「ねぇ新一、アレ、覚えてる?」
私の視線の先を追って、新一は「ああ」と穏やかに笑った。
粉雪舞う窓の向こう、白銀の世界に浮かぶオレンジ色の光を見つめて。
10年前のちょうど今日。あの夜と同じように ――――
* * *
数時間前のこと。
「クリスマスイブだというのに、若い娘が父親を手伝ってお茶出しとは、我が娘ながら不憫だよなぁ」
朝から何度目かのこんなお父さんの嫌味を聞かされながら、帰ったばかりの依頼人が残した湯のみ茶碗を片付けている時に、その馴染みのメロディーは鳴った。その音色に一瞬にしてお父さんの表情が苦虫を噛み潰したように変わって。
お父さんは今日一日、このメロディーを聞きたくなかったはず。
事前に外泊するかもしれない、とだけ伝えてあったから……
そんなお父さんを背にして、慌ててケータイの通話ボタン押した。
「お疲れ様、新一。もう大丈夫なの?」
「ああ。だいぶ待たせたな。今から迎えに行くから。それと、そこにおじさんがいるようだったら、変わってくれないか?」
「お父さんと?」
訝しがるお父さんにケータイを渡してから、10分くらいは話し込んでいたんじゃないかな? というより、お父さんが一方的に嫌味を言い続けていただけかもしれないけど。
その間に急いで着替えを済ませ、ボストンバックを片手に事務所に戻ったら、ムスっとした顔のまま通話を終えるところだった。
「朝から何度も『可哀想に』『不憫だ』とか言ってなかったっけ?」
「それは、だから、その……」
「娘に僻むくらいだったら、お父さんもお母さんをデートに誘えば良いんじゃない? はい!」
と、困惑の中にも悲しそうな色が見え隠れするお父さんに、一通の封筒を手渡す。封筒の中身はクリスマスカードとお母さんが好きそうな映画のペアチケット。
「たまには娘からのクリスマスプレゼントも悪くは無いでしょ? それと……」
今日のように嫌味を言われることも少なくないけど、最終的にはいつも私たちのことを認めてくれるお父さんとお母さんに感謝の気持ちを込めて、少しの罪悪感と共に深々と頭を下げた。
「いつもありがとう、お父さん。ワガママついでにお願いなんだけど、今夜くらいはお母さんとケンカしたりしないでね?」
* * *
10年ぶりに訪れたペンションは、あの頃と同じように優しい雰囲気に包まれていた。
全部で7部屋あるのだけど、今夜のゲストは新一と私の二人だけ。
オーナーの佐伯夫妻の話では、新一の両親と夫妻は20年以上の旧知の間柄で、ペンション開業に不安を抱いていた夫妻に送られた二人の助言が後押しとなって、この地にペンションを開くことにしたそうで。その後も折に触れて相談に乗ってもらったり、そんな経緯もあって、ペンションの開業20周年のゲストに、夫妻にとって恩人とも言える新一の両親の代わりとして、新一と私は呼ばれたらしい。
そんな事情を知ったのは、夕食を囲むテーブルでのことで。
この話を聞いて、どうして私が?と不思議に思ったのだけど、佐伯夫妻も私たち二人の来訪を心待ちにしていたというので、結局、素直に甘えることにした。
不意に思い出したのは、新一の両親と私たちに佐伯夫妻も加わってテーブルを囲み、オーナーご自慢のお手製クリスマスケーキを食べた、楽しくて、けれど、どこかくすぐったくも感じていた、10年前のあの夜の光景。
* * *
―――― あの夜と同じ部屋同じ時間に、同じように肩を並べて窓の外を望みながら。
「冗談で言ったことを本気にするか、普通?」
「だって、あの日まで私、スキー場のナイター照明を見たことが無かったんだもん。だから、あのオレンジの光は実はUFOが墜落した姿だ、なんて言われて、本当なのかも?と思っちゃって……」
今になって思い返してみれば笑い話でしかないのだけど、当時8歳だった私には初めての光景はあまりに幻想的過ぎて、恐怖心すら抱いてしまったのだと思う。
だから、あの夜は本気で宇宙人の存在を恐れ、もし攫われてしまうのなら、せめて新一と一緒にと心から願ってしまったのだけど、そこまでは新一も知らないはずで……。
「今もオバケだかなんだかって怖がる辺りは、あの頃と大して変わってないとも言えるけどな?」
「それ、ちょっと言い過ぎじゃない?」
「まあまあ」となだめるように頭をポンポンと叩かれ、その腕でぐっと抱きすくめられてしまった。
そのままゆったりとした時間が流れる。
私の一番の癒しのメロディーが貴方の鼓動だと知ってのことだから ――――
「蘭はそのままでいいよ」
「え?」
「不思議なことには素直に驚いたり、怖がったり。誰かが喜んでいたら一緒に笑って、誰かが悲しんでいたら手をそっと差し出すような……、そんな蘭のままで、いつまでもいて欲しい……」
やっぱり新一はズルイと思う。
だから私も、ほんの少しだけ意地悪な質問を投げかけてみた。
「ねぇ、もし、もしものことだけど、いつか宇宙人がやってきて、私を攫っていこうとしたら、新一と一緒じゃなきゃ絶対に嫌だ!ってお願いしてもいい?」
一瞬、驚いたような表情だったけど、すぐにいつもの余裕たっぷりの笑みに戻って。
「ああ。だけど、本当にそんなことになったら、俺はその宇宙人とやらを何としても倒すか、諦めさせるけどな」
そうね。貴方はそういう人よね。
いつだって貴方は私のことを全力で守ってくれるから。
だから私も貴方の側で、貴方の支えに少しでもなれればと思っているの。
いつの間にか、窓の外はしんしんと降り積もるような雪に変わって、あのオレンジの灯も霞んでしまった。
窓の下に視線を向けると、生木に飾られたイルミネーションが幻想的に輝いていて……
何よりも暖かく安らげる『貴方の腕の中』というその場所で、私はかけがえの無い幸せを感じていた。
貴方もそうであって欲しいと願いながら ――――
実を言うと、この話が思い浮かんだのは22日の18時頃で、家路を急いで車を運転している時にネタが降ってきて、それから慌てて書いたものだったりします。
だから、という訳でもないけど、あまりクリスマスって感じはしないかも?(苦笑)
出来ることなら、もう少し校正を重ねたかったところなんですが…………