ユメヲミタ

日中の穏やかな陽光の雰囲気を残したままの黄昏の中、見慣れた住宅街を肩を並べて進む。先ほどまでの喧騒が嘘だったように、辺りは静寂に包まれていた。 時よりすれ違う晴れ着姿の女の子たちに倣って、私も新一の左腕にさりげなく右手を絡めてみた。その表情を変わらないけど、鼓動が少し早くなったように思うのは、私の気のせいではないよね?

卒業まで残り少ないからと、誰からとも無く、みんなで新年会をやろう、と提案されたのは冬休み直前のことで。そして、今日の午後1時、駅前のカラオケボックスに集合となった。
当然、推薦などで早々に進路が決まった人が中心だったのだけど、それでも20人近いクラスメートが集まって。その中に私や園子も含まれていた。そして、新一も……

高校生探偵として多忙を極める新一が、こういった集まりに参加するのは稀なことだったから、宴の途中で新一が現れた時には、ちょっとした騒ぎに。きっと今頃は、もっと騒ぎになっているんじゃないかな? だって、私と新一は園子に協力してもらって、新年会が終わるのを待たずに抜けだしてきたのだから……
―――― ゴメンね、園子。今回も損な役回りを引き受けてもらって。この仮はちゃんと返すからね?

「徹夜麻雀だって? 今日はおじさん」
「そう。毎年この時期恒例の町内会の人たちとのね」
「それで、園子ん家に泊まるっていうのも、すんなりOKしてくれた訳か」
「嘘だって気付いているんだろうけど、それでも、私を家に独り残すよりはマシだと思っているみたい……」
「……悪いな」

新一はわかってくれているから。お父さんへの罪悪感を。
だから、思わず伏し目がちになった私に、そんな風に声を掛けてくれたのよね?

「何かあったのか?」
「え?」

私、そんなに深刻な顔をしていたのかな?と、思わず苦笑して。
「ううん、大したことじゃないの。ただ、今日の午前中にお母さんから電話があってね。予定では、明後日お父さんと2人で学生時代にお世話になった恩師の家に、久し振りに訪問することになっていたんだけど、急遽、先方の都合で中止になったからと連絡があったの。その電話以来、お父さん、ちょっとイライラしてて……」
「機嫌が悪くなった、と?」
「ちょっとね。口では面倒だとか言っていたけど、お母さんと久し振りに思い出の地に行けるのを楽しみにしていたみたいだから」
「代わりにどこか違う場所に行く、という選択肢は無い訳だ」
「うん、相変わらず、2人とも意地っ張りだから……」

そんなことを話しているうちに、新一の家の前まで辿り着く。不意に、門を開けようとしていた新一の右手が止まった。

「どうしたの?」
「あれ……」
新一が指差した先を見ると、玄関の前に見慣れないものが置かれている。
恐る恐る近付いて、更に驚いた。

「ねえ新一?」
「さあ、俺にもわからない……」

新一が珍しく困惑の表情を浮かべる。
そこにあったのは、小動物用のゲージと、猫用の餌やトイレにベッド等の一式だった。

新一がゲージにテープで貼り付けてあった封筒を手にする。

『勝手なお願いということは重々承知しておりますが、
どうか、この仔を今夜一晩だけ預かって下さい。
この仔の名前は「ダリア」といいます。
頼めるのは貴方しかいないんです。どうかお願い致します。

 守 須  』

念の為、爆弾などが隠されていないか、新一が慎重に確認したけど、それらしきものは見つからなかったので、荷物一式を2人でリビングに運ぶ。新一はその間もずっと、『守須』と『ダリア』の2つの名前について、記憶を巡らせていた。

「ああ、わかんねー! 俺にしか頼めないってどういうことだよ!?」
「心当たりはないの?」
「全然。二つともそう多くない名前だろ? 依頼人や事件の関係者で会っていたとしたら、印象に残っているはずだし……」
新一は相当イライラしているみたい。その証拠に、髪の毛をくしゃくしゃと掻き毟っていた。

「あんまりイライラしないで、新一。ダリアちゃん、すっかり怯えちゃっているみたいだし」
ゲージの奥に怯えきった眼が光っていた。

なるべく刺激しないようにそぉーっと手を伸ばすと、ダリアちゃんはそれ以上は無理なのに、尚も奥に逃れようとした。仕方が無いので、両前足の下に手を入れて、少し強引にゲージから引き出す。ダリアちゃんは爪をむき出して、全身を硬直させていた。

ダリアちゃんは毛色がグレー、瞳の色がカッパー(銅色)のペルシャ猫で、おそらく、生後半年と経っていない子猫だった。

「第一印象は良く無いみたい……」
「まあ、ペルシャ猫は元々が人懐っこい猫って訳ではないみてーだからな」

その後、暫くダリアちゃんの頭や喉の辺りを撫で続けてみたけど、一向に緊張をほぐそうとしない。その間に餌やトイレをセットしていた新一がリビングに戻ってきた。

「まだダメか?」
「うん……、飼い主さん以外には心を開かないのかも?」
「まあ、その可能性もあるな。とりあえず、俺に貸してみな? あの手紙の字の感じだと、ソイツの飼い主は男みてーだから、案外、俺のほうがうまくいくかもよ」
「それもそうね。じゃあ、私、コーヒーでも淹れてくるね」

数分後、マグカップを2つ手にしてリビングに戻ると、新一はソファーに横たわって、胸の辺りに座らせた猫の頭を撫でていた。
「お前、ペルシャ猫なのに鼻が高くて、意外と美人だな」

声を掛けるのが、一瞬、躊躇われて。
「どう?」
「少しは落ち着いてきたみたいだな」
確かに、ダリアちゃんの姿はさっきまで私が抱いていたときと違って、全身を硬直させてはいないようだった。
その様子にちょっとだけ嫉妬してみたり……

「蘭もやってみる?」
「やってみるって?」
「こうして寝そべってさ……。案外、心臓の音とか聞いて安心するのかもよ?」
「そうかなぁ……」

何となく騙されたような気持ちで、ダリアちゃんを受け取り、ソファーに横たわってみる。
すると、不思議なもので、数分後にはダリアちゃんはゴロゴロと喉を鳴らし始めた。

「男とか女とか関係なかったみたいだな?」
「あ、うん……」
新一が悪戯っぽい笑みを浮かべる。やっぱり、さっきの子供みたいな嫉妬心を見抜かれていたのね?

* * *

耳慣れない音で目覚めてみると、隣で蘭は穏やかな寝息を立てて眠ったまま。
まあ、蘭の場合は普段から、目覚まし時計がならないと、そう簡単には起きないのだけど。

音の主はダリアで、寝室のドアでガリガリと爪研ぎながら、ニャーというより、ナーに近い高い声で鳴いていた。

昨夜、一人きりにするのは可哀想だからと、蘭はダリアのベッドを俺の部屋に持ち込んで、一緒の部屋に眠ることになった。正直俺は、迷惑だったのだけど……

そのダリアのために、昨夜は猫が通れるくらいに部屋のドアを開けて眠ったのに、ドアの向こうでダリアは必死に入れてくれとアピールしている。出入りしているうちに何かの拍子で閉まってしまったというところか。そういえば、ダリアが家に来て以来、初めて鳴き声を聞いた気がする……

ドアを開けてやると、昨夜は自分のベッドで眠ったくせに、今度は蘭の足元で体を丸める。時計をみると、起床予定時間のちょうど1時間前。このまま起きてしまうのも悪くないけど、蘭の寝顔に負けて俺はベッドに戻ることにした。足元の存在にかなりの違和感を感じながら……

朝食が終わった頃には、ダリアはすっかり俺たちに慣れて、蘭が名前を呼ぶと、例の甲高い鳴き後で返事をするまでになっていた。

そのまま暫く2人でダリアの相手をしていると、不意に蘭の携帯電話が鳴った。

「あ、お父さん?」
俺は思わずダリアから手を放し、2人の会話に集中した。

「え? 急に今日行くことになったの? ―――― でも、お父さん、徹夜麻雀であまり寝ていなんでしょ? 大丈夫? ―――― そう。わかった、そうするね。じゃあ、くれぐれも気をつけてね」

蘭は通話中から満面の笑みを浮かべていた。
「結局、その恩師にところに今日行くことになったのか?」
「うん。先方が今日なら午後から時間を作れるからと、さっき連絡があったんだって。それでね、もしなんだったら、今夜も泊めてもらえって、お父さんが言ってたんだけど……」
「断る理由なんてないだろ?」

思い掛けないお年玉に俺も蘭も舞い上がっていたのか、俺たちは暫く、その異変にまったく気付かずにいた。

「あれ? ダリアちゃんは?」
「そういえば……」
ついさっきまで俺たちの手元にいたのに、リビング中を見渡してもダリアの姿はない。
廊下に置いておいたトイレにでも向かったのかと思い廊下に出ると、不可解な光景が広がっていた。

「蘭、ちょっと来てくれ」

「どうしたの? 新一?」
「オメー、ダリアのトイレを動かしたりしていないよな?」
「うん、そうだけど。あれ? 無くなってる!」
「ああ……」

そう。少なくとも今朝、朝食を食べる前まではそこにあった猫用トイレが消えていたのだ。妙な胸騒ぎがして、俺は慌てて2階の自室に向かった。

「どう?」
後から追ってきた蘭に、俺はただ首を横に振った。
この部屋のダリアのベッドも消えていた。

「そういえば!」
と、俺は廊下側のドアの下を確認する。
予想通り、猫が爪を研いだ後などは全く見当たらない。
念の為、1階に戻り、餌や水の有無を確認しても、案の定、何もなかった。

つまり、蘭が電話で話していた僅かな間に、ダリアはその姿どころか、そこにいた形跡や気配までもを消し去っていたのだ。

「そもそも、守須なんて人も知らないし…………。
―――― もしかして俺たち、長い幻想(ユメ)でも見てたのか?」

一応、説明しておきますと、小五郎さんの新一に対する日頃の恨みつらみが、英理さんとの久々の2人きりでの旅行がキャンセルになったことがきっかけで爆発し、その恨み諸々が猫の姿となって新蘭の仲を邪魔した(実情はあまり邪魔にはなっていないけど)といった内容なんですが……、この説明でも意味不明かも?(苦笑)

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