昨年のはなまるバンドコンテストでグランプリに輝いた,sasanqua(さざんか)をはじめて知ったのは,FMのラジオ番組でした。
 福富弥生さんの透明感があって,優しく包んでくれるようなヴォーカル&キーボード,どこかせつなく,感傷的なギターのメロディが印象的な長岡章二さん。
 そんな二人の魅力がいっぱい! Sasanquaのライブを見て,感動しました!
 1st CD「I’m cat」お気に入りでよく聴いてます。これからもライブで素敵な歌を聴かせてほしいです。


福留弥生&長岡章二(sasanqua)

すべての思いを家族に 82
無垢
              田上 豊

 人は産まれたときは汚れが有りません。何にも知らない赤ちゃんです。この綺麗な素を段々と変な色を付けていくのです。これは周りの大人達の責任です。特に親の感化力が大きな問題になってきます。最初は親達も一生懸命自分を犠牲にして育てているのです。子供も親の純粋さを受け止めて育ちます。
 問題は親の汚れた心です。もっと極端な言い方をすれば自分では気づかない自己中心の心が出てしまうのです。子供達はその自己中心を見習ってしまうのです。親が喜んで,人の為に成っていることをしているか等です。知らぬ間に自分は楽をしているのです。子供を自己中心で叱って居るのです。これで素直に育てと言う方が無理です。
 今からでも大人達が自分中心の汚れた心,垢を落とす訓練する必要があるのです。綺麗な水を注ぐとかです。洗剤で洗うとかです。美しくしないと困るのは親達です。子供は困らないのです。困る人の運命が悪いのです。親と子供は運命共同体ですが親・子の運命は完全に違うのです。親は思うように事が運びますが,子供は苦しい人生を歩む人もあります。
 この(2011年)の経済状況でも親と子は違うのです。子供達の方の苦労が多いのです。
 現実を直視したいものです。

神を認めて信ずる事とは!   山田 章

 M病院に移籍して3ヶ月が流れました。私は,家内の介護の間で,朝夕30分程散歩しております。病院から約1Km程の所に「宇佐八幡宮神社」がある事に気付き参拝をしました。
 その翌日の出来事でした。早朝でした。我家に用事が出来て病院を出ました。裏山の峠を越える道を行くと,20分の所を10分で帰宅が出来ます。その道に入る丁字路交差点で一瞬の不注意から,大事故に遭う所でした。私の運転「ミス」から,一時停止が出来ておらず飛び出していたのです。左右からの車が急ブレーキして止まって,間一髪で助かったのです。二人の運転手さんに深くお詫びして,その場は終わりました。
 昨日の宇佐八幡宮に参拝して来た事に気付き,お陰様で助かったのだと,深く神社に向って心の中でお礼を述べました。又,今迄に増して神仏を信じる事が大切である事を,意を新に致しました。
 最高道徳では,次の様に教えて頂きました。
 「神を信ぜざるものは,天命,すなわち天地自然の因果律を信ぜざる不逞の徒なり。かかる人物は他にいかなる善行あるも論ずるに足らず。後,遂に必ず滅亡する。」資料集24頁にあり。
 「神様のご守護は,ある人,ある事件に特別に加わるものではないので,人類進化の法則に ( かな ) える人間の精神作用および行為に対して,その善心,善行の分量だけその人の安心,平和および幸福,すなわちその人の進化を実現させてくだされることであるのです。」と神壇説明書15頁にあります。
 後日の事,丁字路交差点を通る時は,一般より高目の位置にある逆三角形の「止まれ!」の標識のある事を心して見る事が出来ました。
 神仏を認める事は,自分の人生を丸ごと認めて,自己反省して悪い所は悪いと悔い改めて,良い所は良いと素直に自分をほめて,今迄の生かされて来た事に感謝と報恩の生活に入る事だと思って,今日を頑張って来ております。

ハロ・ハワユ       相原 詩恩

 今回のイラストは,私が今一番好きな曲をイメージしながら描きました。
 このイラストを描いている時にその曲を繰り返して聞いたおかげで,歌詞も覚えてしまいました。


古事記の神々と神社(その一) 天田 弘之

 六月中旬三ツ木からの帰りに神山の神領, 上角 ( うえつの ) にある上一宮大粟神社を拝見した。神山町全地域を大粟山と称し,大粟上山と大粟下山に分れ,前者は近世の上山村(現神山町上分,下分),後者は近世の神領村,鬼籠野村,阿川村,広野村に比定されている。大鳥居を潜り長く広い坂道階段をゆっくりとのぼると 緑青 ( ろくしょう ) をふいた社殿の屋根が見えてきた。本殿の横に紺地に白抜きで「おおげつひめ神社」と記した旗が目についた。境内の右の方に神仏混淆の寺社が続いていた。階段両側の何百年の杉や桧の大木が,おごそかで厳しさと神秘性を深めていた。霊気とは身を置いて知る。
 次の日,旧名西郡地区矢野にある天石門八倉比売神社に登ってみた。昭和三十四年町内の郷土史家石川重平氏の案内で登って以来,五十二年目の拝観であった。気延の山裾は変わっているが社殿は殆んど変りなく,奥の院の青石を積んだ五角形の神陵などそのままの姿であった。天照大神が祭られ神社の由来を記した立看板は,古事記研究会作成のものではないかと思った。名方郡に天照大神と大宜津比売という内宮と外宮の神様が存在している事実は,古事記研究会の人が言っているように,私も阿波に生れた者として古事記を読み,古事記と阿波の関係を知らないといかんなと考えるようになった。「無知の罪」とソクラテスだったか故人のことばだが,知らねばならぬことを知ろうとしないのは怠惰であり,これも罪の一つだということだ。