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2000年 US WEST TOUR(第2回) |
今年もアメリカの大地を走りたい。 ここに、記録し次回への資料とするものである。 写真のページ |
発見。程無くジョウさんこと城さん、コバチャンこと小林さん、次々に目印の ヘルメットで声を掛けながら確認。 もう一人 黒ちゃんこと黒沢さんが来ない。 空港カウンターで聞いたら既に到着していて、搭乗券を交付済みとのこと。 仕方なく、搭乗券を頂きバゲージを預けて、出国手続をする。 そのうち、ヘルメットを持った黒ちゃんも見つかるだろう、と思いつつ。 そして、自己紹介を兼ねて、しばし雑談。 搭乗開始の案内。 マリゾーさんは、黒ちゃんを探しにさほど広くない搭乗待合室をウロチョロ。 相変わらず目標はヘルメットを持った人だ。 しかし、どこにもそんな人は居ない、とのこと。 ここに居る人は全員MH092便に乗る人ばかりなのに。 一体どこにいるのだろう。 私は今回ビジネスクラスなので一足早く機内に入る。 そして幸運にも、ビジネスクラスがオーバーブッキングだったので、ファーストク ラスにグレードアップ。 最高の気分で最高のサービスを受ける 他の3人は仲良くエコノミーへ。
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先ずは、ファーストクラスからタラップを降りる。 その定説通り 最初にLA の地を踏む。 入国審査を終えて、出口に向かうと送迎の人の山。 目印のヘルメットを横にかかえて、人垣の中を掻き分けていけば突然 丸刈り 頭のケンちゃんが私を見つけて、須藤さんですか? この一声で、アメリカ バイク ツアー開始。
20分程してエコノミーの3人現れる。 しかし、黒ちゃんだけ現れない。 30分以上経過しただろうか? 次の便の乗客も降りてきたが、まだ黒ちゃん現れず。
突然、いやーどうもー、 どうもー 。 目ざとくケンちゃんを見つけたのだろう。黒ちゃんはバンザイのリピーター。 テンガロンハットをかぶり、アロハシャツにショートパンツ、そしてスニーカ。 真っ黒に日焼けした小さな体で、大げさに現れたものだから、黒ちゃんがどんな 人か、期待して待っていた我々が度肝を抜かれた。 成田からずっと気になっている人がこんな形で現れたものだから、瞬間、4人は 声が出なかった。 それはこれから始まるUS TOUR 7日間を一瞬考えた空白だった、と私は思う。
多少遅れはしたが、そのまま真っ直ぐイーグルライダーへ向かう。 空港からわずか15分程のところにあった。 あとで解ったことだが、黒ちゃんはヘルメットはハードケースの中に 入れて来たとの事。 どおりで、目印のヘルメットは我々4人しかいなかった訳だ。 そして、空港で時間が掛かったのは入国審査カードの記入をしていなかったので 書かされていたのだ、ということだった。 しかし、実は本人が知らないだけでチャンとバンザイツアーの方で用意してあった のだが。 黒ちゃんの人柄がよくわかる。
ここで我々が乗るロードキング2台とヘリテージ2台に対面。 私とコバちゃんはロードキング、黒ちゃんとジョウさんはヘリテージにに分乗し、 最初の宿に向かう。 マリゾーさんは今回はサポート役で、ケンちゃんと一緒に車組。 何かあやしいゾ…・黒ちゃん独り言
最初の宿はTorrance Plaza Hotel 近くに日本企業が多いので、日本人宿泊者が多い。 フロントも日本語がぺらぺらのアメリカ人が対応。 モーテルのクラスとしては、上級の部類だと思う。 4台のバイクを3重の鍵でロックして休む。 夜は6人でケンちゃん推薦のステーキを、美味。
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ベッドに横たわりウトウトしてたら、 5時丁度 モーニングコール(実はケンちゃんの声)。 毎度のことながら、睡眠は3時間程度。 今日の予定は、Torrance を出発して、Interstate 110 North に入り Interstate 91 East を経由して Corona でInterstate 15 Westへ。 そして、Oak Hill RDで降りてSummit Innで朝食。
ケンちゃん曰く 、ここのUncle Madam 有名人らしい。 理由は忘れたか、はたまた聞かなかったのか、は置いとおいて。 取り急ぎ、Uncle Madamと記念写真だけは撮る。 金髪がきれいな人で、50才若かったら好みのタイプかも。 もしかすると、あのマリリンモンローの遠縁かなー?
出発から、この地までの所用時間は約1時間30分。90マイル(約144キロ)。 それまでは、食事はお預け。 つまり朝飯まえの仕事と言う訳だ。 なにせ、今日は800キロ走らねばならぬ。 その先はInterstate 15 でBarstowまで行き、Interstate 40 に乗り換え Needles Kingman Seligman を通過して2日目の宿泊地Williams を目指す。 ここまでの距離が800キロ。地図で見ると隣の町といったところなのだが。
KingmanからSeligmanまではRoute66のAmerican Histric街道を走る。 実は昨年もこのRouteを走った。最も逆からのSeligmanからKingmanであったが。 並行して走る Interstate40を利用すれば時間も短縮できるだろうが、やはり Harley 乗りはRoute66を無視してはいけない、らしい。 理由は知らない。 そして地図には載っていないが、更に鉄道も並行して走ってる。 Union Pacificとか Southern Pacificの大陸横断鉄道である。 丁度我々が走っている時も、多くのコンテナ列車が走っていた。 走っているものも日本とは桁違いで、100両以上ものコンテナ車を繋いで、更に 驚くことは、このコンテナを2段に積んでいるのである、、、、、、、、、圧巻。 機関車も5−6両で引っ張っていくのであるが、Americaであることを実感。
途中Hackberryで休憩をとる。 赤と白のコルベットが置いてあった。実は昨年もあった。
ケンちゃんの独り言(つい最近の情報として)。 あのコルベット、日本の芸ノー人が買ったが、お金を振り込まな かった、との事。 よって、この契約は破棄され、もちろん今も Route66の顔。
ここで、ドイツから来た2人連れのHarley仲間と記念の写真を撮る。 ドイツのナンバープレートが付いていた。持ち込みだ。凄い。
HackberryからSeligmanまでは一本道なので、自由走行と、ケンちゃん決める。 決まるや否や、一斉に出発。私は一番最後に出発。 しかし、Seligman には何故か私が一番先に到着。 黒ちゃんと2人で 飛ばしたのが良かったのか? ジョウさん コバちゃんの2人が賢く雨宿りをしたのがよかったのか。
と言うのも、スタートした時は天気は良かったのだが、途中から雲行きが悪くなり、 みるみる内に嵐になってしまたのだ。 昨年もこの区間で酷い目にあったが、今回も同様だ。 雷はいつ当たっても不思議ではない状態だし、雨も容赦なく打ち込んでくる。 とても走る状態ではないが、さりとて、隠れるところもない。 何しろ、雷の恐怖を感じたのは、30数年振りではなかろうか? 年が分かってしまう。 取り合えず目的地まで走るしかない、と決めこみ飛ばしに飛ばした。 所々に、見覚えの建物があり、また来たぞと横目で眺めながら。
兎も角、この40マイル程(64キロ程)の距離を、周りの風景を楽しむでなく、 Harley に跨って独特の感触を味わうでなく、只管走りに走ったのだ。 実は今回の雨具、昨年のこのRoute66で使用して以来なのだ。 勿論、日本では雨の日はバイクに乗らないし、最近は遠出もしないから雨具は 非常用なのだが、当地では必需品。 そんなこんなで、Seligman到着。
ここSeligmanはケンちゃんご贔屓の店がある。 店主は Mr Angel Delgadillo 。 職業は床屋さん、みやげもの屋さん。 そしてRoute66振興会の会長であり、 世に広しめた功労者。 店内には各種いろんな記念品的土産物が置いてあったが、勿論全部売り物。 ひとつだけ、面白いもの発見。 それは来店した人が、Mr Angel と一緒に写した写真集。 どっかで見た方が写っている。 しばらく考えたが思い出せない。 Miss Delgadillo に聞いたが分からない。 日本に帰ってから思い出した。 そうだ、あのサッカーのジイコではないか。 いつものユニフォームじゃあないから、思い出せなかった。 と言うよりも、私は、野球(超巨人ファン)の方が好きだったのだ。
追伸 ケンちゃんの写真もあったヨ。
結局、Mr Angel に髪を刈ってもらう猛者はいなかった。 何故なら、5人全員、髪を切れない理由があったから。 マリゾーさんは紅一点で髪は命だシー 黒ちゃんは髪を結ってるシー ジョウさんは切ってもいいけど、帰るまでには伸びないシー コバちゃんは職務上信用問題だシー 私は初めから、切りようがないシー ケンちゃんは切ったばかりだシー かくして、シーシーずくしで、次回の再会を約して出発。
雨の中、 Interstate 40 に入る。 Williams まではもう一息だ。
不思議なことにさっきまで、あんなに暗かったのに、Williams市内に 入いると、ぱーっと明るくなってきた。 一体Seligmanの嵐はなんだったのだろう。 なんか狐に騙されたみたいだ。 本当は夕方なのだが、街自体が明るくて、まるで土曜日の昼下がりのようだ。 USAとJAPANの違いを見せ付けられた。 今晩泊まるSuper 8 Motel はそんな街中を突っ切ったところにあった。 2階建ての建物で、森林の中にある大型ロッジと言ったところか。 パーキングは舗装されていないので、留めるのに注意が必要。
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Super 8 Motel 朝7時出発 昨夜も睡眠は3時間強といったところか。 こちらの朝は寒い。皮ジャンをはおって出発。 今日のスケジュールは Interstste64 を真っ直ぐ、 Grand Canyon へ。 朝食は Grand Canyon 入り口のMacで済ませ、午前中は広大な自然を見学。 その後Cameronで Interstste 89に入り Kayenta まで一直線。 Kayente には私の大好きなMonument Valley がある。 今回も投げキッスで挨拶しよう。 本日の走行距離は500キロ、昨日の800キロでも体力的にはたいしたことは なかったから、今日は楽勝だ。
Grand Canyonにて 雄大な自然を前にして、しばしその景観を眺めていたら、隣でジョウさんがGrand Canyon の素晴らしさを長々と説明してくれた。 Grand Canyonでガイドをしていたのかと思いきや、本に書いてあったとのこと。 なるほど、職業のなせる技か。 勿論、ジョウさん、今回初めて。 ちなみに、私は2度目。
Cameronだったかな? 参加者の状況について。 黒ちゃんのネタをひとつ提供 GSから右折時、転倒。しかし怪我はなし、よかった。 ついでにジョウさんも。 ジョウさんの愛車、キャブレターに虫が入りエンジン始動せず。 トラブルは続く。 そした私とコバちゃん 先にKayenta へ。 しかし途中、道路工事があり、日差しの強い中で渋滞にまきこまれる。 暑さには相当自信あったが、これには参った。 こんな所で工事、と言うことはアメリカの景気が良いことの証明だ。 妙なところで感心してたら、昨年泊まった Kayenta Hampton Inn の前 を通り過ぎ、待合せ場所のショッピングセンターのある駐車場へ到着。 ここで私とコバちゃん待つこと小1時間。 荒野の7人? 否6人揃ったところで いざ Monument Valley へ出発。 ここは、Monument Valley 素晴らしくて、言葉はいらない。 ただ、ただ、自然が作った作品に感動するのみ。 そして、この地を保存しているアメリカ合衆国に感謝。 今晩の宿泊地Mexican Hat の Burch` Motel には明るい内に到着。 その名前のとおり、Mexico に行ったらこんな宿が多いのだろうな、と思わせる 荒野の中の一軒家だ。 設備もお世辞にも良いとはいえない。 しかもテレビが凄い。 こんなものがまだ、あったのか、言う感じ。 なにせ、白黒で、チャンネルつまみがあり、その上つまみがシッカリ固定されて いないから、画面のチュウニングが出来ない。40才以上の方は理解できる。 写りは最悪で、ほとんど写らない。 当然リモコンなどある訳がない。 おかげでテレビは見れなかった。 このテレビ、反ってレア−物で希少価値があるかもしれない。 少なくても、40年以上前の代物だ。 しかし、付帯してある隣のレストランのもてなしは最高であった、 そして、夕刻荒野の中に隠れようとしている月の美しかったこと。 まさに西部劇の世界でありました。
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我々は昨日ずーっと Arizona 州の上部を走ってきたことになる。 そして、Monument Valley は Utah 州との堺に位置している。
本日の予定はUtha 州 Mexican Hat を出発して、昨日のMonument Valley を通り 、Arizona 州へ入る。 Interstate163 でKayenta まで戻り、Interstate160West へ入る。 Tuba City の10マイル先を右折。鉄道 BMGLP の踏み切りを渡り、 Interstate89Eastへ。 The Gap からIndian Routes20East へ。 そして Kaibito を通ってPage までの280キロのコース、更に今日の予定 は楽勝。
本日の見所は Kaibito だ。 The Gap から Indian Routes に入ったところで、風景が変わる 昨日までは、西部劇に出てくる赤茶けた岩山、まさに荒野そのもの。 今日は、樹木があり、花こう岩で出来てるような山が続く。 丁度 Colorado で見たような山並みだ。 途中で1回休憩をいれたが、昼食前に Page に到着。 そのまま、Super 8 Motel にチェック イン。
Lake Powell 午後からはジョウさん コバちゃん 私の3人で夕方まで泳ぐ。 当初、私だけ市民プールで泳ぐと言う案もあったのだが、ケンちゃんも 行ったことがなく、良く知らないと言うことで、この案はボツ。 ここは人造湖としては、世界一の大きいとのこと。 とても湖とは思えない大きさだ。 この湖はColorado川と繋がっており、Grand Canyon を通って 西は New Mexico に、東は Colorado へ伸びている。 そして、ここはアメリカ大陸の中でも、マリーンスポーツが出来るところ。 ヨーロッパからの観光客と思われる家族が沢山来ていた。 なぜなら、子供達がフランス語とかドイツ語で会話をしてたから。 我々はここに3時間ほど過ごした。 5時頃になると、急に雲行きが変わり嵐のような状態。 海岸にいたグループも続々帰り始めた。 しかし、我々はケンちゃんが迎えに来るため、強風の中待つことになる。 ここは車がないと、どうしようもないところだ。 ただ、黒ちゃんだけは別、車など不要。 今日も一人でジョギング。約20キロ走ったとのこと。凄い。
夜は、ウエスタンバンドを聞きながらステーキ。 食後、ショッピングセンターで買物をする。 |
それまでは、睡眠3−4時間だった。 お陰で朝はすっきり。 今日の予定はArizona州 Page Super 8 Motel を出発して、 それから、Interstate 15West で、Nevada 州 Las Vegas に入る。 今日の走行距離は約500キロ。 アメリカを走る場合、日本と同じ物差しで考えると拙い。 アメリカでの、500キロというのは時間で読める距離。 簡単に言えば、我々が新幹線を利用して目的地までの移動時間を読むのと同 じ事だ。 しかし、アメリカを走る場合立体的に考えないとだめ。 今日走る500キロは、日中の温度差が20度近くもある。 Zionでは17−8度くらい、一方 Las Vegas は40度近くはあったと思う。 こうなると、Tシャツ1枚の人とセーターを羽織ってる人が一緒になっても仕方が ない。 日本のように一元的な見方、考え方はできない。
Zion と Kaibito と。 色で言うなら、青と赤。寒色系と暖色系。 或いは、先住者と避暑地に来た客。 バイクで走っての感想だが、そんな印象を受けた。
Interstate 15 Westにて。 ここで、思わぬ出来事が。 走行中、ジョウさんのロードキングのサイドトランクの蓋が空いてるのを発見。 警笛を鳴らして連絡すれど、ジョウさん気がつかず。 追いぬいて、やっと気付いて停車。 私はその間、皆は先へ進でいると思った。 蓋を閉めて、ジョウさん出発。私もその後を追うように出発しようとしたが、後続 車が多く発進が遅れてしまった。 私は遅れを取り戻すべく追い越し車線に入り、一気に皆に合流すべく加速したら、 な、なんと先の路側帯で皆が待っているではないか。 私が気が付くのが遅かったのと、然も追い越し車線で車の量も多く、流れも早かっ たので、急には車線変更できず。 Interstate のような高速道路で迷子になったら、高速道路の路肩で待つのは それは先程の休憩で、 Las Vegas での宿泊地 Excalibur までの道順を聞い ていたので、何の迷いもなく、一人そのまま進むことに決めた。
少し不安はあったが、どうせ一本道。 時には、たった一人で走るのも良いもんだ。 軽い気持ちだった。 初めは、片側2車線の広い真っ直ぐな道だった。 この状態でLas Vegas まで続けば良いのだが、そう甘くはない。 車がだんだん増えてきた。 そして、車線も当然増えてくる。 少なくても、片側6車線以上には、なっていただろうか。 しかも、大きな標識看板には聞いた事もない行き先が、どんどん現れてくる。 当然英語で表示されてるから、瞬時に判断しなければいけない。 更にたくさんある車線も、2車線毎に分かれて行くから、たまったものではない。 行き先表示が物凄く多く、然も支線の合流と分離が多いので、自分でしっかり行き 先を認識していないととんでもない方向へ行ってしまう。 アメリカ大陸のんびり、ゆったり、なんて言葉は一体どこの話しだ。 例え日本でも、先頭の後を付いて行くだけであれば、道は憶えられない。 今回のアメリカツアーでは、我々はケンちゃんの後ろを付いて行くだけで、楽しい ツアーが続けられる。 そういう意味で、単独で走ることのスリルを味わった。 もし、Interstate 15 West の本線を真っ直ぐ、と言うことを忘れていたら 間違いなく道に迷ったに違いない。 スピードが75マイル強(時速120キロ以上)と早く、車の量も圧倒的に多い 中で反省するも、後の祭りだ。 ともかく、無事 Hotel Excalibur にたどり着く。今回唯一のHotelだ。 オット、明日泊まる所もHotel とメモにあったっけ。 だんだん豪勢になってくる。 ケンちゃんには心配をかけてしまった。ゴメン。
Las Vegas の夜。 明るい内に着いたので、ショッピングを楽しむ。 なぜか絶対に買いそうもないカウボーイブーツなぞ買ってしまった。 夜、食事はHarley Café に行く。 ここは昨年も来たところ。去年と変わらず。 オーダーも去年と同じもので、ファジータ。 味はマーマー、量で勝負。と言う所か。 食事を終えたところで、ケンちゃん絶叫マシーンに行こうとの掛け声。 マリゾーさん、物凄い乗り気。 先程TVで Las Vegasの紹介を見ていたら、その絶叫マシーンのCMがあった。 あれだけは避けたいと思っていたが、イヤな雲行きになってきた。 でも、ケンちゃん マリゾーさん コバちゃんの3人は賛成派。 黒ちゃんは、どっちでも派。 絶対反対派はジョウさんと私。 多勢に無勢で、近くに行って見てるだけとかタワーに上がって下を見ようとかで 結局絶叫マシーンのあるタワーまで来てしまった。 入場料が必要だとかで、あれ、オレは乗らないぞと主張するも、エレベータに乗っ て、展望台に行くだろう?、てな訳で、それじゃー仕方ないか、と人波に呑まれな がら抵抗すれど、気が付けば、流れは乗るための列の中に入ってる。 もう回りは順番待ちの人人人…………・。 そして興奮状態。 ケンちゃん、大丈夫 ダイジョウブ だいじょうぶの平気のへの字。 こりゃー駄目だ。 逃げれない、覚悟を決める。 この絶叫マシーンは Las Vegas市内で一番高いタワーの上に出来ており、 そこから更に、夜の星に向かって物凄いスピードで一気に上昇するのだ。 加速感は何Gとか言ってたが、私はもうウワの空。 しかも、シートベルトをするだけで体はもろ。 何も覆うものはない。 足も載せる台はなく、ブラブラ。 踏ん張ることも出来ず、何にすがれば良いの? 右側に黒ちゃん、左側にジョウさん座るも周りを見る余裕なし。 5,4,3,2,1、ああーーーーーーーーーーーーーーーー。 一気に上昇し、一気に下降。 これを2回か3回、繰り返したと思う。 こんなことを味わったのは、4−5年前、長男が小学生だった頃に横浜ドリーム ランドに行って以来か。 終わってみれば、あっと言う間だった。 帰りに記念写真を買って、お互いの引きつった顔をみて大笑い。 正に、案ずるより生むが安し。 終わってからの興奮冷め遣らぬ状態が、気分スッキリで良かった。 しかし、もう当分ご遠慮しまーす。
その後、街の中を徘徊し、カジノで50ドルすって寝た。
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今日はバイク走行最後の日。 その最後の予定は、 Nevada州 Las Vegas からCalifornia州 LAまでInterstate40West を 一直線の500キロ。そして、レンタルバイクを約束の時間までに返す事.。 途中、Barstowの巨大アウトレットに寄って買物するがいたって単調なコースだ。 だが、そこに単調でない大きなケンちゃんの仕掛けが。
Interstate40Westにて。 走りながら熱い、と感じた。 しかし、スピードは75マイル(120キロ)以上は出ているはず。 その風圧、いや風自体が熱い。 暑いのでなく、まさに熱いのだ。 1時間位走ると、熱くて仕方がない。 頭がフラフラになってくる。 休憩の度に、頭から水をかぶり本当にズブヌレになるのだが、あっという間に 乾いてしまう。 日本でも真夏の盛りに走ったことがあった。 途中雨に遭い、濡たまま走ったら体温が下がり、真夏でも震えたことを憶えてる。 なるほど、これがケンちゃんの イワユル仕掛けか。 これは手強いぞ。 こんな調子で、LAまで考えると気が遠くなる。 しかし、1時間走って休憩。そして、水をかぶって出発。 この繰り返しが私には良かった。 何回か繰り返すうちに、LA市内に入ってしまった。
LAハイウエイにて 市内に入る手前で給油。 ここでケンちゃんより、LAハイウエイの走り方アドバイス。 @ ハイウエイでは、車間距離は短めにし千鳥状で。 A 割り込まれても、車線は変えないこと。 B 無理に追いつこうとせず、前走者を見失うな。 C 万が一見失ったら、焦らず次の出口で降りてケンちゃんの携帯へ連絡。 D 自信があれば、自力で目的地まで行く。 そしていざ出発。最初は一団固まって走る。 ところが、車線が増えると同時に車の量も増えてくる。、 しかも、並行して走る車はスピードが速く、どんどん接近してくる。 また、少しでも車間距離を開けると直ぐ、割り込んでくる。 更に本線からの枝分かれが多く、慣れないとたちまち迷子になる。 当たり前と言えば当たり前だが、アメリカのハイウエイを走るコツは、人の後を 付いて行くのではなく、自分で考えて走ること。 初めは難しいかもしれないが、これも慣れ。 ところがケンちゃんはそんなことお構いなしに先に行く。 我々は後を追うのがやっと。 前走車を何度か見失いそうになる。 これは迷子になるかな? ケンちゃんの携帯番号の控えは?、ふと考える。 やむを得ず、やってはいけないことを実行。 追い越し車線に入り、先頭集団に追いつくこと。 何度か実行し、何回か成功した。 しかし1度だけ失敗。 やっと追いついたら先頭集団が他の支線に入って行くではないか。 急いで車線変更をし、慌ててハンドルを変える。 後で考えたら、冷や汗もの。 やはり、アメリカを走るときの注意は市内のハイウエイ。 みんなも同感だろう。 黙々と、一生懸命に走っていた。 効を呈して全員無事、イーグルライダーに到着。 時間は丁度3時30分。 最初の出発地点に、目出度く戻ってきた。 全員で記念写真、イイェ−イ。
Hollywoodにて 今晩の宿泊地 Hollywood Metropolitan Hotel にチェックイン。 昼間の疲れも何のその。 全員で歩いて食事に行く。 これがまた、良いところ。 アメリカにはこんな店が多い。 概観はレストランというより、教会。 木製の大きな扉を開き、中に入ると天井が高く照明も明かりすぎず、 さりとて暗過ぎず、程よい感じ。 内装は重厚な木製で、歴史を感じさせる。 しかし、威圧感はない。 入ったとき店は満席だったようで、少し待たされた。 しかし、待たせ方がスマート。 Hotelにある凝ったバーと表現したら良いのだろうか、或いはアルコールを 頂くには最適の場所と言った方が適切かもしれない。 そんなスペースがあるのだ。 しかし、大人だけの店と言うことでなくファミリーも多かった。 そんな場所でテキーラ?を飲みながらテーブルが空くのを待つ。 食べたものより、待ってた方が印象が残る…・そんな店。 さすが Hollywood 。 名前はわすれたが、お洒落な店だった。 食後、ケンちゃんの案内でHollywood の目抜き通りをドライブ。
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8月18日(金) 各自思い思いに、最後の休みをアメリカ満喫に充てることに決めた。 結果、私 マリゾーさん ジョウさん コバちゃんの4人はケンちゃんの案内で ユニバーサルスタジオへ。 みんなで一緒に行けば、怖くない? 黒ちゃんは本日、自主トレ。 ジョギングでHollywood市内をくまなく回るとか。 黒ちゃんはどこに行っても、足は心配ない。 なにせ、足がアシだから。
ユニバーサルスタジオにて アメリカ(ハワイ,グアムは除く)は今回で6回来ているが、こういった アミューズメント施設に来たのは初めて。 最も日本にいてもこういった場所は数える程しか行ったことがない。 実は、今回も強いて行くつもりはなかった。 映画シーンのアミューズメントパークということで決めた。 最初、スタジオ一周のバスに乗ってみる。 映画舞台で使われたセットがそのままの姿で多数残っていた。 だが、どのセットも大分疲れている感じがした。 所詮、作りものだし、リアリテイがないのは仕方がないか、と自問自答。 しかし、興味をそそられたものが、いくつかあった。 何気なく駐車してあったデロリアン。 そう、あの映画Back To The Future に使用された車。 勿論これもセットのひとつなのだが、ごく自然に駐車しているのがいい。 丁度、マイケル J フォックス が映画のシーンの中で、デロリアンを急いで駐 状況を再現している。 こういう、シーンを考えたアイデアが素晴らしい。 もうひとつ、シュワルズネッガー扮するターミネター2の後編をスタジオで 表現した劇。 まさに、ハリウッド製作を決定づける派出な演出。 そう、他の国の映画界では真似が絶対出来ない世界だ。 最後に もうひとつ。ケビン コスナ−主演のウオ−ターワールド。 映画では、興業収入として成功しなかった、と思う。 しかし、ここユニバーサルスタジオでは大成功。 最もケビン コスナ−自身の出演はないが。 本当の意味での娯楽アクション。 見ているお客さんも、水を掛けられながら参加できるもの。 しかし、どれもこれも、実際に自分で行って体験しないと解ってもらえない物ばか ともかく丸一日、飽きずに楽しめること請合い。 最後の夕食は、やっぱり日本食? ホテルに戻り、黒ちゃんと合流。 聞けば、黒ちゃんはHollywoodのシンボル あの例の文字が見える山まで走ったと のこと。しかし、私道になっていて、そばまでは行けなかった。 それでも凄い。 元気度は我々の中で一番。 今夜の食事はどうする?の私の問い掛けに、 ケンちゃん アメリカの寿司を食べてみよう、の答え。 やはり、日本食が恋しいのか、全員異議なし。 私は食べ放題と聞いて一も二もなく賛成。 勿論ネタはいいものから、食べた。 質より量の私としては大満足だった。 海の幸にこだわる北海道のマリゾーさんも美味しと太鼓判?だったカナ。 私は久し振りに腹10分目にして、店を出る。 駐車場で一服してたら、キャリアウーマン?が近づいてきた。 ここは禁煙です、と言われるかと思いきや私にも一本。 しかも丁寧に吸いすぎは命を短くします、の忠告。 勿論、英語。 だから、意味は後から理解。 タバコも買えない人ではなさそうだ。 だって、BMWに乗っていた。 行ってしまった後、言い方にスマートさを感じた。 これがHollywood流。
食後にドライブ。 ケンちゃん最後の最後まで大サービスだ。 映画「理由なき反抗」の舞台になった天文台までいってみる。 もう50年近くも前の作品だが、ジェームス デ−ンの人気は変わっていない。 そして、天文台の周辺も当時のまま。 ここはデートコースのひとつ。 観光客、家族連れ カップル等多く、車止めるにも難儀。 また、ここから眺めたLAの夜景は素晴らしかった。 更に、チャイナタウンなど市内見物をして、ホテルに戻った。 夜みんなで語り合い、部屋に戻ったのは何時だったか。 7日間一緒だったことで、連帯意識ができたようだ。 明日はいよいよ帰国。 |
8月19日(土) Tom Bradley 空港に行く前に、Harleyショップに立ち寄る為。 ここでの買物は、小物が中心。 私は何点か購入。
コバちゃんのこと。 今回のツアーでコバちゃんは普段着で参加。 勿論、あの過酷な自然の中でも、そして約2500キロ走っている時でさえ、 普段着で通した。 ひとたび、バイクから降りたら普段着の格好だから、ただの人に変身。 とてもバイク乗りにはみえない。 そのコバちゃんがウエアーを買いだめした。 上から下まで、皮ジャンで決めた。似合う、似合わないは別として。 そう、ブ−ツまで一式。 Harleyショップに寄る度、荷物はどんどん増えた。 なんと慌てて、バッグまで買いこむ。 コバちゃんとは、こんな人。
似た方にジョウさん。 日本では国産のバイクに乗ってる。 勿論、ウエアーもそれなりの物。 しかし、何故かジョウさんもHarleyウエアーを買いこむ。 それも相当。 ジョウさんもHarleyに乗り換えかな?
黒ちゃん もう、充分に紹介済み。 でも、素晴らしい人生観を持った人.。 有言実行の人。人生の大先輩だ。
マリゾーさん 紅1点の中にあって、男性軍に負けじ劣らず頑張り屋さん。 これから、限定解除が待っている。 次回の颯爽と走る姿も近いのでは。
私。 ともかく、アメリカ大好き人間。 来年も来るゾー。ケンちゃん心配しないで、今度は我侭言わないよ。
そして、ケンちゃんのこと。 旅のサービスとは何かを知った人。そして 研究している人。 今回はどうもありがとう。
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美国America Goodbye See Next 自宅に、8月20日(日)、夜8時頃、無事着。 2000 Sep 14 記 |
昭和27年5月16日 茨城県結城市生まれ 32歳の時に行政書士として独立。今年6月で開業17年。 事務所は、神奈川県横浜市 現在の業務は行政書士と弟さんの税理士をメインに社会保険労務士、司法書士、一人親方事務組合、建退共事務代行、 経営コンサル の7本の業務を総勢15人で行なう。 趣味は、水泳、ゴルフ、旅行、モーターサイクル、音楽鑑賞。 60歳を過ぎたら、1年の半分はハワイで暮らそうと英会話の勉強中。 全国建設関係行政書士協議会(建行協)会員 |
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