私が冬期湛水水田に興味を持ったきっかけ

冬期湛水水田に集まる人間 高奥  

 私は農家ではないのですが、農村関係の仕事をしています。
 私が今の仕事に就職したのが十年前で、その頃は農業に未来はないと盛んに言われた時代でした。でも、私は十年経ったら農業状況も変わるだろうと思っていましたので、特に悩まず今の仕事を選びました。しかし十年経った今でも相変わらず先の見えないのが日本の農業です。
 そんな状況の中、今後の農業がどうあるべきか、ちょっと前まで机の上でそんなことばかり考えていました。いつまでも受け身でばかり仕事をしていてはいけない、状況が厳しいなら、自分一人でも状況を改善する努力をしよう、そう思ったからです。
 でも、やっぱり、なかなか未来が見えませんでした。しょせんはオフィスの机の上で考えることです。やることといったら、一見すれば最もらしくても、内実は現実と遊離した作文を書くことだけ。こんなんでいいんだろうかと思う毎日でした。そうこうしているうちに今年の4月に栗原郡に転勤になりました。そこで出会ったのが同じ栗原郡で志波姫町の菅原さん。冬期湛水水田を実践している菅原さんです。
 冬期湛水水田というのは菅原さんに出会う前から少しばかり耳にしたことがありました。なんでも渡り鳥が休憩できるようにするために、冬期間も水田に水を張ったままにしておくという試みなのだそうです。それを耳にした時は正直、ピンとは来ませんでした。
 なんでピンと来なかったかと言うと、その時は米価のことばかり頭にあったからです。いかにして米の生産効率を上げ、米の生産費を低減していくか、そればかり考えていたのです。だから、生産効率につながらない冬期湛水水田というのは、米価の推移に一喜一憂している農家にとっては単なる道楽としてしか受け取られないのではないかと思いました。
 ところがです。菅原さんというバリバリの農家が冬期湛水水田を実践している話しを聞き、自分が考えている世界とはまた別の考えがあるのだなと慧眼させられました。そうは言え、まだ冬期湛水水田というものを十分に理解できていない私ですが、机の上からフィールドに足を変え、宮城の農業の新しい可能性を考えていくためにも、冬期湛水水田というものを勉強させて頂きたい、そう思う今日この頃です。


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