国を守る         近藤 隆二

 平成23年9月12日あわぎんホールに於いて徳島県遺族会創立60周年記念大会が盛大に開催され約1000名の遺族が参加されました。
 第一部は記念式典,第二部は特別講演,講師は参議院議員佐藤正久先生より元自衛隊員として体験されたことを中心に「私達が守るべきもの」と題して50分間ご講演下さいました。
 平成16年にはイラク先遣隊長復興業務支援隊初代隊長として部下1000名の隊員と共に命がけで任務を遂行されたと言われました。
 出発の際,成田空港まで隊員のご家族が見送りにこられ,その中であるお母さんが「息子と最後の別れになるかも知れん」と言われ,記念に写真を撮られていましたが,手が震え涙で目は見えないのでシャッターが切れません。お母さんは息子さんが死ぬかも知れないと覚悟をされています。佐藤隊長は1000人の隊員を一人も死なせてはならない,全員祖国日本へ連れて帰るんだと決意を固められたそうです。怪我人はあったけれど全員帰国出来たと言われました。
 平素は国防の為,厳しい訓練を重ねられて,窮地に立っても冷静に耐えられるようにして国を守ることを念頭に置いていることを強調されていました。
 東日本大震災の大津波の後,自衛隊員が10万人も派遣され災害の後の72時間がリミットという事で生命が助かる確率が高い間に生命をかけ全力をあげて不眠不休で救助活動に活躍されました。
 国民が平穏無事の時は,隊員は歓迎されませんが,国民が困難に直面した時,必要とされお礼を言われ歓迎されます。しかしいつも国を守ることに終始しています。

南海トラフ地震,私が生存している内にくるか?
              芝山 靖二

 私の人生は,どうやら兵役には付かなくても良かったようであるが,阪神,東日本二つの大きな地震があった。でも私が生まれてから私の地元ではまだない。
 でも高知大学の岡村教授によれば,南海トラフで繰り返し発生してきた巨大地震は,684年から12回にわたって古文書に記録されていると言う。100年から150年の周期で繰り返しおこり,東海,南海,東南海の連動型は300年から350年で起こっている。
 海岸近くの湖沼の底にアルミパイプを深く差しこみ,津波堆積物を採取すれば規模,木片があれば年代全て分かるそうである。地球のマグマが活動(地球が生きている限り)している限り地球規模の時間で言えば,規則正しく鼓動しているようなものである。
 後30年待ってくれれば,私は遭遇しません。孫の事を考えれば90年。三連動型の宝永地震から304年,次の地震は三連動型の可能性が非常に高いと言う。
 地震は絶対に来ることは歴史が物語っています。この上は災害は防ぐことはできません。せめて人間知恵を出して減災を考えるべきです。地震があっても死なないことです。
 それにしても,福島第一原子力発電所,東北沿岸も繰り返し巨大津波の歴史があるのに,あの安全,安全を言う発電所が海岸淵の低い所につくつたものだと思います。せめて20メーター位の高台にあればなんでもなかったのに。

天は自ら助くる者を助く  山田 章

 私は六人兄弟妹の真中の三男として生まれました。地元の中学校を卒業すると,縁あって,千葉県の廣池学園に入学する事が出来ました。
 全寮制であって,終戦后の食事の事情が悪く,卒業する時には胃腸を悪くしました。
 しかし,幸せにも,学園で学んだモラロジーが其の後の人生の指針となったのは自然の流れでありました。
 26歳の時,結婚して夫婦養子となって,身内の一人暮らしをして来た,75歳になる山田延恵家に,入籍してから,人生のスタートを切りました。
 此の時,義理の母は,性格が非常に厳しく,その上,几帳面な方でした。
 私の生活は困難な日々が続きました。
 一年目にして私本人が体調を崩し入院してから,医者に十二指腸潰瘍と診断を受けました。急ぎ手術をして一命を取り止めました。
 しかし其の後急性の黄疸に罹り,一命を落とす所を,再び此のモラロジーの教えによって,ご先輩であり仲人さんでもありました,増田清秀先生のご指導のお陰でもって,心を入れ替える事が出来ました。其の后の生活は,薄紙をはぐ様にして元の健康に返って来ました。
 この時のご指導が今振り返ってみますと,廣池博士・病床十訓であります。
(1)病床は修養の道場である事を悟る事
(2)焦燥,不平,不満及び反抗心は,病気を重くする事を知る事
(3)剛情,我慢,負け惜しみ,頑固は勿論,神経質に悲観してくよくよする事も病気を重くする。
(4)一切病気の事は神様にゆだねる心になり,総医師にお任せする心でいる事
(5)病気は過去の不徳の償いである。静かに喜びて病気に安住する事
(6)人の欠点短所を許す心が,自分の不徳の許される事になる事を知る事
(7)食事は神様の賜,皆様の誠の結晶と考え,少量でも感謝のうちに頂く様にする事
(8)看護とかお世話を願う人々に只々結構,有難いという心で接する事
(9)素直なあたたかい心,柔かき優しい心が病を自然に治癒してくれる事を知る事
(10)常に全快すれば,御恩報じに,世のため人のために盡くさして頂く事を誓いつつ安らかに養生している事
 右の心を堅持しつつ養生すれば薬の力も滋養物も科学の力も倍加して必ず全快する。
 右朝夕反復熟読せされ度し。 とあります。
 其の後の私の人生は,病気一つせず元の元気な体にめぐまれて来ました。間違いのなかった事をご報告します。
 又此の一つ一つが私の今日迄の生活の中にあって,他者の幸せを願う事が,自分の幸せになる事を学びました。年齢74歳,いまにして,青年の意気にとどまり教学に接して来ました。
 これからも家内共々に益々大志に向って行く事を,唯一,ご恩の報と心掛けております。
 日々新たに日々新たに努めて行きます。

本ものの絵かきさん    天田 弘之

 私が興味を持つ二人の個展を見た。徳島県内の絵描きさんですばらしい絵が生まれている二人である。一人は二紀会と女流画家協会の 渡辺記世 ( ・・・・ ) さん,もう一人は独立美術協会と女流画家協会の ふじいあさ ( ・・・・・ ) さん。前者は西洋の抽象主義を画風とし,後者はシュールリアリズム(超現実主義)を画風としている。最近の二人の作品は見た瞬間,肺腑をつくものであった。個展はかくあらねばならんと深く感じた。彼女たちはすでに還暦を過ぎた人だ。絵は作家の表現でありそれが鑑賞者の心をうつ。ここに至るまでに彼女たちも必ず挫折と孤独を通して発見したものと共感する。継続することはむつかしい。絵心を動かすのは感動であり,情緒的表現こそ持続への意欲を興すのである。その中で技術も見つけていくのであり,発見した技術が表現をまとめる力ともなる。二人の絵は胸を熱くした。頭が下がる程勉強になった。
 尊敬する画家に 中川一政 ( なかがわかずまさ ) (春陽会頭首)という人がいた。詩があるので記しておこう。

 自分の一番したいこと

自分のしたいことをしよう。
一番したいことをしよう。
一番したいこととは,自分の昇華したときにおこる志だ。
昇華し純粋になった自分のしたいことだ。
自分がどうしてもしたいなら,ころんでも起きあがって立ち向かうだろう。
人に命令され,強いられたことは,万一ころんだ時に
それなりになってしまう。
一番自分のしたいことをまず究めよ。
それがはっきりしないかぎり勉強もはっきりしない。
はっきりしないものに向かって誰も本気で勉強はできない。
勉強家は自分の一番したいことを先ず知っているものだ。

自分のしたいことをしよう。
自分の一番したいことに全力を傾けよう。
そういう自分たちが集ったものが春陽会でありたい。
何が一番大切であるかわかれば後のことは考えないでよい。
捨て去れ,捨て去れ,一番あとに残ったもののために全力をつくそう。

おいしいコーヒー   坂本 恵子

 好きな人ができました。
 その人とコーヒーを飲みに行きました。
 いつも飲んでいるチャイティーなのに,とても甘くおいしく感じました。
 1人で飲むコーヒーと好きな人と一緒に飲むコーヒー。
 味覚は心の調子で変わる。
 おなかも心も満たされて私はとても幸せです。