崖っぷちの村(その一) |
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記録:平成19年01月25日 | ||||||
掲載:平成19年03月11日 | ||||||
チーム田力の高奥 |
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私事になりますが、戌年生まれなためか、幼少の頃にはあちこち彷徨して歩く癖がありました。小さな自転車をこぎながら隣の村へ、そしてさらにその隣の村へと時間があれば「小旅行」を繰り返していたわけです。同じような家屋、似たような川、ありきたりの山々、例え隣の村に行ったところで何か珍しいものに出会えるわけでもありません。ですが、そこには私の村とは
このような「癖」は大人になっても無くならず、私が菅原さんと「稲と雑草と白鳥と人間と」を継続しているのも、たぶんそういった癖が根底にあるような気がしております。「農薬を使わない稲作の向こうにはどんな世界が広がっているのか?」そんな微かな好奇心を抱きながら、その向こうの世界への小旅行を継続しているのかもしれません。 で、その延長線上で先日、ネパールに行って来ました。数年前ある国で開催された会議に参加したおり、「○○銀行はやり方がせこい。」との意見が一致したネパール人と意気投合しました。そして「俺達は同志だ、そのうち私もネパールを訪問する。」そう約束しました。「犬が歩けば棒に当たる」が如く、一つの約束をしてしまったのであります。 しかしながら人は、何かイベントがあると、その時は気分が高揚して大風呂敷を広げるものですが、しかし日常の生活に戻れば、それは夢の中の出来事であったかのように感じられるもので、自分が広げた大風呂敷さえも「そういえばそんな事を約束したっけな・・・」とちょっと思い出しては、すぐにまた日常の雑務の中に埋没していきます。 それでもネパールの友人からは定期的に「開封確認付きメール」が届くので、あれは夢ではなかったと気が付かされました。そしてやはりネパールに行かねばならないと考えるようになってきたのです。 それで街の書店に行き「地球の歩き方」を立ち読みし始めたのですが、ネパールへの旅はそれだけで遠い道のりになりました。「まずは考えるより先に行動だ、よし今年行こう。」そうは思っても、ネパールは政情が不安でありその度に内線やらクーデターやらと渡航を断念させる出来事が相次ぎました。ちなみにサラリーマンである私は、まとまった休暇を取得するためにも小市民的意味で職場内政治に配慮しなければなりません。 そういうことで、苦節数年の時を隔て、キャンセル待ちの航空便に脂汗を感じながら、ようやくネパールの旅が実現したのが平成19年の1月のことです。
「ようやく数年ぶりの約束を果たすことができる。」そう感じた瞬間でありました。 さて、このネパールの友人ですが、彼は自国で農村開発に取り組むNGOを主催しております。もっともNGOとは言っても、日本で想像するのとは大部様相が異なっています。前向きな意味と言うわけでもなく、好む好まざるとに関わらず「小さな政府」にならざる得ないネパールでは、政府の手が届かないあまりにも多くの分野を補完するために、NGO諸団体は日本で言うところの行政機関的役割を担っているようです。 つまりネパールのNGOは日本に比して、よ
このネパールの友人が主催しているNGOはFSCNという団体で、おおよそ下記のような活動に取り組んでおります。 <参考:FSCNのウェブサイト(英語版/日本語版)> ・防災(主として水害)活動の支援 川の増水で水害の被害が生じそうな村に対し、緊急時 の避難態勢を組織化する活動 ・生活用排水や集落道路整備事業の支援 井戸掘り支援や、衛生的な生活排水整備の支援で、疫病 の発生を抑止する目的もある。また集落内の生活の利便性を 向上するための生活道路整備も支援している。 ・農民の経営向上 山羊を貸し付け、それを農家が育て市場に出荷することで 農家収入を向上させる活動や、家庭菜園を普及させることで 、副収入を向上させる活動 ・女性や子供、低カーストの方々の能力開発 ネパールの女性は文盲率が高く、そういった方々に対する 教育支援、また子供や低カースト層の人権侵害を抑止する ような、意識啓発のための活動 こういった活動に対し、私も何か支援できないかと考え、今回の渡航を果たしたのでありました。 で、4日間ネパールに滞在し、彼らの活躍の場をいろいろ見せていただいたのですが、話が長くなるので、とりあえず彼らの防災活動の現場についてだけ、次項で紹介させていただこうかと思います。 |
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