Osamu no e-nikki   中村 修

唐子浜フレンドパーク  サイトウ シゲジ

子供を連れて来たはずなのだが
子供の姿がどこにもない
空もどんよりしていて季節も定かではない
太った若い女が煙草を吸いながら
売店でくつろいでいた
海沿いに作られた遊園地なのだが今は風もなく
遠くに松並木が見える
その向こうは瀬戸内海だ
これから来島海峡を眺めて半島を回り
鹿島という島の旅館に泊まって
松山に行く予定なのだが
子供を連れて来たはずなのだが
子供の姿がどこにもない

私は妻と二人だけで旅行に来たのだろうかと考えた
それならば遊園地はおかしい
記憶がゆらゆらとぶれていた
このあと私達はどこへ行くのだろうか
松山に入って銀天街を歩き労健饅頭を買って
ラフォーレ原宿にでも行くのだろうか

いや、子供がいないのだからラフォーレ原宿はまだ出来てはいない
今夜の泊まりは道後温泉よ
妻は私にそう言った
電車は道後温泉をめざして走っていた
暗い通りに古い旅館が灯りを消したまま並んでいる
暗闇の中を電車がどこに着くのか
少し不安になったので
私は横に座る妻の顔を見た
妻の顔はいつになく穏やかで満たされていた
子供を連れて来たはずなのに
私はそれを忘れてしまっていた

昭和町公園のイルミネーション               石渡 修司

 クリスマスの時期,イルミネーションが寒く澄んだ夜空に映える。昨年も,昭和町公園で,見事なイルミネーションが飾られた。今年は,昨年を上回る数のイルミネーションが公園全周に亘って飾り付けられている。子どもたちの描いた絵をペットボトルに入れ,さらにLEDを封じ込め,明るく照らす,非常に手の込んだ細工がなされたイルミネーションである。

 和町公園は,住宅地区の中にあって,大きな道路にも面していないので地域の人たちの利用する公園である。しかし,案外,身近にありながら,利用する人が少ないのが地域の公園である。昭和町公園は地域の人たちが家に閉じこもってしまうことなく,外に出て,交流の場となるよう,種々の催しが企画される活気のある公園である。

 今回は,「第2回LED光の道イルミネーション」として,12月25日まで,夜6時から9時まで点灯している。イルミネーションの灯りから「喜んでもらおう,元気を出してもらおう」の願いが感じられ,勇気づけられる。裏方の方々の努力を思えば思うほど,心にしみこんで来る。「きれいですね」「本当に」との声が聞こえる。

 暗闇の中で光る明かりに,私たちはメッセージを聞く。光が闇に勝っている,そのことが私たちに希望を与える。闇のような絶望の中で,希望が力を発揮する。希望は神そのものである。

 「あなたがたは世の光である。山の上にある町は,隠れることができない」マタイ5:14

「冬のソナタ」がわかりました               石渡 路子

 連れが『冬のソナタ』に夢中です。韓流ドラマが放映されていた頃は,見ていませんでした。もっとも,深夜の時間帯の番組で,起きていられないということが一番の理由だったのかもしれませんが。

 ところが,すっかり流行がさめた頃になって,連れが『冬のソナタ』をレンタルで借りてきました。一緒にお付き合いで見ました。連れは,DVDを買いたいと言いだすほどに熱くなりました。結局買わずに終わり,これで,冷めたのかと思っていました。

 ところが,つい最近、また,レンタルで借りてきました。今回は,KBSで放送した完全版ということでした。いったい,何がこれほどまでに,

連れを引きつけるのかと,考えてしまいました。

 分かりました。『冬のソナタ』に込められているテーマにありました。聖書の中の話,ルカ福音書の「放蕩息子」をモチーフとした「父の愛」がテーマなのです。

 「ええ? ほんと!」と思われるでしょう。

 確かに,チュンサンとサンヒョクとが,ユジンをめぐって争う恋愛物語です。ユジンがチュンサンとサンヒョクとの間で揺れ動く姿に泣かされます。でも,それだけではないという印象がいつもありました。そして,最後に,チュンサンとサンヒョクが異母兄弟だと知らされます。

 単なる恋愛ドラマではなく,父と子の葛藤が底にあったのです。父のそばにいることができた息子サンヒョクと父から離され,寂しさを抱えながら生きなければならなかった息子チュンサン,その二人の息子に,父親が自分自身を責めつつ,最後に,真実の愛を指し示します。

 恋愛の愛を超えた真実の愛について,考えさせてくれるドラマに仕上がっているから,若い人たちだけでなく,年代を越えて,多くの人を引きつけるのだと納得しました。

「父親は言った。『子よ,お前はいつも私と一緒にいる。』」  ルカによる福音書15:31

「ありがとう ドクター・エンドー、 ありがとう お父さん、お母さん」
                            澤田 織世


 これは、私が小学生の頃、青汁の配達中に友達のお母さんが撮ってくれた写真です。昨年,平成23年(2011)12月20日にドクター・エンドーが最後の業務を終えました。

 幼い頃、毎日、夜中になると家の隣にあった工場から、ごとんごとんと機械が動く音が鳴り響いてきました。自転車で配達をしている時は、がちゃがちゃと瓶がぶつかる音がしました。

 青汁を作る仕事、配達、ケールの葉や瓶を洗う仕事、集金、事務の仕事、ドクター・エンドーの仕事。様々な仕事を手伝ったなと、幼い頃の記憶が音となり映像となり次々とよみがえってきます。

 この頃の私は、この生活を当たり前のように思っていましたが、今思えば、子どもなのに子どもの生活と大人の生活を同時にこなしてきたようなものだと笑ってしまいます。

 しかし、青汁の仕事を通して学んだ事、出会った人達とのふれあいは、子どもの私に様々な力を与えてくれた事は間違いないと確信しています。

そして、お父さんとお母さんは、大変だった青汁の経営をよく頑張ってきたなと心から感じます。

 そんな2人からも、私は生きていく上で大切な事をたくさん教わりました。

 いつも緑色の服を着て、いろいろな物を作るのが得意だったお父さん。お父さんは、私に人生をよりよく楽しんで生きていく方法を教えてくれました。

 仕事や子どもの習い事の送り迎えで一日中車を走らせ、じっとしている事がなかったお母さん。お母さんは、私という人間の土台を作ってくれました。

 2人とも、青汁の仕事、本当にお疲れ様でした。そして、私達を育ててくれてありがとうございました。これからも、前進していく2人の人生を見続け、私も追いかけていきます。