美織ちゃん,お誕生日おめでとう
文・絵  幼稚園 年長組 澤田 優志

 9月6日に美織ちゃんは,2歳になりました。
 前はアメリカの言葉みたいなのをしゃべっていたけど,今は,いろいろな言葉(日本語)を言えるようになりました。
 美織ちゃんは,ダンスを踊るのが好きです。いつも曲をかけて,おしりをフリフリしたり手をグーパーグーパーしたりして,最後にポーズもします。
 9月にダンスの発表会がありました。
 いつもは,グーパーグーパーや手拍子をして踊っているけど,発表会は夕方から始まったので,美織ちゃんは眠たくて踊れませんでした。ステージの上で,後ろを向いてみんなを見たりライトを見たりしていました。泣いたりママに抱っことか言ったりせずに頑張ったと思います。

ダンスで育った子,美織   澤田 織世

 娘の美織が生まれてから2年が経ちました。
 私が親子ダンスを始めたのは,娘を出産してすぐ,あるイベント会場で親子ダンスショーを見たのがきっかけでした。
 すぐにそのダンス教室の先生に声を掛け,毎月あるワークショップに当時3歳の息子と生後3ヶ月の娘を連れて参加しました。
 私と息子が踊っている間,娘はベビーカーで大人しくその様子を見ていました。
 その後,発表会や公演会,イベント等に出演するようになり,家でも息子と練習に励むようになりました。
 ふと気が付くと,その練習にいつのまにか娘が混じっていました。今では,娘が踊っていない日は無いくらい,音楽が聞こえるとどこでも踊っています。
 いつも本ばかり読んでいる主人も,娘が踊り出すと視線は娘に釘付け。「美織ちゃんはダンスの才能があるかもしれないな〜」とべた褒めです。
 いろいろな曲に合わせて踊っている娘の姿を見ていると,幼い頃バレエ漫画を見ながらバレリーナになりきって踊っていた自分の姿と重なりました。
 これからも子どもと一緒に,踊ることの楽しさ,心地よさをずっと感じていたいです。

やさしさに感謝     美馬 恵子

 ある日の出来事でした。
 私は駐車場で車が出せない状況になっていました。ななめに停めてあった為,動かしている間に前のタイヤが車輪止めよりも奥になってしまったのでした。
 前には行けないし,両隣にも車があります。思いきりバックして乗り越えるしかないけど,すぐ後ろを人が通っていきます。
 危ないかな,どうしよう……と思っていた時でした。
 隣に車を停め,お店の前まで歩いていった男性二人がこちらを振り返り,私の様子を見に戻ってきてくれたのです。
 小雨の中,自分たちの車を退け,私が出しやすい様に誘導までしてくれました。おかげで無事出す事が出来たのでした。
 見知らぬお二人の親切とやさしさに触れ,私自身もやさしい気持ちになり,幸せな1日を過ごせました。
 人にやさしく,改めて実感した日でした。

栗ごはん           平 澄子

 先日,田舎の姉から栗が届きました。
 去年は,むいてある分と皮のついている分と両方送ってくれましたが,今回は全部むいてありました。
 さっそく,お礼の電話をすると,「あれくらい,早いわ。3時間くらいかな!」と言いました。
 3時間もかけてむいてくれたと思うと,71歳の姉が急にいとおしくなりました。
 そして,その分,栗ごはんがおいしく感じられて,姉の温かみが伝わって来ました。
 来年も待ってまーす。

台風            本多 幸代

 台風12号。嫁ぐ迄住んでいた町,和歌山の被害。テレビに映る光景は,痛々しいばかりです。
 学生時代,友達の家によく通った道の景色が跡形なく流されてしまった。友人達はどうしているのかと,心が痛みます。
 那智大社,那智の滝が,見るも悲しく変わり果てて,思わず涙が流れました。
 一日も早く美しい景色が戻ることを心から祈ります。友人達も無事でいてくれますように。

天の岩戸が開くとき 人は神に帰る 62
何が 人生の「的(まと)」か? 三村隆範

 歳を取るほど,身体はだんだん自由に動かなくなるが,心は,歳を取るほど自由に使える。
 宇宙自然のその一つ一つをたどっていくと宇宙は,極めて正確に合理的に営まれていることがわかる。この世に生まれ,この世に人として生まれてきた私達は,宇宙自然の中に生かされているにも関わらず,生きる目的が見えず,生かされているが,自分の住みやすい人の世を作り出そうと,人間は思ってしまう。つまり,それを目的とする「的」を持つ。しかし,その「的」は,本来,自分が何を望んでいるかわからないので,その時々に応じ「的」が変わり,何が目的だったか忘れ,目指す「的」を見失ってしまう。つまり,いつの間にか,自分が何をしているかわからない迷いの淵で居ることになる。
 「的」は,常に目の前にあるのに「的」を見失い,当てようとして,難しい事を学べば学ぶほどますます「的」が見えなくなってしまう。
 人の心には,好き嫌い,損得があり,心は,自由だから何でも自分の好きなように,選ぶ事はできる。自分が好きな方を選んで,暮らせばいいのだが,自分の望んだ,いい結果が出ないと人はガッカリする。
 「聖書の読書会」で「罪」とは,的をはずす事と学んだ。
 人間には,善悪があるが,神は,ただ,それがあるだけである。人間は,自分の思い通りの事が起こることを望み,それが起こることに努力する。起こらないとガッカリする。なぜ,ガッカリするかといえば,「的」をはずしたからです。「罪」がなければ,ガッカリすることはない。結論的にいえば,喜んで暮らしていますか?という事だ。
 「的」とは,まず,喜ぶことである。
 しかし,人間は,「何かが無いと喜べない」。喜ぶ事が,何も無いのに喜ぶという事は,普通では,無い。
 どうすれば自分が,そして他人が幸せになれるのか。この単純で,根本的な問題への解答は,どれだけ科学技術が進歩しても,やはり私たち自分自身が見つける(気がつく)しかないのである。
 人間の順序から言えば,まず,目標に到達して目的に至る事でしょうが,私は,先ず目的に到達することを常に心がけよう。
 だから,言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば,そのとおりになる。 【マルコ福音書  11章 24節】