笑 顔

「ねー、母さん。オレ、どうしたらいいのかわかんないよ」
「新ちゃん。何か慌てているようだけど、その前に何か言う事があるんじゃないの?」
「そうだぞ、新一」
「あっ、ただいま。父さんもいたんだ。仕事はもういいの?」
「ついさっき終えたばかりだよ。それより、新一。とりあえずここに座りなさい。何かあったんだろう? 話してみなさい。お前がそれだけ慌てているからには、それなりの事が……」
「うん。それがね、今朝から蘭の様子がおかしいんだ。ずっと笑ってるんだけど、何かがいつもと違うんだよ、その笑顔がさ。蘭に『何かあったのか?』って聞いても『別に。何もないよ』って答えるだけだし……。でも、絶対に変なんだよ。オレ、どうすればいいんだろう?」
「やはり、その事か……」
「え?」
「蘭君は今日一日、ずっと笑っていたんだね? 新一」
「うん」

優作と有希子は新一の言葉で先程の電話の事を思い出していた。その電話の内容こそ、今、新一を悩ませている問題、つまり、蘭の様子がおかしいという原因だと思い当たったからなのだが。

「有希子。さっきの電話の件、新一に話してあげなさい」
「でも……」
「大丈夫だよ、新一なら」

優作の言葉で意を決した有希子は、目の前で自分達の様子を不思議そうに見ていた新一に目線を合わせるようにして話し始めた。

「あのね、新ちゃん。ついさっきね、蘭ちゃんのお母さん……、英理から電話があったの」
「おばさんから? 何て?」
「英理ね、夕べ、小五郎君と喧嘩して荷物をまとめて家を飛び出したんですって」
「それって、どういう事? もうおばさん、家に戻らないって事なの?」
「わからないわ……。でも、暫くは戻らないでしょうね。英理が出て行ったからには、よっぽどの事があったのだろうし……。それに、小五郎君も英理も素直じゃないから……」
「おじさんとおばさんの事はわかったけど……。じゃあ、なんでそんな辛い事があったのに、今日の蘭はあんな風に笑ってたんだ?」
「それはだな、新一……」

今度は優作が新一に目線を合わせて話し出す。

「蘭君はきっと、自分が泣いていてはお父さんを困らせるだけだし、自分が良い子にしていれば、きっとお母さんは直ぐに帰ってきてくれるに違いない、と思ったのだろう。だから、良い子を演じるために、無理をして笑い続けていたという訳だ」
「でも、おじさんとおばさんの喧嘩は蘭のせいって訳じゃないんだろ? だったら、何で蘭がそんな無理しなくちゃいけないんだよ?」
「そうだな。蘭君が人一倍優しい子だから、かな」
「でも……。なあ、父さん。オレはもう、あんな無理してる蘭なんか見たくないよ。オレ、どうしたらいいの?」
「新一は、今、私達に言ったように蘭君に言いなさい。無理なんかする必要はないと」
「え? それだけでいいの?」
「ああ。大丈夫、新一は蘭君が無理している事に気付いてあげた。それだけでも充分、蘭君には心強いはずだからな。それと有希子。やはり、蘭君を暫くの間、うちで預かるよう毛利さんに話した方が良いだろう。今の毛利さんでは蘭君に無理をさせてしまう。そう思ったから英理さんもうちに電話してきたのだろうから」
「ええ、そうね。新一、今から蘭ちゃんを迎えに行くわよ」
「あ、うん」

まもなく、毛利探偵事務所に着いた2人は、まず、3Fにある毛利家の自宅へと向かった。

「こんにちは、蘭ちゃん」
「あっ、新一のお母さん。こんにちは。新一まで、どうしたの?」

びっくりしながらも懸命の作り笑いで迎えた蘭の様子に心を痛めながらも、有希子は優しく蘭に語りかける。

「お父さんは、事務所の方にいるのかしら?」
「はい」
「じゃあ、私はお父さんと話したい事があるから、蘭ちゃん、その間新一の相手してもらえるかな?」
「はい、わかりました」
「何だよ、オレの相手って」
「まあまあ。じゃあ、お願いするわね」

中に入る2人の姿を確認してから、有希子は2Fの事務所へと向かった。

「なあ、蘭」
「なーに、新一?」
「オメー、もう無理なんかするなよ」
「え?」
「おばさんの事、さっき母さんから聞いたんだけど……」
「そっか……」
「オメー、今朝から変な笑い方してただろう? だから気になってオレ、何回も聞いたんだよ、何かあったんじゃねーのかって。それなのに、蘭は何も話してくれなくって……」
「だって……」
「オレ、蘭がちゃんと笑ってないと嫌なんだよ。何か知んねーけど。だからもう無理なんかすんな、少なくてもオレの前では……」
「うん。しん・い・ち、ごめん・ね…。それと、ありがとう……」

消え入るようなか細い声で何とかそう言葉にした蘭は、緊張の糸が切れたのか、新一の胸に抱きつきワァーと大声をあげて泣き崩れた。それは、英理が家を飛び出して以来、初めての涙だった。

「小五郎君、いるんでしょ? 入るわよ。」
「有希ちゃん……か」

ビールの空き缶やなんやらで散らかった事務所、そして、力なく腰掛け、物思いに耽る小五郎の姿という予想通りの光景に、フゥと小さく溜め息をついた有希子は、小五郎の前にあるソファーに腰を掛けた。

「さっきね、英理から電話があったわ……」
「英理の奴、余計な事を……」
「それで、小五郎君にお願いがあって来たの」
「いくら有希ちゃんの頼みでも、英理に頭を下げろっていう頼みならまっぴら御免だぜ」
「英理の事じゃないわ。蘭ちゃんの事よ」
「蘭の事?」
「そう。蘭ちゃんをうちで暫く預からせて欲しいの」
「それは、英理の差し金なのか?」
「違うわ。これは私と優作とで考えた事よ。余計なお世話だとは重々承知してるわ。でも、これ以上、無理している蘭ちゃんを見たくはないから……」
「蘭が無理してるだって?」
「ねえ、夕べ、英理が出て行ってから、蘭ちゃん、小五郎君の前で泣いてた?」
「そういえば、泣いてないかも……」
「それどころか、笑ってなかった? 蘭ちゃん。相当無理してたと思うわ。自分にも否があるのではと思っての事でしょうけど……」
「蘭……」
「英理も、蘭ちゃんの事を心配して私に電話してきたみたいだけど……。今日はきっと蘭ちゃんは学校を休んだと思っていたみたいね。まあ、私も優作も英理の話を聞いた時はそうだろうと思ってたわ」
「……」
「だから、新一が帰ってきてから言った言葉に、私も優作もびっくりしたわ。蘭ちゃん、朝からずっと笑ってたんだけど、何か様子がおかしいんだって言う言葉に……」
「新一が!? あの坊主が、そう言ったのか?」
「ええ。実際、この事務所に来る前、先に上の自宅に寄ってきたけど、蘭ちゃんは笑って出迎えてくれたわよ。あの子は本当に無理をしている、泣く以上のものでしょうね」
「気付かなかった……」
「ねえ、小五郎君。2人の10年来の友人として言わせてね。あなた達、幼い頃からずっと一緒だったから、少し距離を置いて、互いを見つめ直す必要があると、神様が用意した時間なのかもしれないわ。この機会に2人にとって、そして蘭ちゃんにとって良い結果になるように、じっくりと考えるべきだと思うの。だから、せめて小五郎君、あなたの気持ちが落着くまでの間だけでも、私達に蘭ちゃんを預からせて欲しいの」
「新一でも気付いたんだよな、無理している蘭を。俺はダメな父親だな……」
「新一だから気付いたのよ。だってあの子、昔からいつも蘭ちゃんの一番側にいたのだから。それと、あんまり自分を責めないで。蘭ちゃんにとって小五郎君は、唯一の大好きなお父さんなんだからね。そんな自虐的なお父さん、蘭ちゃんだって見たくないでしょうし」
「すまねーな、有希ちゃん。蘭の事、宜しく頼みます」
「まかせておいて。後……、英理にはこちらから連絡しておくから」

どれくらい泣き続けていたのだろうか? 新一の胸から離れた蘭は、気持ちがだいぶ落着いたのだろう。 顔を上げ、真っすぐ新一を見て、ニコッと笑って見せた。

「今度は、あまり無理してねーみたいだな?」
「うん。何かいっぱい泣いたからすっきりして」
「そっか。あのな、蘭。オレと母さんがここに来たのは、オメーを迎えに来たからなんだ」
「え? 私を迎えに?」
「そう。おばさんから電話をもらってから父さんと母さんが相談して、暫くうちで蘭を預かった方がいいだろうってことになって……。今頃、母さんがおじさんに話してるはずだぜ」
「どうして?」
「オメーがここにこのままいたら、無理し続けるだろうからと言ってた。オレもよくはわかんねーんだけど、父さんの言うことに間違いはないと思うし。だから、蘭、一緒にオレんちに行こうよ、なっ?」
「でも、お母さんが帰ってきた時、私がいなかったら変に思うでしょ? それに、お父さんが一人になっちゃうし……。やっぱり、一緒には行けないよ」
「でも、蘭……」

「あっ、お父さん!」
「蘭、暫くの間、新一に所に行ってくれねーか?」
「えっ、だってそれじゃお父さんが、一人になっちゃうよ?」
「俺は大丈夫だから。それより蘭、ゴメンな。夕べから自分達の事で精一杯で、お前の事をきちんと見てやれてなかった。ホント、悪かったよ。お前に無理をさせてしまって」
「お父さん!?」
「俺、今、蘭の顔をちゃんと見て笑って話をしてやれる自信がないんだ。だから、きちんと笑えるようになるまで、新一の所で待ってて欲しいんだ。必ず迎えに行くから」
「ねえ、蘭ちゃん。お母さんが出て行ったばかりだし、その上、お父さんとまで離れるのは辛いことだと思うけど、お父さんとお母さんに少し考える時間を上げて欲しいの。おばさんじゃお母さんの代りになれないけど、蘭ちゃんの力になるから、ね。それに、おじさんだって。新一も、でしょ?」
「おう! そういう事だ。蘭、支度してこいよ。オレも手伝うから」
「……うん、わかった。お父さん、私、新一の所で待ってるね」
「すまんな、蘭」

足早に奥の部屋へと向かう2つの小さな後姿に、小五郎は己の無力さを感じずにはいられなかった。

「有希ちゃん。なるべく早く蘭を迎えに行くから、優作さんにも宜しく伝えておいてくれ。それと、今日は本当にありがとう」
「困った時はお互い様よ、小五郎君。いつか、私も何かお願いするかもしれないしね。それに、蘭ちゃんはとっても優しくて良い子だから、預かるのは大歓迎。ホント、私の娘だったらよかったのにって思うくらい、可愛い子なんだから。だから、心配しないで。ゆっくりとこの先のことを考えてね」
「ああ、そうさせてもらうよ」

「それじゃあね、お父さん。待ってるからね」
「ああ、蘭。すぐ迎えに行くからな! それと、新一。暫く俺の変わりに蘭の側にいてやってくれ。お前なら、蘭の事、ちゃんと見ててくれるだろ?」
「うん。大丈夫だよ、おじさん。ちゃんと、オレ、蘭の側にいるから。まかせておいて」
「頼んだぞ。じゃあ、有希ちゃん、蘭のこと頼みます」
「ええ。じゃあ、2人とも行くわよ」
「はい」「おう」

帰り道。

「なあ、蘭」
「なーに、新一?」
「きっと、おじさんもおばさんも蘭の事大好きだと思うんだ。蘭もそうだろ?」
「うん、もちろん!」
「だから、この先、どんな風になっても、おじさんとおばさんが蘭の事を大切だと思う気持ちは変わんないだろうから、蘭はその事、自信持っていればいいと思うんだ」
「あっ、うん」
「それと、さっきも言ったけど、無理して笑ったりすんなよ。オレは、オメーのちゃんとした、いつもの笑顔が好きなんだから……」
「なんか、顔赤いよ、新一」
「だー、うっせな」
「クス。わかったよ、新一。私、自信持つよ、お父さんとお母さんの事。それより、新一。何で私が無理してるってわかったの?」
「バーロ、オレは探偵になるんだぞ! それくらい、すぐわかるさ」
「そっか、“たんてい”ってすごいんだね」
「あったりめーだ」
「クスっ」
「オメーは、そうやって笑ってればいいんだよ」
「ハイハイ」

そんな2人のやり取りを後から見つめながら、蘭と彼女の両親の本当の笑顔が早く戻りますようにと祈る有希子だった。

留意が初めて書いた小説です。
しかし、こんな駄作を人様にお見せして良かったのでしょうか?(苦笑)

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