Believe

昼近くまで降り続いていた激しい雨はすっかり上がり、雲ひとつ無い青空が広がっていた。
夏の到来を思わせる強い日差しが、否応なしにフロントガラス越しに照りつける。その容赦ない日差しから逃れるように、数台の車が警視庁の駐車場へと吸い込まれていった。

「このまま梅雨が明けて、夏になるのかなぁ……」
車を徐行させたまま、高木はハンドルに寄りかかるようにして、さも迷惑そうに呟いた。
「高木刑事は夏が嫌いなんですが?」
助手席に座る新一が意外に思い、問い掛ける。
高木は苦笑を返し、小さく溜め息を零した。
「よく言うだろ? 高温多湿になると凶悪な犯罪が増加するって。今日もほら、そうみたいだし……」
高木の視線の先には、数多くの刑事たちが足早に各々の車に乗り込む姿があった。

彼らの中に見知った顔の若い刑事を見つけ、高木は車を停め、窓を開けて声を掛ける。
「何かあったのかい?」
「ああ、高木さんですか。強盗事件ですよ、それも立て続けに2件。1件は奥穂町の宝石店で犯人は外国人らしき男の二人組、もう1件は、未遂に終わったんですが、杯戸駅近くの消費者金融に20代と思われる若い男が。どちらも犯人が逃亡中なんです。それで、これから緊急配備ってわけでして。ホント、こんな暑苦しい日に勘弁して欲しいですよ……」

重い足取りでパトカーに乗り込んだ若い男を見送りながら、高木は今度は盛大に溜め息を落とした。
「また若い男か……」
高木の言葉に、新一はすぐ前を走る一台の車を見つめる。
その車には、新一の推理によって特定され先ほど逮捕された凶悪犯の男が乗っていた。

男の名は田所聖、20歳。
一見すると、物静かでいかにも気弱そうな男なのだが、この1ヶ月余りで、都内の4箇所の公園のゴミ箱に無差別に爆弾をしかけていた連続爆弾犯だ。
子供の頃からずっと工学科を志望してきたのに、2度の受験に失敗し、どこの大学も自分を受け入れなかった現実に納得がいかず、せめてもの腹いせにと、実に身勝手で幼稚な犯行動機に因るものだった。

幸いにして4件ともケガ人は出なかったものの、爆弾は次第にエスカレートしていき、最後の事件では、あわや初めての犠牲者が出ていてもおかしくないほどのものだった。公園近くに住む会社員がいつものように愛犬を散歩中に、その犬が異変に気が付いて爆発の被害を免れたものの、もしそのまま気付かずに歩いていたら、確実に巻き込まれていたに違いない状況だったのだ。
この一連の犯行で、都内の多くの公園から子供たちが遊ぶ姿が消えたほど、社会に与えた影響は大きいものだった。

前を走る車が停まった。
後部座席から降りた田所が、二人の刑事に抱えられて連行されていく様子を、新一と高木はただじっと見つめていた。

車を所定の場所に停め、エンジンを切ると同時に、車内は不快な空気に包まれた。強い日差しは遮られているというのに、駐車場内はいつにも増して重く、湿った暑苦しい空気に満ちていた。

「工藤君、今日はもう帰ってもらって構わないよ」
「しかし、強盗犯が逃走しているようですし、このまま帰るのは……」
「あとは僕たちの仕事だから。何から何まで工藤君の助けを借りるようじゃ、警視庁の面目も立たないからね。それに今日は日曜日だし、たまには早く帰ってもらわないと、蘭さんやコナン君にも申し訳ない。とはいっても、もう3時なんだけどね」
新一は苦笑し、高木は済まなそうな微笑みを返した。

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて今日はこれで。あ、でも、何かあったら遠慮なく連絡して下さい」
「そうならないように努力するよ」

新一が一礼してドアに手をかけたその時だった。
車内に規則的な機械音が鳴り響く。
携帯電話を手にした新一の表情が、一瞬にして強張ったものに変わった。

「工藤君?」
新一は問いかけには答えず、真剣な表情で人差し指を口に当て静寂を促す。その緊張感に、高木は思わず息を飲み込んだ。

「はい。もしもし?」

* * *

新一への電話から30分ほど前、蘭とコナンは用事を済ませ東都デパートを出ると、北に向かって歩き始めた。

「今日はコナンにご褒美をあげなくちゃね」
「どうして?」
「注射の時、他の子供たちがみんな泣いていたのに、コナンだけ泣かなかったでしょ? お母さん、コナンのこと凄く誇らしく思ったんだから」
「あれくらいで泣くわけないのに……」

素っ気無く答えながらも頬をうっすらと紅潮させるコナンの姿に、蘭は子供の頃の新一の姿を重ねていた。

まもなく4歳になろうとしているコナンは、近頃は見た目のみならず、その仕草までもがますます新一に似てきた。今もそう、素直に喜びを表そうとしないのは、新一の昔からの癖でもあった。
蘭はそんなコナンの成長ぶりを嬉しくもあり、少し淋しい思いで見ていた。

「だからね、今日はコナンの大好きなメープル味のシフォンケーキを買って帰ろうかと思って。あのお店のアールグレイのシフォンケーキは新一も好きだしね」
「お父さんには要らないんじゃない? どうせ今日も帰ってくるの、遅いんだろうし」
「私たちのために頑張ってくれてるんだから、そんな意地悪なこと言わないの。ね?」
「でも……」

拗ねたような表情はしているが、それは父親恋しさからくるものだと蘭は知っている。最近、特にこうして可愛げのないことを言うことが多いのだが、それは、新一が多忙のために、思うように遊んでくれないことへのコナンなりの小さな反抗だった。

―――― ホント、お父さんっ子よね、コナンは。拗ね方まで、新一にそっくり……

閑静な住宅街の片隅に目当てのシフォンケーキの店はあった。
ここは半年ほど前に蘭が偶然見つけ、素材の味を活かした甘さ抑え目のその味に、月に一度は訪れるほどの工藤家お気に入りの店だった。

馴染みの店員に見送られ、2つのシフォンケーキを手に店を後にする。
先ほどまでの拗ねたような様子とは打って変わって、コナンは上機嫌で急かすかのように蘭の手を引いた。

いつもと同じように、店の近くの大きな木が繁る小規模な公園の側まで来たとき、蘭は不意に違和感を覚えた。雨上がりの所為なのか、または世間で話題の連続爆弾犯のせいなのか、いつもなら近所の家族連れで賑わっているはずの公園に、この日は誰一人としていなかった。

蘭は胸騒ぎに襲われ、コナンの手を強く握ると、公園脇の道を足早に抜けた。
振り返り誰もいないことを確認して、フゥと小さく溜め息を零したその時、目の前に一人の男が現れる。
全身を黒のレザースーツに身を包み、その手にはたった今外されたらしいサングラスやマスクと共に、拳銃のようなものとナイフが握られていた。

それは一瞬の出来事だった。
蘭も咄嗟に身構えたのだが、気が付くと、突然現れた黒い大きな外国産RV車の後部座席に、コナン共々押し込められていた。

「ちょっとねえ、どういうつもりなの? ユウ君!」
「しゃーねーだろ? 成り行きでこうなっちゃったんだから!」
「成り行きったって、こんな乱暴なこと……」
「この顔や姿もばっちり見られてるんだ! そのままっていうわけにはいかないだろ?」
「でも……」
「そんなことより、さっさと車を出せ、アヤ! 追っ手が近くまで来てるかもしれないんだから!!」
「あ、うん……」
男に促されて、女は車を急発進で公園を後にした。

二人とも歳は見るからに自分より若いと蘭は思った。
状況が上手く飲み込めないのだが、どうやらこの二人に拉致されたらしい。後部座席の一番奥に蘭、コナンを挟んで犯人の男という順で座らされ、見ると、コナンの脇腹の辺りには、サバイバルナイフが光っていた。

「騒ぎ立てでもしたら、この子がどうなるかわかるよな?」
唐突に問われ、蘭は首を縦に振る。
「悪いな、こんなつもりじゃなかったんだが、しばらく、俺たちに付き合ってもらうことになる……」
蘭は再びコクリと頷いた。

出会ってはいけない人に出会ってしまったのだと蘭は悟った。
あの時、この男と出会った時、そう、おそらく、男は何らかの犯罪から逃走中で、共犯の女の車に乗り込もうというところだったのだろう。

犯人たちはなおも言い争いを続けていた。
二人の会話から事態を把握するにつれ、蘭は今までにない恐怖心に襲われ、微かに震え始める。とその時、右手が強く握られた。見ると、自分よりももっと怖い思いをしているはずのコナンが、しっかりとした眼差しで犯人たちを睨みつけていた。

蘭はハッと我に返る。
―――― この子を守りぬかなくちゃ……
蘭は恐怖心と闘いながら、状況を打開する方法に思いをめぐらせた。

二人の会話を聞く限り、蘭とコナンの拉致は突発的な犯行で、自分たちが世間を賑わしてる工藤新一の家族だということは知られていないはず。もし彼らにそのことが知られれば、自暴自棄となり、どんな凶行に及ぶかもわからない。まずは、自分たちの素性を知られないようにしなければならない。
そう考えていた時、男が蘭のバッグに手を伸ばした。

「どうしても明日までに金が必要なんだろ、アヤ?」
「う、うん……」
「こうなったら仕方が無い。この二人の身代金を手に入れるしかなさそうだな」
「私たち、誘拐犯になっちゃうの?」
「まあそういうことだ!」

男は蘭のバッグの中身を漁りだす。
財布に携帯電話に手帳・・・
蘭は祈るような気持ちで、男の動きをじっと見つめていた。

男の手がふと止まる。
その手には母子手帳が握られていた。
「工藤蘭に、工藤コナンか…」
同意を促すような男の視線に、蘭は小さく頷く。
男はそのまま母子手帳をパラパラと捲った。

間もなくして、男の手が完全に止まった。
と同時に、明らかに顔色が変わる。
蘭は目を閉じ、震えながらゆっくりと息を吐き出す。

「工藤新一って、まさか、あの探偵の!?」
「嘘!」という女の叫び声と同時に、急ブレーキで車は停まった。

「いえ、違います!」
蘭は男の目をまっすぐ見据え、首を大きく横に振る。
「確かに同姓同名ですが、別人です!!」

蘭の強い口調にも、男は信じられないといった表情を崩すことはない。その目はどこか怯えているようにも見えた。
「だったら、子供に確かめてみるか……」
コナンは相変わらず、強い視線で男たちを見据えていた。

「なあ、ボウズ? お前のパパは探偵なのか?」
蘭は思わず、コナンに握られた左手を強く握り返す。
コナンは動揺する様子もなく、小さく首を横に振った。
「違うよ」

男の疑うような視線はなおも変わらない。
運転席の女もコナンの一挙手一投足を注視していた。

「じゃあさ、パパは何のお仕事をしてるんだい?」

ややあって、コナンはさも誇らしげに答えた。

「弁護士さんだよ!!」

* * *

「ちょっと待て、おい!」
新一の怒声の後、ツーツー、という機械音が高木の耳にも届いた。

「あの……、工藤君?」
通話が終わってからも、なお微動だにせず、ただ携帯電話の液晶画面を見つめる新一に、高木は恐る恐る声を掛けた。
新一は薄く笑むと、ようやく携帯電話を閉じた。

「どうやら、今すぐ帰るわけにはいかなくなったようです」
言って、新一の表情が厳しいものへと変わる。
「え?」
覗き込む高木に視線を合わせることなく、新一は大きく息を吐き出した。

「蘭とコナンが……、誘拐されたようです…………」

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