無酸素運動        芝山 靖二

 有酸素運動は無酸素運動に比べて,身体に良いと一般的に言われるが,確かに心肺機能を高めたり,ダイエットに効果があったりするのは有酸素運動である。
 では無酸素運動(短距離走,筋トレ)は必要ないのか? とんでもない。歳を取って筋肉を全然鍛えないと,筋肉量が若い時の半分以下になると言う。筋肉量が減ると,基礎代謝量が減って太りやすい身体になり,又畳の縁にけつまずいて転ぶ様なことになる。第一身体に良いとされる有酸素運動が筋肉を付けないと十分に行えない。又有酸素運動(水泳,自転車,ジョギング,散歩)では,筋肉はなかなか付かない。
 私の工場の近くに上水道のタンクがあり,水圧を確保するために山の上にある。そこに200段の階段がある。そこを一段飛ばしで100回で上がる。始めたころは70回目ぐらいから足が動かなくなっていた。今では上まで上がって半分まで降りて又上がれるようになった。その内二往復できるようになりたい。60過ぎても,筋肉は鍛えれば付きます。
 もうこの年になってなんて言わないで,ゆっくりやる筋トレ,スロートレをしてから,有酸素運動におでかけください。

ありがたいのでございます   石渡 修司

 落語を聞かない日はない。毎晩,桂枝雀師匠の落語を聞きながら寝ることにしている。飽きずに毎晩,同じ噺を聞いている。何度でも聞くことができるところが枝雀師匠の凄さだと思っている。
 この「ありがたいのでございます」という言葉は,噺の本題に入る前の部分に出てくる。「ありがたい」という言葉自体,最近耳にしなくなったように思う。「ありがとう」と同じような言葉だが,微妙に違うように思う。「ありがとう」は,どんな場合でも使われる単なるお礼の言葉であるのに対し,「ありがたい」という言葉には,気持ちが込められているように感じられる。「そうなんだ,ありがたいことなのだ」と,「それほど喜んで,受け止めているのか」と,相手の気持ちが伝わってくる。
 先日,教会のひとりの子がバプテスマを受けた。その時に,自分の信仰決心を「信仰告白」という形で話してもらう。その子は,「イエスさまが自分のために十字架に架かって死んでくださったことはありがたい」と言い表してくれた。教え子に教えられるということを経験した。「ありがたい」という言葉はこのような時に使う言葉なのだと改めて教えられた。
 しかし,私は,これをあえて違う言葉にしてしまった。「嬉しい」とした。それは,ありがたいと言って,仕舞いこんでしまうのではなく,嬉しくて,ほかの人にも見てもらいたくなるような気持ちになってほしいからだ。しかし,「ありがたい」が持っている「尊いこと」の意味は大切にしたいと思った。だから,「ありがたい」と良く言ってくれたものだと,今でも,感心している。
 「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」(ヨハネ16:16)
 この子は,この聖書の言葉を自分に当てはめることができたのである。だから,「ありがたい」という言葉が出て来たのだ。負うた子に教えられる良い経験をさせてもらったと嬉しく,感謝した。

おもてで遊びなさい   石渡 路子

 「うちの中にいないで,おもてに行って遊んできなさい」と母に言われた頃が懐かしい。今,子どもたちがおもてで遊ぶ姿を見ることができるでしょうか。おもてで遊ぶことができない時代になってしまいました。道は車が走るためのもので,遊ぶためのものではなくなりました。おとなは何をするか分からない危険な存在になってしまいました。おとなに話しかけてもいけないし,おとなから声をかけられても無視しなければいけません。
 だから,道で子どもたちの遊ぶ姿を見ることができるなんていうことはもうあり得ないことだと思っていました。ところが,先日,教会の方を尋ねた時,教会のキャンプや教会学校に来てくれる子どもたちが道で遊んでいるではありませんか。ここには,まだおもてで遊ぶ子どもたちがいるのだと嬉しくなりました。きっと,ここの住民の方々の人間関係がしっかりしていて,目が行き届いているのでしょう。安心して,遊ばせることができるのです。子どもたちの遊ぶ声が道から聞こえてきます。ずっと以前に忘れられた情景が目の前にあって,懐かしさに胸が温かくなりました。生物の希少種が話題になりますが,風景にも,それは当てはまります。残せない風景があります。残念ですが,私たちおとながそうしているのです。益々生きる喜びが失われていきます。仕方のないことです。だからこそ,失われていくものは目に見えるものだけではなく,目には見えないもの,心を豊かにするものまで失われていることに気付き,知恵を働かせたいものです。
 イエスは言われた。「子どもたちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである」(マタイ19:14)
 子どもたちが元気に遊ぶところには,神の平和が現われています。そう思いました。

家内の病気で思う事(1) 山田 章

 平成22年11月の昼下がり,風の強い一日であった。いつもの様に鳴門内の海運動公園のすばらしいグラウンドで,家内とランニングをしていた。私は,グラウンドを一周した。家内は,今日は疲れが酷いから半分にして置くと自分から云い出した。弱音はめったに云わない負けず嫌いの家内である。翌日,病院へ行った。検査漬けの時間が何日も無闇に流れた。12月の末になって,左肺に十円玉程の影が有るとの事だった。主治医に勧められて,徳島医大で県下に一台しか無いペットCTの予約を取る事が出来たのが,年明けて1月の中旬であった。その結果,お腹の中にリンパ節の腫れがある事がわかった。それも悪腫であった。癌であるとの事であった。私と娘と家内の妹は,悪性の癌である事に愕然となった。正月と云う長期の休み,順番とは云え徳島医大でのペットCTの結果報告が治療の時間を無視するかの様な対応に娘婿は怒り出して,1月31日には医大の方へ移籍する手配を進めた。2月2日,大切な時間を使って,娘と孫と家内と私,4人で「心の気晴らし」に外出をした。その日の朝,家内は体調が少々悪かった事に私は気付いていなかった。家を出て数時間後,家内は急に歩く事が出来ない程の腰の激痛に襲われた。徳島医大へ緊急の手配をして,幸いにも2月4日に医大で救急治療に入る事が出来た。主治医の指示で,リンパ腫の知る為に検査手術に入る事になった。一週間が流れた。何週間も待つ思いで,その検査結果を待った。多くの職員の方々の必死な検査があり,東京中央での結果は,濾胞性のリンパ腫であって,非常に進行の遅い種類のものである事が判った。此の頃でした,私達に大変いやな言葉が掛かって来た。それは,「関係者を集めて下さい。」と云う事でした。私は覚悟の時間を過ごした。本人にも「告知」する事となった。そうして肺の治療から急ぎ進めて行く事に方針が決まった。2月も末になってであった。4回に渡っての放射線治療に入った。コバルトでの焼手術は本人は大変苦しんだ。3月6日に最終回が終わった。翌日になって,病院側の都合で今後の治療を鳴門病院でする様に勧められた。理由は,次々と重要患者が待っているとの話であった。3月9日から又,元の鳴門病院での検査治療の日が続いた。3月27日になって第1回目の抗癌剤治療に入った。治療の予定は1ヶ月に1回で,6節に分けて半年の長期の予定です。今は,3節目の入って来ております。家内の体は連続の痛みに耐えられるか,替ってやりたい思いが今も継ぐ毎日です。

ご当地ヒーロー! 氷列神ゼルバイン   長井 宏一

 徳島のご当地ヒーロー!氷列神ゼルバインさんを,ご存知でしょうか?
 蒼竜神マヴェルのヒーローショーに悪役として登場してるキャラなんですが,このゼルバインさん,軽妙なトークが,お笑い芸人さんみたいで面白いんです!
 ヒーローショーの会場で,いろんな人に声をかけて,終始,和やかなムードにしてくれます。何度か,この姿でラジオ番組にも出演し,爆笑トークも炸裂しました!
 街でゼルバインさんを見かけたら気軽に声をかけてみて下さい。きっと笑える一言を返してくれるかも?