本部講座で学んだこと    近藤 隆二

 8/10〜15(5泊6日)柏生涯学習センターで原典研究講座を5年ぶりに受講いたしました。廣池千九郎博士は「慈悲の心を育てる」には聖地(霊地)が必要である。語録のP226に霊地について「本当に人間を助けるという霊地は,やはり人を本当に助けたいという神に通ずる人間の至誠が基礎になって,人心救済の真心というものが一木一草の中に植え付けられていなかったら,人を助ける霊地にはならん。不純なものがちょっとでもあってもいかん。」と書かれています。本部と谷川はこの精神で建設されました。
 鮭の塩抜きをするには塩水に鮭を浸すと塩分が抜ける。同様に人間の慈悲の心は,慈悲に溢れている霊地へ行くと慈悲の心を引き出される。同質のものが引き出されるという自然の法則である。原典研究の意義を鷲津徳三講師が「道徳の実行は自分のために」ということを徹底的に教えて頂きました。格言にも「他を救うに非ずして己を助くるにあることを悟る。」と自分のために実行することを学んでいます。
 昭和12年11月10日に谷川で廣池博士が「暇あれば原典を読めよ,原典を読めよ」と門人に方に言われたとお話があり,又道徳科学の論文を読むと「皆仲良くなる」とも言われたそうです。開講挨拶に池辺センター長から論文には博士の感化力があると言われました。「論文は私たちの品性完成と私たちの家の万世不朽の家運を祈って書いて頂いた本です」とも言われました。

「朝に道を聞けば,夕べに死すとも可也」の
心境となった。
                山田 章

 「幸せとは」最近,よく自問自答している言葉です。幸せとは我が身の上に起こる事,すべてを丸ごと喜び,又丸ごと感謝して受け入れられる事だと思う。(丸ごととは自己の人生を生れてから現在迄を顧みての事)
 一昨年の夏に大病をして,今は丸ごと反省して,元の健康以上に元気に回復している近頃です。
 今日は此の気付きました事を乱文ですがご報告致します。
 一つは家内に献身的な介護をして頂けた事,又身の回りの関係してくれた人々のお陰で,今日有る事に計る事の出来ない恩恵を感じ感謝が出来ます。
 もう一つは,大自然の恩恵に生かされている事に感動と感謝が生まれる中,四つの恩系の柱に気付いて来ました事です。
 一つは国の恩,二つは親の恩,三つは此の事を教えて頂いた恩と,次に生活の上で社会的恩恵であります。
 私は此のモラロジーを人生の指針と決意したのは19歳の時でした。それから54年后に,一つは楽天的にモラロジーを信じ,一つは全てを感謝するとは自分にとってマイナスでも天が与えた恩賜的試練と感謝する事だと先輩に教えられて来た事,その事が,一つは人生丸ごと顧みて,自分自身を感動して受け入れる事が出来る事,此の事は,全てが結果の生活であり,今日積み重ねた事が,未来を開く事を信じ,神を信じ, 敬虔 ( けいけん ) (うやまいつつしむこと)と 畏敬 ( いけい ) (おそれうやまうこと)の念の中に自分の生涯を持ち続ける事が幸せであり,此の恩に報いる心こそ,継続の力と為すと信じます。

中学生になって     相原 詩恩

 中学生になって6ヶ月たち,中学校にもだいぶなれてきました。部活の陸上もがんばっています。そのおかげで少しは速く(?)走れるようになったと思います。「中学生になったんだな」と思えるようになりました。先輩と同級生とのちがいができとまどっていましたが,今では友達もたくさんできて,仲良くなった先輩もいます。これからいろんな行事(テストとか…)があるので楽しんでいこうと思います。

北の珍道中(3)   山田 善仁

 墓参りを済まし,一旦母の実家近くのホテルへチェックイン。部屋に自分の荷を置き,直にタクシーで実家へ。
 庭の花を観る者,撮る者,お気に入りの草花,黒曜石を見つけてはねだる者,様々で勝手気ままは切って落とされた 黄昏刻 ( たそがれどき ) 。一息ついて全員お家の中へ。御先祖様のお仏壇に全員合掌。そしてご馳走が並んだ部屋に着席。
 先ずは,北の大地遠軽に大勢で無事に来られた事に,限定の地ビールで乾杯!! 簡単な自己紹介を済ませ,北の珍味に舌鼓(字の如くペチャペチャ,モグモグ)。
 オホーツク海側の湖でしか獲れない甘海老,ホタテの刺身,煮付け,天麩羅。またハッカの天麩羅は初めてで有る。
 どの顔もニッコリ,動く動く箸と口。美味しい料理に酔いも廻り,心も溶け合って,先祖の歴史に心当たりはみな ( しゃべ ) り,否定に肯定……うんうん。
 今宵は二度と無いであろう,耳を ( つんざ ) く夜中の蝉時雨( 皆皆 ( みんみん ) ゼミ?)。♪♪喋らな損,損……?? カメラマンも超忙しい!

「美織ちゃんの誕生会」
文・絵  幼稚園 年中組 澤田優志

今日は,パパもママもみんなお休み。

「さあ,美織ちゃんの誕生会を始めよう」

美織ちゃんは,お花がついたドレスを着ています。
太陽もお月さまも来てくれました。

パパは,美織ちゃんに絵本を読んであげています。
ママは,チョウチョの服を着ておどっています。
お兄ちゃんは,バナナを食べさせています。
カメとカタツムリは,美織ちゃんを守りに来ました。

「美織ちゃん,1才のお誕生日おめでとう」

美織ちゃんは,「ありがとう」って喜んでいます。

おしまい。

☆平成22年9月6日,美織ちゃん1才のお誕生日おめでとう!!☆

ゲゲゲの女房(続)   石渡 修司

 先月(9月)号で,「ゲゲゲの女房」と題して,母のことを書いたのだから,今回は,私の連れ合い,女房のことを書かないと,釣り合いがとれないだろう。世の中,バランスが大事だと思っている。
 末娘が私に言った「お父さんは,お母さんに注意されることはないんだ。私は,歩き方一つで,うるさい歩き方はしないのって,言われるんだよ」と。確かに,子育てに忙しかった頃は,子どものことで手一杯で,私のことまで,目が行き届かなかった。だから,娘から見れば,そう思われてもしかたのないことだ。
 ところが,今や,ほぼ子育ても終わり,夫婦二人だけの生活に戻ってみると,いやでも目に付いてしまうことになったはずである。髪の毛が薄くなったことも,櫛を入れずにいることも,足元の靴が磨かれていないことも,改めて見てみて,驚いているかもしれない。今さらという感もしないではないが,牧師という他人さまの目にさらされる務めとなると,そうも言っておれない。自分が恥をかくのは好いとしても,相手の印象を損ね,その方が持っておられる牧師像を壊してしまうのは申し訳ない。
 連れ合いだけのことではない。彼女自身もほかの人から期待されている。その期待にこたえるべく,努めてくれている。ありがたいことだ。この不機嫌が蔓延している世の中で,機嫌良く生きていくのは大変だ。しかし,彼女はゲゲゲの女房よろしく,人さまに不機嫌さを出すことはない。人を喜ばせ,人を元気にすることに,一生懸命がんばっている。信仰がなければ,こんな生き方はできないと思う。また,信仰があるから,こんな世の中でも生きていけると言っているのだ。
 年間20万組の夫婦が離婚していると言う日本,夫婦でいられると言うことは,なんと幸いなことであろうかと,つくづく思わされる。
「しっかりした妻を誰が見つけることができよう。彼女の値打ちは真珠よりもはるかに尊い。夫の心は彼女を信頼している」箴言31:10(新改訳)