古事記古古道をゆく     鶴留 真由美

 徳島ツアー帰宅後,早速,家族に素晴らしい出会いを報告し,波阿波の冊子を見せました。娘がすぐに読み始め,感動しておりました。特に巻末のドクターの記事と編集後記・波阿波の発行趣旨に感銘を受けたようです。時として,自信を失い,ネガティブな言葉をよく吐く娘です。心の底では前向きに生きたいとあがいている逆の表れだと思います。
 その娘が波阿波に啓発されて,“私も書いてみようかな!?”と言い出しました。
 さて,どんな思いを書くか楽しみです。

周りを見回せば   鶴留 百合恵

 決して人の悪口を言わない友がいる。そういう人は誰からも愛されている。
 自分のことは二の次で,相手を一番に思って行動している祖母がいる。そういう人は人徳があり周りからも大切にされる。
 アクティブで常に前向きな母がいる。遥かに私よりもキラキラ輝いていて,歳が若い私の方が元気をもらう。
 決して愚痴や弱音を吐かない父がいる。
 私は自分の不安をすぐ人に言って,周りまでもを不安にさせてしまう。口に出さない勇気,強さは素晴らしい。
 他にも尊敬する人がたくさんいる。皆から刺激をもらう。一度しかない人生,充実させて幸せなものにしなくては。
 では幸せって何だろうと考えた時,私は人から感謝されてありがとうって思われることだったり,人に必要とされていることだったりする。
 私も誰かに良い影響を与えられるような,尊敬されるような人間になりたい。

人生の本末に関する原理   近藤 隆二

 法学博士廣池千九郎先生は,「人類実生活の本末に関する原理を発見して,人間の最高品性完成の方法を学問的に確定することができました。」と「特質」と言う本の中に書かれています。
 「人類の生存,進化,安心,平和,幸福を実現する根本原理がすなわち人類実生活の根本であり,その根本は最高道徳を実行して得た人間の最高品性であります。」とも説かれて,「学力,知力,体力,金力,権力など,すべて人間の力は人間生活の要素ではありますが,もともとそれは枝葉のものであって,人間の品性を行使する場合のおのおの一つの機関にすぎないのであります。」と人生の根本と枝葉のこと,すなわち何が本で何が末かと言うことを説明されています。
 聖人の教えも「天爵を修めて人爵之に従う」と言われて,天爵すなわち人間の最高品性を修めれば,人爵(地位,名誉,財産)は自然に之に従ってできてくる。と教えられ,「大学」の第一章にも「修身斉家治国平天下」を説かれて,天子よりもって庶民に至るまでいつにこれ皆身を修むるをもって本となす。その本乱れて末治まる者はあらず。
 英国のサミュエル・スマイルズの「品性論」の開巻第一に,「品性はこの世界における最も偉大な原動力の一つである。」と述べてあります。
 人生の幸福実現は最高品性をつくることが本である。本を立てれば末おのずから立つことを教えられました。

人が「しなければならない事」    山田 章

 人として「してもよいこと」「してはいけないこと」「しなければならないこと」。過去40年間「心」より「物」の時代に生きてきた。今の私達は,この「人として」のことがわからなくなってしまったのであろうか? 誰がいつどこで「してはいけない事」に走るかもしれない現実が常に目の前にある事を新聞やニュースで知る。私だけの問題ではない!!
 多くの人々が,先代から学べるはずの「人として」のことを,その親である先代から学べないまま育って来ている現実に反省がある。その中に「人として」の此のことを,自分の責任として深く思う人が少なくなってしまったのか,人の心を正しく導かねばならないこと,その思いが強くなる昨今です。此のことに気付く事は,大自然の生々化育される働きの中に自分を置く事であり,大恩に報ゆる事であり,自覚と,自律が生まれた時「しなければならない事」の信念が沸いてくる所です。
 大自然の恩恵の中,生々化育している働きの恩恵に報ゆる事の責任は自己の心の希薄であった事を73年の人生を顧みて思っております。此の反省の上から,嬉しい,楽しい,幸せ,愛している,大好き,ありがとう,許します,この言葉や行動の中に共通する「感謝の心」がありがとうと云う心であり,自分の人生すべてであってよい。今思うに,宇宙自然の法則どおりだったことが,いまだからわかります。
 過去の事すべてを受け入れる。
 現在のすべてを受け入れる。
 末末のすべてを受け入れる。
 感謝報恩で受け入れる事が幸せの基となって来ている。

覗覘 ( してん ) 魏志倭人伝(8) 山田 善仁

 ◎「 ( ) ( ) ( ) 国」と言う国名の意図する記述。
 「魏志」に著した箇所。
 ○倭は ( もと ) ,百余国,今使訳通ずる所三十国。○郡より女王国に至る万二千余里。○奴国は女王の境界の尽くる所なり。○女王の都する所,邪馬壹国。○倭の地を参問するに周旋五千余里。○卑弥呼は倭国の女王である。
 「後漢書」に著した箇所。
 ○大倭王は郡より万二千里の邪馬臺国に居る。○奴国は倭国の極南界。○倭の奴国は,漢の光武帝(25〜57在位),安帝(106〜125在位)の時朝貢。○桓帝(146〜167),霊帝(167〜189)の時,倭国乱れ,のち卑弥呼を共立。と著している。
 故に,大倭王の女王卑弥呼が居る宮殿の在る所は,郡より万二千余里(約521km)の女王国であり,奴国であり,邪馬壹国であって,倭国(三十国)の首都である。
 この時代のみ,国名を ( ) ( ) ( ) 国と呼んだのはなぜであろうか。
 この時代の最高実権者,将軍 ( ) ( ) ( ) (司馬仲達)に由来されないだろうか。
 中華の思想で,漢民族の名字は一文字を基本とし,二文字は元, ( さい ) ( がい ) 民族(帰化人)を表わしていた。だから司馬懿は後に, ( ) ( ) と呼ばせている。
 馬懿は,己の力を誇示する為に,冊封した倭国(首都奴国)を己の字「 ( ) 」の ( ) をとって,「 ( いつわり ) ( ) ( ) ( くに ) 」で ( ) ( ) ( ) 国と呼ばせたのかも知れない。 ( ) ( ) ( ) の宗女,後の女王 ( ) ( ) も「 ( ) ( あた ) える」,と思えないだろうか。
 藤原鎌足親子が,蘇我抹殺以後,天皇に接近し政治の中枢に喰い込み,天智天皇の子,弘文天皇(大友皇子)を補佐する立場であるのに,大海人皇子(天武天皇)のクーデター側に組入り,天武の世以来,政治を我が物にし,「古事記」「日本書紀」を著し,己を正統化したのと依く似ている。