「まだ怒ってるの?」
「いや」
「でも……、さっきから何も話してくれないじゃない」
かつては、この帝丹高校の屋上にも、昼休みともなると、数多くの生徒がやってきて、お弁当を食べたり、そのまま談笑したりといった光景が見られたのだが、今はそんな光景も過去のものとなっていた。いつの頃からか昼休みの屋上は、新一と蘭の2人だけが過ごす場となっていたからだ。
この日もいつも通り、屋上には2人の姿があった。
けれど、何やらいつもとは違う雰囲気が2人の間には漂っていた。
「やっぱ、怒ってないっていうのは嘘かもな」
「え?」
「ああ、怒ってるよ」
「やっぱり……」
「勘違いすんなよ、怒ってるのは何も蘭に対してって訳じゃねーんだし」
「それじゃあ、佐々木君?」
「そいつも違うな」
「だったら……」
「俺自身に対してだよ。一応、事前に手を打ったつもりだったんだけどな……」
この日の午前中、2人にとって思いがけない事態が起きていた。それは、蘭のことを恋人と、新一自身がクラスメートの前で認めたということ。
新一と蘭が付き合っていることなど、帝丹高校にいる者なら誰もが周知のことだった。けれども、当の2人には今更宣言したくないという気持ちが強かったらしく、今日まで決して認めることはなかった。2人が恋人と呼べるような関係になったのは、つい半年前のこと。一方、周囲の人間が2人を恋人同士と認識したのは、帝丹高校に入学した当時から。この辺りの時差も、2人が決して認めようとしなかったことに少なからず影響したらしい。
ちなみに、今日の出来事のきっかけとなったのは、転校生の佐々木達也の存在が大きい。新一と蘭の関係を知らなかった佐々木が、蘭と付き合いたいがために、新一に挑戦状を叩きつけたこと始まった。
新一には佐々木の行動について、ある程度の予測は出来ていた。事前に今度やってくる転校生が男で、なおかつ、帰国子女という情報が入っていたからだ。佐々木が転校してくるその日から、新一が学校を休まなければならないことは、前々から決まっていたこと。そのため、新一は自分の留守中のことを、帝丹高校で唯一、2人の関係を正しく知る人物で、蘭の親友の園子に頼んであったのだ。
その園子も出来る限りのことはしたのだが、佐々木が予想以上に物分りの悪い男だったために、新一が想定する中での最悪の事態になったのである。
ちなみに、新一の想定の中には、蘭が自分以外の男と付き合うなどということは、最初からあるはずもない。
「こんなことなら、最初から学校を休まなきゃ良かったんだよな……」
「でも、それは無理なことだったんでしょ? だって、本当は……」
2年生の時、半年以上学校を休んだ新一が無事に進学が出来たのは、休んでいた理由の重大さと、新一の帝丹高校に対する貢献の大きさを、学校側が認めたからであった。ただし、当然のように、いくつかの条件は付けられた。その中の一つが、卒業するまで、身内の不幸などといったよっぽどのことがない限り、学校を休まないということ。事件の捜査のためでは、休む理由とはならないのだ。
しかし、今回、1週間という長期にわたって休むことができたのは、学校側に警察庁から直々に許可を求めたからであった。昨年、新一が関わっていた大規模な犯罪の最終的な事後捜査をFBIと共に進めるために、どうしても新一の力が必要だと言うのだ。そのため、学校側としても特別な計らいで例外を認めていたのだ。
けれども、本当の理由は少し違う。FBIと共同という点は正しいのだが、捜査のためではなかった。APTX4869という特殊な薬によって幼児化し、再び本来の姿に戻った新一の体を、最終段階の細かい検査をすることが真の目的だったのである。
そのため、先々週の金曜日の午後から今朝まで、新一は病院に缶詰状態で、外部との連絡もメールのみしか許されない状況に置かれていたのであった。
「そう、実際は病院に缶詰。こいつを断っていたら、今頃、どうなっていたことやら……」
「新一だけの問題ではないものね」
「まあな」
「ところで、その検査の結果のことだけど、本当に大丈夫だったの? メールでは何の問題もないってことだったけど」
「ああ。副作用が起きる可能性も、99%以上の確率でないそうだ。念のため、今後5年間は定期的に検査を継続するけどな」
「良かったぁ。これで哀ちゃんも、少しは気が楽になったでしょうし」
「だろうな」
この本当の理由を知る者は、帝丹高校内には2人以外には誰もいない。
「ったく、俺も甘かったよな……」
「そんなに私たちのことをみんなに知られたことって、マズイことなの?」
「いや、そいつは大した問題じゃない。今までの状況がそうは変わる訳じゃねーし。問題なのは、事前に予測できていたのに、阻止できなかった佐々木のことの方だ」
「私、佐々木君があんな風に思っていたなんて、本当に全然気が付かなかったんだけど……」
「オメーのその無防備さ、天然記念物級だからな」
「何それ! そっか、本当はやっぱり新一、私のことも怒ってるんでしょ?」
「いいや、オメーの鈍さなんて、ガキの頃から重々承知してることだし」
「何だか嫌な言い方ね。そういう新一だって、いつまでも子供っぽいんじゃないの?」
「俺のどこが子供っぽいって?」
「変にプライドの高いところとかね。もういいんじゃない? 佐々木君と私は別に何も無かったんだし」
「だから、そういう問題じゃないんだってーの……」
「はいはい。わかったから、もうそろそろ機嫌を直してくれない? 10日振りにやっと会えたんだし」
「そうだな……、だったら、今日、俺ん家に泊まりに来るって言うなら、機嫌を直してやっても良いけど?」
「お父さんが許すかな……」
「どうにかなるだろ? っと、もうそろそろ頃合かな」
「え?」
ここで新一はおもむろに携帯電話を取り出す。新一が通話ボタンを押した直後、2人の後方から聞き慣れたメロディーが聞こえてきた。
「え、まさか?」
本人の姿は見えなくとも、電話の持ち主の慌て振りは手に取るように新一にはわかっていた。
『なあ、園子。そんな所にいつまでも隠れていないでさ、そろそろ、姿を現したらどうなんだ?』
『もしかして、バレてた?』
『当たりめーだろ? そうそう、そこにいる連中にも伝えてとけよ! 探偵を尾行しようなんて、100年は早い、ってさ』
『じゃあ、最初っから私たちがあなた達の様子を伺っていたことに気付いてたの?』
『ああ、当然。だから、おまえらが心配したり、期待してるような展開には、最初からならないって訳』
2人の背後では急に騒がしくなる。園子をはじめとするクラスメートのほとんどと他のクラスからの生徒が、階段の踊り場に集まっていたのだ。もちろん、この中には、佐々木の姿は無い。
「まさか新一、最初からみんながいるのを知ってたのに、検査の話とか……」
「心配いらねえって。あいつらの耳に入らないように、重要な部分はわざと声を小さく話してたんだからさ」
「私にまで黙ってたなんて、ホント、新一も人が悪いわね?」
「しゃーねえだろ? 見て見ぬ振りをしたからこそ、検査結果だってこうして今のうちに蘭に話せたんだし」
「それはそうだけど……」
昼休みもその半分が終わる頃、屋上には数多くの生徒が集まってくる。その誰もが、バツが悪そうな表情を浮かべていた。
「昼飯も食わずに、みんなして何をやってるんだか……」
「蘭のことが心配だったのよ。みんなもそうでしょ?」
「そうそう。さっきの凄みを見ちゃったからには、工藤がヤケでも起こすんじゃないかって」
「だって、工藤君。あの後もずっと機嫌が悪かったしね」
「だよな。あんな工藤を見たの、俺、初めてだよ」
「うんうん」
「でも、それって言い換えれば、工藤君がいかに蘭のことを愛しているかってことの裏返しでもあるのよね?」
「なるほど!」
「おまえらなぁ、いい加減にしとけよ?」
「まあまあ、そうカッカしなさんなって。ようやく恋人宣言したことだし、これからは、今回のようなことがあったら、みんなで協力してやるからさ。あ、そうだ、今日は天気も良いんだし、たまには、みんなでピクニック気分なんてどうでしょう?」
「 賛 成!! 」
「ったく…」
「だから私は言ったでしょ? さっさと認めちゃいなってね。そうしてれば、佐々木君みたいな被害者は出なかったんだし」
「あいつの場合は、人の忠告も聞かなかったんだから、自業自得だっつうの」
「相変わらず、容赦無しね」
「当たりめーだろうが」
この日、帝丹高校の屋上には久々に生徒たちの笑い声が響き渡った。けれど、そんな光景もこの一日だけ。翌日からは再び、新一と蘭の2人だけの専用の場となる。もちろん、2人が卒業するその日まで……
ところで、この日以降、佐々木のような被害者が出なかったのかというと、そうでもない。もちろん、帝丹高校内ではいなかったのだが、他校では相当数に上っていたのだ。“他人の不幸は蜜の味”らしく、帝丹高校の生徒の誰もが、被害者が発生する様子を静観していたらしい。
余談だが、この日の放課後、蘭が部活を休んだことは言うまでもない。
このお話、最初は「大和撫子のご注意を!」と一つの話だったのですが、構成力不足で二つに分ける形になりました。設定的には、こちらが表だったはずなんですけどね。