除草機 |
||||||||
記録:平成18年6月11日 | ||||||||
掲載:平成18年6月21日 | ||||||||
栗原市志波姫の農家 菅原 |
||||||||
「除草はしない!どうせ、草が生えてくるから。」冬水田んぼを始め、少し経ってからそう考えた。なぜそう考えたかというと、「除草とは人が自然に何か手を加えることであり、その意味で田んぼは自然から遠ざかる。」と思ったからだ。そしてもう一つは、自然農法をやることで自分の肉体に負担をかけたくなかっこともある。 自然に優しい、或いは体に優しい「農薬を使わない稲作」、そう言いながらも、稲作している本人の体に優しくなければ持続可能とは言えない。俺は除草効果を期待して散布するクズダイズやコメヌカの詰まった動噴機を背負い、ぬかるむ田んぼを往復しながらそう考えた。これを俺の5haの水田に散布するためには総重量4tを担いで田んぼを往復し続けなければならない。この作業はこたえる、とても持続可能とは言えない、そう考え、クズダイズやコメヌカを散布するのを断念した。この結果として、肥料を使わない「無肥料栽培」に挑戦することになり、「自然」農法に一歩近づくきっかけとなったが、冬水田んぼ2年目は、思いの外、草が少なくなり「自然」農法の大いなる可能性を感じさせたものである。 が、しかし3年目は一転して草が増えた。「自然農法破れて草深し」、昨年の秋、俺はコンバインを運転しながら、そんな感傷に浸っていた。一体、俺の考える稲作に何が欠けていたのか。 ・・・たぶん、「自然」にこだわり過ぎていたのか
一つの考えにこだわり過ぎることで、柔軟であったはずの「自然」な考えが「不自然」なものになっていく。ここに俺の課題があったのかもしれない。ゆえに時には他に視線を向けて、自分の考えを反芻することも必要なのであろう。 今年から大崎市になったが、合併前の旧田尻町では大規模な冬水田んぼに取り組んでいる。 その農家の一人に斉藤君という若い稲作専業農家がいる。冬水田んぼを始めてから、「田んぼの○○は絶滅危惧種で・・・」などとの学者の言葉を聞く機会が多くなったが、俺に言わせれば、現在の田んぼで最も絶滅の危機に瀕しているのは、稲作を生業にする若い農家である。その意味で30代になったばかりの斉藤君は、稀少な農家の一人に数えることができだろう。少なくとも
稀少価値こそ異なるものの同じ稲作農家として、そして「冬水田んぼ農家」として、俺は斉藤君と気持ちの通じるところがある。そのため、しばしば斉藤家に行っては「農家の愚痴」を語り合い、癒し合うことも度々なのであった。 このように同類の農家である俺と斉藤君ではあったが、しかし冬水田んぼでは、その稲作の考えについて大いに異なる部分もある。 俺の冬水田んぼは、できるだけ田んぼを自然にし、人が手を加えないようにして稲作に取り組むようにしている。しかし、斉藤君はできるだけ苦労を背負い込み、冬水田の稲作に取り組んでいる。 斉藤君曰く「中途半端に田んぼに雑草が生えてくるよりも、一面に雑草が生えそろったほうがサッパリしますよ。そうなればあきらめがついて、除草機を押す勢いがつくから気持ちがいいですね。スカッとします。」 と言うくらいだから、明らかに俺と斉藤君とでは田んぼの雑草思想が異なる。というか、ここまで雑草に前向きになれる斉藤君は俺にとって驚異である。 その斉藤君から連絡があった、曰く最新型の除草機を購入したとのことである。俺は
5連式の除草歯車のついた最新型除草機、斉藤君は目を輝かせ、その特徴について説明し始めた。 「この機械は実際に稲作をしている農家が設計しただけあり、使い勝手が良く云々・・・」 「除草の歯車は徹底的に絡み合い、少々の根の張る雑草でも殲滅できて云々・・・」 「冬水田んぼのトロトロ層を前提にして設計されているから、効率も良く云々・・・」 と、斉藤君の除草機に対する解説は熱を帯びる。そして 「始めて田んぼに除草機を持っていったら、近所の農家がやってきて『俺にやらせろ』と言い始めた。そして貸したら、雑草ばかりか稲までも除草していって云々・・・」 と実に楽しそうである。で、実際に田んぼに行き、除草作業を見物することにした。 斉藤君の田んぼに行くと、なぜか田んぼから水が抜かれていた。 俺は「なぜ田んぼに水が無い?」そう問うと斉藤君は「水があると除草した草が土に埋まらないから水抜いた。それにしても抜きすぎた。」と応じた。 草が勢いづくこの季節、これを抑えるためには、少しでも田んぼに深く水を張ることが望まれる。もし、水管理がおろそかになり、そして田んぼの土が露出して空気に触れてしまえば、そこから一斉に草が発芽することもある。そのような失敗を知ってるので、俺は斉藤君の田んぼを見ながら、「草の発芽条件
その斉藤君の後姿を眺めながら俺は2年前に不耕起用田植え機を田尻に運び、そして斉藤君達に不耕起の田植えを伝授した時のことを思い出していた。 田んぼを不耕起とし、そして冬から水をかけることで、農薬を使わない稲作を効率的に行うことができる。これが冬水田んぼの基本的考えであるから、田尻の農家は、それを実現できる俺の田植機に羨望の眼差しを向けたものである。 しかし、農薬を使わないので厳しい条件にある冬水田んぼは、「耕さない」だけでは不十分である。そのためには丈夫な苗が必要であり、これを育てるためには、播種量が少ない薄播きの精密な播種機が必要である。これが冬水田んぼの課題であると考えていたら、遠藤先生が最新式の薄播き播種機を購入した。そして、今春、その播種機で斉藤家の播種を支援している。だけど、それでも田んぼに草は生えてくるのである。耕さず、薄播きの苗であっても、なお除草は必要なのであった。 「耕さない菅原」に「薄播きの遠藤」、これに新たな一人が加わる必要がある。それが「除草の斉藤」なのであった。 俺は笑みを浮かべながら田んぼをUターンして除草機を押している斉藤君を見つめ、「よし、決めた!除草は斉藤君に頼もう。」、そうつぶやくのであった。 |
||||||||
|