風邪をひいた日    サイトウ シゲジ

十七歳の少年が賞金王になった日
五十六歳の失業者は
職安で仕事を見つけられなかった
二百人にも三億円が当たるというのに
妻はまだ一度も当たったことがない
末期資本主義のグローバル化だ
表面に現れたことだけが真実だ
賞金王の少年の今夜の夕食は
コンビニのおにぎりひとつだった
三億円に当たった人は
親戚があまりにも増えすぎるので
ノイローゼになり
訳も分からずガードマンを雇ったが
ガードマンは彼の金を持ち去った

アメリカからやって来た太った男が
NHKに出てこう言った
世の中の99パーセントの人が
たった1パーセントの人によって
人生の楽しみを搾取されている
人々は不安のために声さえあげられず
社会の隅っこでちぢこまって震えている
私は1パーセントは0.1になり
やがて0になるだろうと思っている
彼らは私の中にいる
彼らを殺すことは自分を殺すことだった

五十六歳の失業者は
職安で仕事を見つけられなかった
彼は家に帰って日記を書くだろう
今日は良い一日でした
仕事は見つからなかったけれど
町には緑が溢れ花が咲き
学校帰りの子供たちは
線路際の道でふざけあっていました
明日も今日のような一日でありますように と
表面に現れたことだけが真実だ
他のことはそれが好きな奴に任せておけばいい

ピアニストのジュリアさん       松林 幸二郎

 Juliaというピアニストの名前を初めて目にしたのは,8月4日から英国で開かれるヨーロッパ・キリスト者の集いの参加の準備中の6月半ば届いた,ケンブリッジ在住の友人から届いた英語のメールでした。
 作曲家,指揮者のブルガリア人の父,日本人ピアニストの母の間に生まれ,9歳のとき母をガンで失い,もともと結婚に反対だった生家を追われた後,言葉も分からぬブラジルに音楽の勉強に旅立ちました。8年間の留学中,2度までも死に瀕する病をえたが,奇跡的に回復し,母国日本の福島に帰りました。しかし,東日本大震災で全てを失った父親と家族は失意のなか父の祖国のブルガリアに引き上げてしまい,日本に残されたのは妹のみという,数奇な運命を辿った赤津ジュリアさんのことが記されていました。
 そのピアノを持たないピアニストのジュリアさんを我が娘のように愛し,自宅を解放して練習用のピアノを提供していらしているのが,京都の旧友の杉野さんです。その杉野さんが,ジュリアさんをともなって英国に来られるということを,そのあと知りました。
 ジュリアさんは大阪に住む妹さんと二人っきりの天涯孤独のなか,何もかも失ったいま,主のみに依り頼み,ゆたかな賜物で,自分と同じように全てを失った,悲しみの河を渡る同胞に希望と慰め,癒しと希望を届けたいと演奏活動をされていますが,その生き様に私は深い感銘を受けたものです。
 そして,キリスト者の集いのあと,ケンブリッジで東日本大震災の被災者へのチャリティーコンサートを開くが,いのちのことば社から出ている“百万人の福音”という雑誌の12月号のグラビア記事のために,コンサートの写真撮影と録音をして欲しいとの依頼を杉野さんから受けました。私は集いのあと,英国の友人夫婦を訪ねる予定でしたが,祈りの中で,ケンブリッジでこの依頼を果たすように導かれました。
 8月7日の古都ケンブリッジのエマヌエル教会堂での,満員の聴衆を前にした赤津Stoyonov樹里亜さんの,全て暗譜で紡ぎだされた魂を揺さぶるような素晴らしいピアノ演奏に,聴き入る英国人は感動で言葉を失ったようにさえ感じました。
 その夜の演奏を一部ビデオにしましたので,興味をもたれる方はご覧下さい。YouTubeで「赤津ジュリア」を検索してもご覧頂けます。
http://www.youtube.com/watch?v=x5H0dHReJrQ

伝えつたえて    琴江 由良之介

 八幡サンのお神楽に声がかかって……早い話,曳き手が足りない……紫の法被に黄の手ぬぐいのいでたちで,町内を練り歩いた。
 タカマガハラニィ〜 カンズマリマァ〜ス
 祝詞の響きには,仏の教えが入ってくる以前の長いながい歳月,先祖が生きていた,遠いとおい世界へと連れ戻してくれそうな,安心感がある。納得がある。手放しの説得力がある。
 御祓を受けて,いざ出発っ!
 翁の唄声が流れ出す。誰かが録音テープにしておいたのだ。
 道中,保育所に招き入れられて,七クラスもある,子供ら全員と,順番に記念撮影に興じるなんて場面も……。
 もし,半世紀経って,この児らにも,何か思うことがあればエエなぁ……なんてなりながら,辻から辻へ……。
 二日一緒にいると,誰もがひとつ氏子なんだ,そんな連帯が生まれていた。
 打ち上げに,声がかかるだろうか?

すべての思いを家族に 84
笑顔
              田上 豊

 笑顔って凄い力があるよね。相手の気持ちを和らげたり,優しさを引き出したりする働きがあります。「笑顔引力と笑顔無敵」と言う言葉が有ります。笑顔って使っても,使っても減らないのです。これが癖になれば,幸せが近くなるのは当たり前でしょうね。
 笑顔ってどうすれば,出るのでしょうね。心でしょうね。楽しいこと,嬉しいことなどは心から出るでしょう。
 原始の時代から類人猿は微笑みを見せています。これは貴方に従いますと言うサインです。
 笑顔って薬なのです。楽しい事も薬なのです。
 嫌いなことは毒です。嫌なことも毒なのです。
 楽しい事やうれしいことの時間を多く作れば良いのです。
 嫌なことや,嫌なことの時間を少なくなくするのです。その努力をします。嬉しい方が多くなることを実行するのです。
 これが道徳なのです。段々と自分の色を変えていくのです。

謎が解けない愛宕社境内の災禍について
  香具山地区十四社宮司 橘 豊咲

 橿原市南浦町西井区長より,7月25日昼頃電話連絡があって,愛宕社( 火防 ( ひぶせ ) の神を祀る)の境内全域に,亜熱帯植物の大木が枝を ひろげた ( ・・・・ ) 侭倒れていて,清祓いをしないと片付けも出来ないとのことで,7月28日 膳夫町 ( かしわてちょう ) の夏祭りが午後2時からあるので,当日昼頃にお祓いの約束をして,昼食を早く摂って近鉄八木駅で待ち合わせて,南浦センターで更衣を済ませて,12時40分頃愛宕社に到着して,原因不明の区長と,役員2人見えて清祓いが終わりました。原因不明の災禍が境内地に勃発した次第ですが,台風6号とも考えられず,竜巻が何処からか襲って来て中空から社の境内で暴れた訳でも無く,全く不思議な話で,15年間例祭日に,此の場所で例祭を奉仕して,山を見上げても倒木の恐れがあると考えられなかった。区長と二人の役員と私は天災とも思うこともできなかった。樫でも無く亜熱帯植物の北限は,桜井市初瀬の 與喜 ( よき ) 天満 ( てんま ) 神社の ( もり ) 全体にあるとの由,愛宕社の例祭は,8月23日午後3時と決まっているので,約30分前ぐらいから,南浦町 東垣内 ( ひがしがいと ) の氏子の婦人の方が,孫らしい幼女を連れて,直接境内に敷いてある 茣蓙 ( ござ ) の,坐り易い座席取りをするのが慣例になっている。境内入口の左側は緩い斜面になっているので,社と向い合わせになっている所を選ぶ人が多く,座席取りが始まる様なもので,席を確保したら,今度は重箱を持って社前の神饌を載せてある板,重箱を載せる所を探すのが通例になっているらしい。
 愛宕社の建物は三方を板張りにして,正面から拝むように一尺ぐらいの,硝子の無い窓の様にして,本尊(自然石)で,頭を撫で易く考えて作られたもので,拝む時,背の低い人や子供の場合,木の窓から顔面を覗き込むようにして拝むのである。屋根を取りつけてあるので,強い雨風の場合でも本尊が濡れないと思う。京都市左京区に愛宕神社があって,石段が,壱阡段もあると言うことを人から聞いている。戦時中に鉄道ケーブルが,参拝者の足の不自由な人達の為に便宜を図ったとのこと。
 兵器を造るのに撤去してしまったようである。
 本尊の自然石を見る限り,神仏混交の名残りの様に思われるのである。
 今度登頂した場合, 国常立 ( くにのとこたち ) 神社,たか 大神社 ( おおかみしゃ ) の二社に事の由報告しようと思う所以である。