冬水田んぼの歴史(第3回)
カミとホトケ


記録:平成16年 3月10日
掲載:平成16年 3月14日
大学の先生 秡川 信弘

 昨今の鳥インフルエンザ騒動を見ていると、「今の日本には神も仏もないんだなぁ」とため息が出てきます。そんな時代を生きている私たちなのですから、「いまさらカミやホトケでもない」と思います。そうは思いながらも、連載の3回目は少し脇道にそれ、日本人の伝統的宗教観と田冬水を実践し、推進している方たちとの関係について書かせていただきたいと思います。
 冬水田んぼと卑泥田との関係について論じた前回、「『神』や『仏』の現代語訳は『自然環境』なのではないでしょうか」という表現を通して、江戸時代の爛熟期を生きていた佐瀬与次右衛門さんと同世代のお百姓さんたちは神や仏に象徴される宗教観を通し、自らの環境保全意識を醸成させていたのではないだろうか、という私見を述べさせていただきました。自己の身体に宿る生命(いのち)を維持するなかでかかわりあい、犠牲にすることもある他の生命たちに対したときの感覚や態度が、昔と今ではずいぶん違うような気がします。今回は、その点について少しだけ考えてみたいと思います。
 縄文時代からのものとされている原生的自然の象徴としての「山の神」を、稲作の導入と共に生まれた二次的自然の象徴としての「田の神」に結びつけ、気象を象徴する「天照大神」(「アマテラスオオミカミ」と読む)との3者を一体化して人間に対峙する外的存在としての「自然環境」と捉えていた時代には、「田冬水のこころ」や「曼陀羅的な世界観」を受け入れやすい文化があったように思います。もちろん、「だから伝統的な宗教観が大切だ」などという時代錯誤の暴論を述べるつもりはありません。しかし、冬水田んぼを実践している農家の方たちと話しをしていると、なぜかそんな「こころ」や「世界観」を感じることがあります。
 その昔、私たちの先祖は、山に分け入って山菜や木の実を採り、渓流を遡 って魚を釣り、飛び回る燕たちの姿を眺めながら田植えをし、雀たちと一緒に稲の穂を手刈りしていたのかもしれません。そういう暮らしぶりの中で、洪水を畏れ、日照りを嘆き、自分たちの力だけではどうすることもできない自然をカミとして祀っていたと考えてもさほど不思議なことではないように思えます。しかし、彼らの子孫である私たちにカミは必要なのでしょうか。
 私たちは、洪水を防ぎ、用水を引くことができます。冷害のせいで米の収量が減ることはあっても、そのために飢えて死ぬ人はいません。自然を制御し、人間を救う存在をカミと考えるとすれば、現代においては、人間自身がその位置にあり、カミに代置しているのかもしれません。
 渡り鳥の保護や生物多様性の保全を稲作に結びつける「冬期湛水水田」の考案者、いわば、現代の与次右衛門ともいえる岩渕先生は生物学者ですし、「日本雁を保護する会」の会長の呉地さんは物理学者くずれの鳥類研究者、ともに、「カミやホトケ」などとはおよそ縁遠い現代科学の世界の住人です。このホームページの編集担当の高奥さんにしても農業土木の専門家であり、宗教学的関心が圃場整備に対する関心を上回るはずはありません。かくいう私は、似非経済学者、疑似農学者を自認しており、外部性のある財「環境」の価値に関する計算式で頭の中が埋め尽くされています。
 こういう人間たちが、なぜ、田冬水に関心を抱き、寄り集まっているのでしょうか。個別に見れば、それぞれに異なる理由はあるでしょう。渡り鳥の保護、生物多様性の保全、有機農業の推進、食の安全性の確保、直接支払い制度の確立、環境にやさしい圃場整備の推進、農村の活性化、などなど...。
 しかし、いくらキーワードを並べてみても、それをつなげる必然性が見えて来ませんでした。そこで、いささか乱暴な仮説を立ててみました。つまり、私たちは、自分たちさえ気づかないまま、生物学、物理学、農業工学、農学、経済学などに関する専門的な知識を用い、外部から判別できない程に埋もれている(とはいえ個人の意識下に存在する)日本人の伝統的宗教観を発掘し、それを現代風に翻訳しながら、人間と無数の生き物たちが織りなす曼陀羅を社会の中に再現しようとしているのではないだろうか、と。
 近代的な方法で圃場を整備し、暗渠排水の工事を実施して乾田化を進めてきた人たちを、こんな視点から評価するなら、田んぼに冬水をかけ易くしてくれたことに敬意を表し、感謝しなければならないのかもしれません。水をかけるのは、また別の世代の方たちでいいのでしょう。今回は、鳥インフルエンザ騒動に心が揺れ、少し脱線してしまいました。次回は、明治期の圃場整備事業と田冬水との関係について書きたいと考えています。



[HOME]
 

[目次] [戻る] [次へ]