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「あら、今日はひとりなの?」
「うん。お兄ちゃんはパパと公園にサッカーをしに行ったから。あのね、ママがクッキーを焼いたからお裾分けにどうぞって」
「じゃあ、ママのお使いだったのね」
「ううん。あいりが持って行きたいってお願いしたの」
「そう、それはありがとう。とりあえず、家の中に入って」
「うん」

青空が広がり、初夏を思わせるような日曜の午後、阿笠邸に小さな訪問者が訪れる。
彼女の名前は工藤あいり。隣りに住む若夫婦の4歳になる愛娘である。
哀にとってあいりは、物心付いた頃から懐いてくれたこともあり、年の離れた妹のような存在だった。

あいりをリビング(と言っても、このフロアは寝室も兼ねているという一風変わった部屋なのだが)に案内し、あいりの好きなオレンジジュースを差し出す。いつもなら、すぐにストローを口にするのだが、なぜか今日はコップに手を伸ばそうとすらしない。どうやら、あいりはその小さな胸に何か悩みを抱えている様子。 すぐに言い出しそうになかったので、哀は悩みとは関係の無さそうな質問でそれとなく探ることにした。

「パパは今日、珍しくお休みなの?」
「うん。パパはあいりたちが朝ご飯を食べてる時に帰ってきて、それから、ずっとあいりやお兄ちゃんと遊んでくれてるの」
「相変わらずタフね、工藤君は。それに、蘭さん思いなのも変わらずで」
「?」
「あなたのパパは、あなたのママやあなたたちのことが大好きだから、いつも大切にしているってことよ」
「本当?」
「ええ」
「あいりのことも?」
「もちろん」
「本当に?」

いつもなら屈託の無い笑顔を絶やさないあいりが、急に今までに見せたことの無いような真剣な表情を浮かべた。どうやら、悩みの原因はこの辺にあるらしい。

「ねえ、あいりちゃん、パパと喧嘩でもしたの?」
「ううん」
「じゃあ、お兄ちゃんと?」
「ううん」
「ママとは喧嘩はしないわよね?」
「うん」
「でも、何か悩んでることはあるのよね?」
「……」
哀の問い掛けに、あいりは唇をキュッと噛みしめ、俯いてしまった。

「あいりちゃん、私に話したいことがあったから一人で来たのよね?」
コクリと頷いて見せるものの、あいりの表情は変わらない。

「だったら」
「うん… それじゃあ、教えてくれる? あいりとお兄ちゃんとなら、みんな、お兄ちゃんの方が好きなの?」
「どうして?」
「だって、パパもママも、それに哀お姉さんだってそう。みんな、お兄ちゃんを見る時と、あいりを見る時とで見る目が違うんだもん!」
「そうか… それで、あいりちゃんは悩んでいたんだ」
あいりは再びコクリと頷き、そのまま黙り込んでしまった。

哀にはあいりの言葉に思い当たる節がないわけではない。いや、むしろ、あいりが言うみんなには、それぞれ自覚があるはずなのだ。あいりの双子の兄であるコナンを見るとき、どうしても、彼の向こうに、もうひとりのコナンを見ようとしていることに――――

「あいりちゃん、ちょっと、このままここで待っていてくれる?」
そう言い残し、哀は一旦、あいりの元を離れた。
哀には、自分ひとりの一存であいりの質問に答えて良いものか、判断が付かなかったのだ。
そのまま地下の研究室に向かい、コードレス電話を手にした。

「はい、工藤です」
「もしもし蘭さん?」
「哀ちゃん? あれ、確か今、あいりがそちらにお邪魔してるはずじゃ?」
「ええ。そこで、蘭さんにちょっと相談があるの―――」

数分後、哀がリビングに戻ると、あいりは相変わらず俯いたままだった。

「待たせてゴメンなさいね。ねえ、あいりちゃん。まずは、オレンジジュースを少しでも飲んだら?」
哀に促されるようにして、あいりはこの日初めてコップに手を伸ばした。

「ねえ、あいりちゃん、私の話を少しだけ聞いてくれる?」
哀の言葉に、あいりはようやく顔を上げる。

「あいりちゃんが悩むのも無理のないことなのかもしれないわね。だって、みんな、コナン君のことをどうしても特別な目で見てしまうから…」
「え?」
「それは決して、あいりちゃんよりコナン君の方をみんなが好きだからってわけではないの。……あいりちゃんたちが生まれるずっと前のことよ。あなたのパパやママが高校生で、私がまだ小学1年生だった頃に、コナン君に良く似た子が私や歩美ちゃんたちのクラスに居たの。その子は、クラスメートだった私たちにとってはもちろん、博士やあなたのパパやママや、二人のお父さんやお母さんたちにとっても特別な存在だったの。特にあなたのパパやママにとっては、お互いのことをどれだけ大切に思っているのかを、その子がいたから知ったようなものだったし……。コナン君がその子に日に日に似ていくものだから、みんな、その子のことを思い出していたのだと思うの」
「その人は今、どうしてるの?」
「お家の人の都合で外国に行っちゃって、それっきり。結局、私たちと一緒に居たのは半年くらいだったのかな」
「そうだったんだ……」
「ねえ、あいりちゃん。あなたやコナン君の名前がどうして付けられたのかをパパやママから聞いてる?」
「うん。お兄ちゃんの名前はパパが尊敬するホームズを生み出した人で、あいりの名前はホームズが好きだった女の人から付けたって」
「そう。それにちょっとだけ付け加えるとね、あいりちゃんの名前の元になった、アイリーン・アドラーという女性は、ホームズと知恵比べをして勝った人でもあるのよ」
「え? それって、ホームズより凄い人ってこと?」
「ある意味ではそうかもね。……あいりちゃんのパパはよく『平成のホームズ』なんて呼ばれてるけど、その工藤君にとっての『アイリーン・アドラー』はさしずめ蘭さんってことかしらね」
「ママが?」
「ええ。きっと、あいりちゃんにあなたのママのようになって欲しいから『あいり』って名前を付けたんじゃないかしら」
「ママみたいに?」
「そう。どーお? まだ、あいりちゃんは自分がコナン君より好かれていないと思う?」
「ううん」

ここにきて、ようやくあいり本来の屈託の無い笑顔が戻る。目の前のオレンジジュースを一気に飲み干すと哀にペコリとお辞儀をし、急に何かを思い出したかのように阿笠邸を後にした。
「ありがとう、哀お姉さん!!」
誰もが思わず微笑みを返したくなるような、愛くるしい笑顔を残して。

「あ、パパとお兄ちゃん!」
あいりが阿笠邸を出たところで、ちょうど公園から帰ってきた新一とコナンに鉢合わせることとなった。

「あいりが一人で来たのか?」
「うん。だって、あいりはお兄ちゃんより凄いから!」
「はぁ?」
当然のように面白くない表情を浮かべたのはコナン。新一もまた、あいりの言葉の意図を掴めず、怪訝な表情を浮かべていた。

「なんで、あいりがオレより凄いんだよ?」
「だって、お兄ちゃんはコナンで、あいりはあいりだから!」
「はぁ?」
「だって、そうなんだもん!」

そうこうしているうちに、三人は玄関先まで辿り着く。そこには、先ほどの哀の電話であいりを心配した蘭の姿があった。

「ただいま、ママ」「ただいま、お母さん」
「おかえりなさい、二人とも。それと、お疲れ様、新一」
「ああ」
「でも、あいりは哀ちゃんのところに行っていたはずなのに?」
「博士ん家の前で鉢合わせたんだよ」
「そうだったんだ」
「なあ、蘭。俺が居ない間に、あいりに何かあったのか?」
「あ、うん、それがね……」

蘭は先ほどの哀の電話の内容を、事細かに新一の耳元で話した。その説明でようやく新一はあいりの言葉の真意を掴むことになる。
「なるほど、そういうことか……」

「ねえ、パパ。ママはパパのあいりだよね?」
「何言ってんだよ、あいり。お母さんがあいりのわけないだろ?」
「だって……」
「まあ、あいりの言うことにも一理あるな」
「ほらね?」
「どうしてだよ、お父さん?」
「お前もあと10年もすればわかるさ。まあ、今はあいりの単なる戯言ぐらいに思っていればいいから」
「はぁ?」
「それより今は、コナンは風呂場に向かうこと。そんな、泥だらけの姿で家のなかをウロウロされたら、後から蘭に怒られるぞ? あいりもコナンと一緒に行きなさい。すぐに俺も行くから」
「はーい」「うん……」

二人の小さな後姿を見送ると同時に、緊張の糸がほぐれたのか、新一は大きな欠伸に襲われていた。

「さすがに徹夜明けで子供たちの相手はキツイんじゃない?」
「いや、これくらいならまだ大丈夫だよ」
「あんまり、無理はしないでね。それより、新一、さっき、あいりの言っていたことなんだけど……」
「あれは、正確にはあいりじゃなく、アイリーンって言ってるつもりなんだよ、あいりにしてみれば」
「アイリーンって、アイリーン・アドラーのこと?」
「ああ。哀からあいりの名前の由来を聞かされたのなら尚更のことさ」
「それで、ホームズが愛した女性ってことでアイリーンの名前を」
「まあ、そんなところだろうな」

(それと、ホームズが唯一負けを認めた女性でもあるからな、アイリーン・アドラーは。
俺にとっても、蘭が唯一、敵わない女性であるように――――)

もし、新一と蘭の間に女の子が生まれたならば?ということで書いてみたお話です。
ただ、留意の中では、コナンの存在が絶対的なものなので、双子という設定になったんですけどね。
あいりはあくまで裏設定なので、今後、どこかで登場する予定はありませんので。

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