「あのフォワード、スピードは申し分無いんだけどなぁ……」
小学校3〜4年生くらいだろうか? 夢中でサッカーボールを追いかける子供たちの姿を、私と新一は肩を並べて眺めていた。
西の空が少しずつオレンジ色に染まり始める。こんなにも穏やかな時間を過ごすのはいつ以来だろう?
全国模試を終えての帰り道、珍しく捜査依頼もなく、だからといって、このまま真っ直ぐに新一の家に向かうには惜しくなるような、そんなほんわかとした陽射しに誘われて、どちらからともなく、提無津川の河川敷にやってきた。休日の午後ということで、親子連れも多い中、制服姿の私たちはちょっと場違いのような気もするけど……。
「久し振りにサッカーしたくなったんじゃない?」
「さすがに子供相手じゃな」
「それもそうだね……。あの子たちくらいの頃の新一、凄く目立っていたよね。人一倍、体が小さいのに、他の誰よりもピッチの中で駆け回っていたから……」
懐かしい姿を思い浮かべながら、私は無意識のうちに新一の肩に身を寄せていた。
「今日の模試の出来が思いの外、悪かったって訳でもないよな?」
「うん……」
新一は私の答えを急かしたりしない。視線は子供たちに向けたまま、私の次の言葉を待っていた。言葉にしようの無い私の心の内をわかってくれているから。
「今朝、お父さんとお母さんがまたケンカしてね……」
「蘭のトコはそれこそ『ケンカするほど〜』ってヤツだろ? じゃれ合ってるようなもんなんだし。どうせまた、すぐに仲直りするって!」
「うん、私もそう思うんだけどね……」
不意に子供たちの歓声に混ざって、鳥の鳴き声が耳に届いた。
『チュビチュビチュルー』
(あれは、確か……)
ちょうど10年前の、季節も同じ、休日だったと思う。
急な用事ができて、今夜は帰りがおそくなる。
マスターにたのんでおいたから、わるいが、今夜の夕食はポアロで食べてくれ。
夜はとじまりをちゃんとかくにんしてからねるんだぞ! 〜 お父さんより
園子の家から帰ってきた私は、そんな風に書かれたお父さんの手紙を見つけて、不意に体の力が抜けてしまった。決して珍しくないことなのに、なぜかこの時はいつも以上に物悲しく感じてしまって。
気晴らしになればと思って点けたテレビで、更に不安に襲われてしまう。地方裁判所前からの中継映像に、ほんの一瞬、映し出されたお母さんの姿を見つけて。今になって思えば、お母さんが急に遠い世界の人になってしまったように、子供心に感じたのだと思う。
自分自身でも説明のしようの無い、そんな複雑な思いを抱え、呆然としたままテレビを消すと、そのまま家を飛び出していた。そのまま目的も無く、見知った土地を歩き続けて、いつの間にか、この河川敷に辿り着いていた。
自分でも気付かないままに、新一に頼っていたのだと思う。あの頃の新一はいつも、夕方になるとこの河川敷のコートでボールを追いかけているのを知っていたから。
ピーッと試合終了を知らせるホイッスルの音で、河川敷に一人佇む私は我に返った。ゲームに勝利したらしく、歓声を上げるチームの輪の中に一際小さい体を見つけて、凄くホッとしたことを今でも鮮明に覚えている。
間もなくして、新一が私の姿を見つけ、駆け寄ってきて。
「さっきの俺のシュート、見た?」
「あ、ゴメン、少し前に着いたばかりなの……」
「そっか……」
得意げだった新一の表情が、見る見るうちに悔しそうに変わってしまう。
「園子ちゃん家からの帰り道に寄ってみたんだけど、もう少し早く来れば良かったね……」
慌てて言い訳してみたけど、抱いた罪悪感は大きくなるばかりで。
けれど新一は、
「あ、でも、ちょうど良かった! 蘭に見せたいものがあったんだ。ここでちょっと待ってろ、な!」
と、私の返事を待つまでも無くチームの輪に戻り、一方的に何か言葉を残すと、すぐに私の元にとって返して。
「ほら、行くぞ!」
と、私の腕を取ったその表情には、いつもの得意満面さが戻っていた。
新一に連れられてやってきたのは、何の変哲も無い橋脚だった。
「ねぇ新一、私に見せたいものって、この橋の下?」
「まあいいから、耳を澄まして、あそこを見てみろよ!」
『チュンチュンチュンチュン……』
新一の指差した先にあったのは鳥の巣で、巣の中にはエサを求めて親鳥を待つヒナの姿があった。
「オメー、こういうの好きだろ?」
「うん!」
「昨日のサッカーの帰りに見つけてさ。父さんに話したら、ツバメの巣だろうって。なぁ蘭、知ってるか? ツバメって、毎年同じ巣に帰ってくるんだって。キソー本能ってヤツが強いんだって、前に見たテレビで言ってんだ」
「きそーほうのう?」
「ああ。簡単に言えば、家に帰りたいって気持ちかな?」
「へぇ……」
「そうだ! 来年も再来年も見に来てみよーぜ! きっとアイツら、ここに戻ってきているだろうしさ」
「うん!」
あの時の私の心境を新一が知っていたはずは無いのだけど、私にとって新一この提案は、心に巣くった不安を拭い去ってくれた魔法のような言葉だった。
来年になっても再来年になっても、新一は当たり前のように私の側にいてくれる。
お母さんだって帰りたいと思っているはずだから、いつかきっと帰ってきてくれる。
そんな風に信じられる勇気を与えてくれたから――――
『チュビチュビチュルー』
「あの鳴き声はツバメだろうな」
え?と、思わず顔を覗き込んだ私に、新一は穏やかな微笑を返した。 全てを見通しているようなその真っ直ぐな瞳と共に。
「えーと、そうだ、新一、ツバメの平均寿命って、どれくらいかわかる?」
「確か、平均すると1年半くらいじゃなかったかな? ただし、ツバメは1年と経たずに死んでしまう個体が多いから、平均だと短命になるけど、7〜8年はおろか、15年くらいは生きるのも結構いるらしいけどな」
「じゃあ、もしかしたら……」
「それはどうだろう? ツバメは確かに帰巣本能が強い鳥だけど、実際、毎年同じ巣に戻ってくるのは、せいぜい2〜3割って話だからな」
「そっか……」
僅かに困惑するような表情に変わり、新一はピッチに視線を戻した。
そのまま暫く二人の間には静寂が続いて。
「久し振りにあの橋脚に行ってみるか? 確率は低いとは言え、必ずしも違うとは言い切れない訳だし、毎年、律儀にあの巣が使われているところを思えば、あの時のツバメか、その子供ってことも十分考えられるからな。まあそれ以前に、どうせ俺らには確かめようが無いんだし、勝手にそう思う分には構わないだろうってことでさ」
私の返事を聞くよりも先に、新一は私の右手を取り、その場に立ち上がった。
「こっちもようやくゴールも決まったみたいだしな」
新一の言葉にピッチを見ると、ゴール前で抱き合う子供たちが。その中心には、新一が気に掛けていたフォワードの子の姿があった。
「あれだけ長い間別居してたり、会えば会ったでしょっちゅうケンカしてたりするけど、それでもずっと夫婦でいられるのは、案外、蘭ん家のおじさんとおばさんも、相当、帰巣本能が強かったりするのかもな?」
試合終了のホイッスルと共に私は腰を上げた。
右手を包み込む温もりで、肩の辺りがフッと軽くなったような気がした。
先日、不意に『チビ蘭ちゃんだったら、ツバメの巣を見て喜んだりするかな?』などと思い浮かびまして、そこからイメージを膨らませて書いてみたんですが、小説の形になるまで思いの外、苦労しました。そのせいか、思いっきりワンパターンな展開になってしまいまして……(汗)。