「そういうもんなのか?」
え?と、思わず声を出してしまったのは、急な問いかけだったからというより、新一の言葉に僅かな不快感を感じたから。
「もしかして、聞いていなかったとか、ラジオ」
「あ、うん、ちょっとボーっとしてて」
「ボーっとね……」
表情や態度には表さないけど、やっぱり新一はかなり不機嫌みたい。
思い返せば、車に乗り込んだその時から、ちょっと変な雰囲気だったかも?
その直前、電話で話した時にはいつもと変わらなかったというのに……
「そんなに、あいつらと会うのが楽しみな訳?」
「え?」
「今日の服、妙に気合入ってるみたいだし」
「別に気合とか、そんなんじゃないけど……」
もしかして、新一、妬いてる?
まさか、それとも……
私の小さな嘘に怒っている、なんてことはないよね?
確かに、ラジオの声が聞こえなかったのは、ボーっとしていたのではなく、この後のことを考えていたからなのだけど。
そう。あれはゴールデンウィークを翌週に控えた水曜日の午後、キャンパス内の芝生の上で、園子とお昼ご飯を食べていた時のこと――――
「ねえ、蘭。今年も新一君の誕生日、何か考えているの?」
「うーん、それがなかなか良いアイディアが思い浮かばなくて……」
「しっかし、世間を賑わせている名探偵が、まさか自分の誕生日を毎年忘れてるなんて、ホント、信じられないわよね」
「しかも、ホームズがライヘンバッハの滝つぼに落ちた日っていう、ホームズ好きなら忘れようの無い日だというのにね」
どちらからと言うでもなく、急に笑いがこみ上げてきて、そのまま止まらなくなって。
ひとしきり笑いあった後、一呼吸置いてからの園子の提案だった。
「だったら、今年はうちの軽井沢の別荘で過ごすっていうのはどう?」
「でも、それだと園子の家に迷惑が掛かるんじゃ……」
「全然! むしろ、助かるくらい。というのもね、ゴールデンウィークには毎年、誰か彼かが軽井沢の別荘で過ごしていて、今年も姉貴が友達何人かと遊びに行く予定だったんだけど、それが急遽、中止になったの。何でも、オーストラリアに住む高校時代の友人に、先月、子供が産まれたからって、お祝いがてらオーストラリアに遊びに行くことにしたってね」
「だとしても……」
「まあ、とりあえず、最後まで聞いて。それでね、毎年、腕によりをかけてって気合入りまくりのウチのシェフが、急に姉貴が来ないことになって、今、ひどく気落ちしちゃってるのよ。パパとママも予定があるみたいだし、行けるのは私しかいないんだけど、京極さんは例の如く、武者修行中だし……。だったら、みんなで行くのはどうかなって。その方がウチのシェフも喜ぶだろうし」
「みんな?」
「うん。ほら、ウチのクラスって、新一君を筆頭に、何だかんだ忙しくって、高校の卒業旅行とかも満足に行けなかった人が多かったでしょ? だから、ちょっと早いけど、4日に同窓会兼新一君の誕生日パーティーをしたらどうかなと思って。新一君もインパクトのある誕生日を過ごしたら、来年からは忘れないかもしれないじゃない? だから、新一君だけには知らさずに、ドッキリという形で、ね?」
「うーん……。そうね、たまにはそんな誕生日もいいかも?」
全てお見通しの新一を誤魔化せるなんて、最初から思っていない。
だけど、この計画のことは話す訳にはいかないから。
「ところで、私に聞きたかったことって?」
「ん?」
「ほら、ラジオがどうかって」
「ああ。そいつか……」
視線は相変わらず前方に向けたままだけど、新一は僅かに顔を顰めて。
「『自分の思い通りの髪型にしてもらって、しかも、ずっと苦労していた悩みまで解決してくれたら、その美容師さんに思わず恋しちゃう!』みたいなことを言ってたからさ。蘭もそんな風に思ったことがあるのかなって思って」
「私はそれほど髪型で苦労したことが無いから、そんなこと思ったことは無いけど、でも、その人の気持ちは何となくわかるかも? もしかしたら、救世主くらいに思っちゃうんじゃないかな?」
「ふーん……」
不意に新一の表情が涼しいものへと変わった。
「そういえば、蘭、オメーも今朝、美容室に行ってきたんだろ?」
「あ、うん。でも、どうして?」
「シャンプーの香りがいつもと違うし、それに、何となく感じも違うから……、それで、その、蘭の担当の美容師って……」
ああ!
何となくだけど、新一が私と会うなり疑問を感じて、更に不機嫌になった理由がわかったような気がした。
昔から、妙なところに大人気ない、貴方のことだから。
「若くてカッコイイ男の人!って言いたいところだけど、30歳くらいの綺麗な女の人だからご心配なく。担当してもらってもう3年くらいにはなるかな? とっても感じの良い人だよ」
「そっか……」
新一の口元が緩んだように見えたのは、私の気のせいではないよね?
「ちなみに、今朝、美容室に行ったのは、連休中は今朝しか予約が取れなかったからです」
「予約、ね」
ふぅーっと溜め息を零したのは、安心したから?
でもね、予約の件は本当は嘘なの。
今の新一なら、きっと私の小さな罪悪感には気付かないでいてくれるよね?
だって、私が今日、美容室に行ったのは――――
約束の時間の3時少し前に、鈴木家の別荘に到着。
他のみんなは予定通りだと私たちより2時間前には到着していたはずで、駐車場にも数台の先客があった。
玄関の前には、元サッカー部で、新一とも仲が良かった中道君が一人、私たちを出迎えてくれた。
「有名人は登場の仕方も派手だこと!」
「ああ、あの車のことか。アイツは親のお下がりみたいなもんだから……」
「おさがりがジャガーって、さすがに有名人一家はスケールが違いますなぁ」
「あのなぁ、オメーは何か? 俺を冷やかす係にでも任命されてるのか?」
「まさか!」
「まあいい。ところで、ここの主の園子は?」
「ああ、鈴木なら、中でいろいろと仕切ってるよ……」
そんなやり取りをしながら、中道君に従って、建物中央の広い廊下を進む。
突き当たりの大きな扉を前にして、中道君は不意に私に声を掛けた。
「ところで、毛利って、毛利のままだよな?」
「え?」
私には質問の意図が図りかねて、首を傾げたまま言葉を失ってしまった。
すると、新一があからさまに呆れた表情に変わって、私の代わりにこんな風に答えた。
「お生憎様。オメーらが期待しているような報告は、俺らの口からありませんから」
「なーんだ!」
中道君はさも残念そうに、盛大に溜め息を零し、一人呟いた。
「でも、俺『ら』ではあるんだ」
「それでは」
と、中道君が扉に手をかけて、
「御両名とも、覚悟はいいですか?」
私たちの返事も待たずに、扉は一気に開かれた。
『工藤新一君、誕生日、おめでとう〜〜〜!!!』
十数人の大合唱と共に、クラッカーの音がその場に響き渡った。
広い部屋の中央には大きなケーキが置かれ、部屋中にいかにも、な誕生日パーティーの飾りがなされていた。
新一はらしくもなく、きょとんとしたままで。
「もしかして、工藤、自分の誕生日を忘れていたとか?」
誰からとも無く、そんな声が上がって。
この言葉でようやく、新一のスイッチが入ったみたい。
「んな訳ねーだろ? ていうか、同窓会のついでに誕生日パーティーはしないだろ、普通!」
「なんか工藤君、動揺してない?」
「だよな」
「あのなぁ……。まあ、どうせ今日集まったのは、理由なんて何でも良くって、ただドンちゃん騒ぎをしたかっただけなんだろ?」
「その通り! って、工藤、お前まさか、まだ未成年だからとか堅いこと言っちゃって、俺たちを警察に売ったりしないよな?」
「バーロー、そんな野暮なことするかよ! ただし、この後のオメーたちの態度次第では、考えは変わるかもしれねーけどな」
「「「ええーー!!」」」
だったら、一番最初に新一にお酒を飲ませてしまえばいい!と、誰かが言い出して。
その声が合図となり、新一は半ば無理矢理、ビールやワインなんかを次々と押し付けられ、今日の宴が始まった。
そんな光景を、私と園子は少し離れたところから見ていた。
「一応、成功したみたいね?」
「うん。今日はありがとう。準備とか大変だったんじゃない?」
「ううん、私は場所を提供しただけみたいなものよ。みんな張り切り過ぎるくらい、張り切って手伝ってくれたから。ウチのクラスって、根っからのお祭り好きが集まってたみたいね」
いつの間にか、輪の中心を抜けた新一が、私たちの元へと逃げてきた。
「ホント、オメーは碌なことを考えないよな?」
「あら、失礼ね。みんな喜んでるし、少しくらい協力してもらっても罰が当たらないと思うけど? まあ、今日のところは誕生日だから、これくらいで勘弁しておいてあげるけど。そうそう。私からの誕生日プレゼントは、特上のスイートルームを用意しておいたから、今夜は蘭と二人、ゆっくりと甘〜い時間を過ごして頂戴。邪魔なんてしないからご心配なく」
「それはそれは、数々のご厚情、痛み入ります」
と、いきなり口調を変えて、深々と頭を下げる新一。
そんな風に必要以上に恭しく振舞う新一の様子に、さすがの園子も拍子抜けしたみたい。
「まさか、もう酔ってるとか?」
「んな訳ねーだろ?」
「それもそうよね……。ところで、新一君、毎年誕生日は忘れているようですけど、さすがに自分が何歳かはわかっているのよね?」
「当たりめーだろ? オメーは俺が蘭の歳を忘れるとでも思ってるのか?」
僅かな沈黙があって、園子は含み笑いのままで私を手招きする。
そして、さも面白くなさそうな表情で、私たちの様子を伺う新一には聞こえないように、私の耳元にそっと尋ねてきた。
「新一君って、本当にあれで酔ってないの?」
「うん、たぶん……。でも、珍しく動揺はしているみたい……」
へぇーと驚きを隠せないまま、園子はひらひらと手を振って、みんなの輪の中に戻ってしまった。
部屋の隅に残された新一と私……
「蘭も知ってたんだな、今日のこと」
「うん、ごめんね。騙すような真似をして」
「それで車の中でボーっとしてたのか」
「うん……。謝るついでに、あのね新一、さっき言った、私が今日、美容室に行った理由なんだけど……」
「ん?」
「本当は、今日が新一の誕生日だったから。だから、いつもよりおしゃれも頑張ってみたんだ」
「へ?」
「お誕生日おめでとう、新一!!」
新一が毎年自分の誕生日を忘れている理由の一つは、案外、連休中に誕生日があるからかな?と思いまして。
というのも、留意自身、誕生日が冬休み中だったんですが、自分はともかく、クラスメートや教師の中に、留意の誕生日を間違って覚えている人が結構いたんですよね。
とは言え、普通、新一みたいに自分の誕生日は忘れないですけどね(苦笑)