花畑に 入り日うすれ
見渡す山の端 霞(かすみ)深し
春風そよふく 空を見れば
夕月かかりて 匂ひ淡し
いのちの限りに 何を見ても
愛しや 睦まじく生きる人も
春はすぐそこ 萌え出ず緑
楽しき輪となりて集う我ら
天地の恵みを 受けて祈る
この世の平和と目覚めの光
手を取りひとつに 地球と共に
いのちを讃えて 愛を歌え
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