再起動

記録:平成18年5月頃
掲載:平成18年6月3日

栗原市志波姫の農家 菅原

 「見込みがないとわかっているものに自分の仕事を賭けるつもりはない。ゆえに、冬期湛水水田(冬水田んぼ)の結果として田んぼに雑草が繁殖するようであれば躊躇なく除草剤をかけるつもりだ。」
 本HPの巻頭言である。思い起こせば、平成15年1月に一念奮起し、雪の積もる水路で一人除雪作業に励み、苦労して冬の田んぼに水をかけた。ようやく除雪が済んだと思ったら、次ぎの日に雨が降り、除雪しないでも勝手に水路の雪は解けていった。あのときほど「おてんと様」をうらめしく思ったことはない。
 それで「躊躇無く除草剤をドバッとかけてやる。」そう決心し、取り組んだ冬水田んぼであったが、いつの頃からか、その決心が薄れてきた。我ながら優柔不断なところがあるのかもしれない。
 平成15年、俺が始めた7枚の冬水田んぼ、どっかからやって来た高奥君は、その一枚々を雑草の名前で呼びだし始めた、「ホタルイ水田」、「ヒエ水田」、「イボクサ水田」こんな感じである。斬新と言えば斬新なネーミングであるが、農家の俺としては、なんとも気持ちの落ち着かないネーミングでもあった。
 そんな田んぼの中に「クログワイ」水田というのがある。雑草のクログワイが多いので、そんなネーミングとなったようだ。始めは、「水田の特徴が良く現れており、まことに結構なネーミングである。」と、それはそれで鷹揚に構えていたが、鷹揚でいられなくなったのは、冬水田んぼ3年目の平成17年のことである。
 この春、この「クログワイ」水田では、まことに質の良い「トロトロ層」が醸成されていた。このトロトロ層は雑草の発芽を抑制する効果がある。そして田んぼの1/3くらいは、冬にたむろしていた白鳥により稲株が掘り起こされていた。ここまで稲株が掘り起こされるのは始めてで、ついでにクログワイの根茎も引っこ抜き、その防除効果も期待できると予感させられた現象でもあった。
 「どうやら、今年のクログワイ水田は、そのネーミングを返上せねばならないようだ。」、クログワイは、冬水
H17.3.21 クログワイ水田の状況
稲株が見えなくなっている部分が白鳥
が稲株を掘り返した部分である。
田んぼ最大の驚異と考えていたが、トロトロ層の状況、白鳥の活躍により、おそらく、今年はその勢いを減ずるであろう。そのように期待していた。
 しかし、5月になると、少しずつクログワイが発芽し始めた。そして田植えをする頃には、無精ひげのように、田んぼ全面にその発芽が広まっていた。
 8月になると、どう見ても稲はクログワイに負けていた。「農薬をぶっかけてやる。」、そう考えるより先に、既に農薬散布の適期は過ぎていた。トロトロ層も白鳥も、クログワイには無力であったのである。
 10月、稲刈りをしながら籾を備えるタンクの搬出回数を数えてみると、明らかに収穫量が減じていることを実感せずにいられなくなった。「躊躇無く除草剤をドバッとかけてやる。」、俺はついに、その自分の決心に直面させられることになった。
 「本当に「躊躇」なく、来年の田んぼにドバッと除草剤をかけることができるのだろうか?」、秋の夜長、俺は独りそのようなことを考えていた。そして「そろそろ冬水田んぼから撤退か?」そんなことも考えていた。
 実を言うと、俺は自分の経営状況も考えて、12月から出稼ぎに出ようと目論んでいた。しかし、それでも出稼ぎをあきらめ、そして冬の間も田んぼに止まって冬水田んぼを継続することにしたのは、高奥君が「三年目の終わりと始まり。」で記しているとおりである。考えてみれば、冬水田んぼが注目され、そのことでじっくりと田んぼを見つめる時間が少なくなっていたのかもしれない。それを気づかせてくれたのは消費者の方々が寄せてくれる注文メールのコメントであった。
 
顧客のニーズに柔軟に対応するため、
低温倉庫を建築(H18.4頃)
考えてみれば、俺にはいろんな田んぼ仲間が増えていた。決して、表舞台で脚光を浴びることもない仲間達ではあるが、その分、それぞれのフィールドの中で地道に活動をしている。
 3月、冬水田んぼ仲間の斉藤君から電話があった。曰く「播種機がぶっ壊れた。」とのことである。俺の田んぼは雑草の都合に左右されるが、彼の田んぼは機械の都合で左右される。
 斉藤君は彼は中古も、それもかなりベテランの部類に属する機械を安値で購入し、そして農業をしている。こんな感じたから、その経費は俺の想像を飛び越え、超低コスト型農業経営を実現しているが、その結果として、田植え、稲刈りシーズンともなれば、機械の修理に明暮れることになるのである。なんだかんだ言っても、これが農業の現場というものであり「機械」に対する、農家のせつなさというのは、俺も痛いほど良くわかるのである。
 だから、俺は斉藤君のリクエストに一つ返事で了解した。俺に当てはあるのである、しかもとっておきのやつが。俺は斉藤君の電話を切るなり、遠藤先生の携帯番号をプッシュするのであった。
 斉藤君から電話のあったその日の夜7時、俺は同じ冬水田んぼ農家の遠藤先生と斉藤家に向かった。遠藤先生の運転する軽トラの荷台には、遠藤先生が購入した最新型の薄播用播種機が乗っかっていた。「薄播による育苗」、これが冬水田んぼ成功条件を握るカギである。
 斉藤家に着くと、なぜか家の奥から高奥君が出てきた。しばらく俺の田んぼに来ないと思ったら、最近は斉藤家にたむろっているらしい。しかも夜飯までご馳走になっているから、奴は変な部分で才能があるようだ。
 斉藤家の納屋で裸電球に照らされながら、遠藤先生が手慣れた手つきで播種機を組み立てた。組み立てが終わったら、今度は播種速度の調整である。薄播きにするために
播種機を調整する遠藤先生、仕事帰りの
高奥君はスーツ姿で作業する。
は、播種速度の調整は微妙であり、細心の注意が必要となる。
 俺は斉藤君に聞いた「何グラム播き?」、斉藤君が答えた「80g播き」。薄播きにしては播種量が多めである。冬水田んぼ稲作に関しては、ちょっと大胆になれない量だなと考えていると、斉藤君は「田植機が古くて、欠株が多いのよ。」と少し照れたように答えた。なるほど合点が行く理由ではある。無理は言わない、斉藤君には斉藤君なりの方法がある。どのような結果になろうとも、最後は自分自身でしか、その結果に責任を持つことができない。それは俺にしても、遠
順調に進捗する播種作業
藤先生にしても同じである。それでも都合が合えば、互いにをサポートし合える。そんな仲間達が、冬水田んぼを通じていつの間にか形成されていたのである。
 「ほんで高奥君は水道係ね、蛇口の栓は一気に捻るなよ、一回に1cmくらい回して、播種機の案配をみながら水量を増やしていくからな。」。俺はスーツ姿の高奥君に言った。
 遠藤先生は、播種の状況を見ながら、速度調整をしている。斉藤君は床土を播種機に投入した。調整には時間がかかったが、夜の播種作業は順調に推移した。
 このようにして平成18年の「稲と雑草と白鳥と人間と」はゆっくりと、その幕を開けたのであった。


[HOME]
 

[目次] [戻る][次へ]