「ぴょんぴょんうさぎ」
文・版画 鳥取第一幼稚園 年中組 さわだゆうし

あけましておめでとうございます

今年の年賀状には,この「ぴょんぴょんうさぎ」を版画にしました。
版画をほっている時に,彫刻刀で指を2回切りました。
ママにばんそうこうを貼ってもらって,最後までほりました。
きずは,1週間でなおりました。

今年は,幼稚園でみんなと給食をたくさん食べて,
すきな戦いごっこや砂場で川作りをがんばります。
習い事では,柔道の受け身と背負い投げの練習をがんばります。
家では,キャッチボールの練習と絵をかくのをがんばります。

みなさん,今年もよろしくお願いします。

すべての思いを家族に 75
虚と実            田上 豊

 この世,今(2010年)は虚が実を振り回している時代です。
 全ての事柄に偽装問題,消費期限,多くの偽りが,まかり通って居る時代です。
 精神作用と行為で人生は変わる。教えは善いのですが,理論武装した我々は理論が実行を押さえ込んでいる。(虚)実行しないのに(実)幸せを振り回しているのです。実は付いていないのです。
 心,精神が出来ていないのに,実行が出来ていないのに知っただけで実行が出来たと錯覚しているのです。実行は何処へ行ってしまったのでしょう。
 私達は金持ちに成りたい幸せに成りたいは,自分を省みない自己中心です。
 私達はどうしても自己保存の本能から脱却することが出来ません。本能の脱却は相当な訓練と強い意志が必要です。
 自分を表現するのに「有るがままを,有るがままに」しか出来ないのに,偽りで少しでも自分を良く見せようとするのです。これは偽りですから苦しく,辛く苦悩するのです。良く見せても相手には自己中心の心を見抜かれているのです。
 あるがままの自分を表現するのは普段から有るがままの自分を出すように訓練して置くのです。この心,精神作用も訓練には手間,暇を掛けるのです。
 商売も家庭も家族にも手間暇をかけて育てていくのです。手を抜くと駄目なのです。人間は楽をしたがるのです。
 家族とのキーワードは共生とすべてのケアーでしょう。

K W          室伏 聖司

 見えるところは見なくていいと思うようになりました。見えないところを見るようになりました。見えるところの世界の人,見えないところの世界の人と付き合い方を変えようと思うようになりました。
 空気が読める人,読めない人が流行りましたが,人の気持ちの痛みがわかる人,わからない人がいます。前者が日本の古からの国民性ではないでしょうか?

2010年を振り返って(1)     松林 幸二郎

 粉雪の舞う世界を窓外に眺めながら,あと一週間で過ぎ去ろうとする,予期もしなかった“激動の年”であった2010年を,私は驚きと感謝の念をもって静かに振り返ります。
 1月22日,カントリースキー中に転倒事故を起こし,大腿骨骨折という負傷を負い,生まれて初めての入院生活を送り,その後、2ヶ月にわたり自宅療養生活を余儀なくされた事は,その激痛とともに生涯忘れる事はないでしょう。同時に,病み傷いた人々の心や,病院生活の難儀さを,痛みとともに追体験できたことは幸いであったといえます。
 そして,その事故の四日後に誕生した2番目の孫となる,次女の娘“あゆみ”の愛らしい生命は,手術後の苦しみと痛みをどれほど和らげてくれたか,感謝の念をもって振り返ります。そのまっ二つに折れた左脚も癒されつつあり,夏から秋にかけて,6時間を越える山登りを3度出来るまで回復したことは,まるで奇跡をみる思いです。
 そして,春に職場復帰を果たしたものの,6月には,そこに何が待ち構えているかを全く知らず,“アブラハムに倣って”新しい職場に移りました。そのいきさつは,定年を2年後に控え,人の目には愚かとも冒険ともみえる決断でした。新しい職場であるグループホームの立ち上げに参画した私たちですが,そこに待っていたのは,複雑な過去と,深い精神的な傷と障害を背負い,暴力癖と知的障害を併せ持つ,男女5人のティーンエイジャーでした。自ら3人の娘を育て,村でティーニクラブを6年間やってきた経験から,ティーンエイジャーの何たるかは理解していた私たちでしたが,その仕事の困難さと肉体的精神的疲労は想像を凌駕したものでした。

(以下次号)

ジョギング三点セット  石渡 修司

 朝夕にジョギングを始めて,約半年過ぎた。超猛暑の夏を乗り越え,厳冬の中をひたむきに走っている。ジョギングは,夏より冬がシーズンのようだ。ジョギンガー達の服装がさまになるのも冬である。ジョギンガーとウォカーの違いが服装で分かるのも,この季節だ。
 ジョギンガーは,まず履いている靴がジョギングシューズだ。しかし,最近の靴はよくできていて,ジョギングシューズもウォーキングシューズも同じだ。スニーカーの人もいる。通勤用の革靴ではないということだけになってしまった。
 次が手袋を着用していることだ。軍手から革手袋まで,多種あるが,必ず着用している。
 最後が,帽子だ。夏に帽子は分かるが,冬に帽子とは奇妙に思う方もおられることだろう。この帽子こそがジョギンガーのしるしなのだ。なぜか,私も自分が走ってみるまでは分からなかった。分かってしまえば,なんということがない。答えは,単なる習慣だ。帽子をかぶらないとジョギングの気分に入れない。帽子をかぶった時,「さあ,走り出すぞ」と,気合いが入るのだ。ウルトラマンがメガネを掛け,変身するように,帽子をかぶって,ジョギンガーに変身するのだ。
 この三点セットを着用している者はジョギンガーである。だから,ジョギンガー同士は,すれ違う時,挨拶する。「おはようございます」(心の中では,「あなたもジョギンガーですね」)と,励まし合う。冬の寒さに震え,夏の暑さにへたりながらも,走ることができるのは,そんな仲間がいるからである。
「ひとりよりもふたりが良い。共に労苦すれば,その報いは良い」コヘレトの言葉4:9