クログワイに感謝します

記録:平成18年10月15日
掲載:平成19年03月11日

栗原市志波姫の農家 菅原

 田んぼの雑草に「感謝します。」などと言うと、自然を愛する方々からは
「菅原さんは、雑草に理解がありますね。そうですよ、自然を高めるためには雑草だって田んぼに必要ですよ。」そう誉められそうである。しかし、こういうのはごく希な評価であって、通常は、
「おめえ〜何が感謝しますだこの野郎、稲作をなめてのか!」
と近所の農家から言われるのがオチである。
 このように、田んぼにおける雑草の存在は、人によってその評価が両極端に分かれることになる。雑草に向き合う視点が異なるからこのような違いが生じるのであろうが、
個人的感想で言うならば、「稲作をなめとんのか?」といった評価のほうがより健全な印象を持つ。農家はその生活の中で良くも悪くも雑草とつきあってきた歴史がある。
 しかし自然愛する方々は、そんなにはたくさん雑草との交流は経験していないはずである。 ゆえに雑草に対する評価は自然を愛する方々よりも農家のほうがより適切であると考えるわけである。
平成17年9月30日のクログワイ水田

 が、しかしである。俺はあえて言う「クログワイに感謝します。」と。なぜそう言うのか?その前に、まずは右の写真を見ていただきたい。
 これは平成17年、稲刈り直前の田んぼの様子である。田んぼの状況が異様に感じられだろう。これは俺が経営する7枚の田んぼでも「クログワイ水田」と呼ばれる田んぼである。田んぼの中ほどに大きな緑色の斑点があるが、これはクログワイが密生している部分である。この部分は既に稲の水田ではなく、クログワイ水田の様相を呈している。
 俺が「あわよくば農薬水稲栽培(俺は「田力本願稲作」と呼ぶことにしたが)を始めのが平成15年、農薬を使わないから、雑草の動向が気になったが、その頃に最も大きな驚異を感じたのが、ホタルイと呼ばれる雑草であった。しかしこのホタルイは結局のところ、それほど勢いを逞しくせず、平成16年からはコナギが台頭してきた。この雑草は有機栽培の水稲作では最もポピュラーな雑草である。そのため有機水稲農家の多くが雑草対策として意識するのがこのコナギとなる。言葉を換えれば、コナギを制覇できれば、有機水稲栽培の成功は約束されたものとも言えるだろう。
 つまり、コナギとは田んぼの雑草の王様のような存在である。
 
俺の田んぼに復活した絶滅危惧種の
ミズアオイ、コナギの親戚にあたる。
しかし、田んぼの条件によってはコナギ以上に驚異となるべく雑草があった。それがクログワイである。このクログワイは瞬発力こそコナギに及ばないものの、勤勉であり確実に生息空間を拡大していく。そしてその一株毎の生命力は強靱であって、時として「抵抗型」という農薬さえ受け付けないの種が出現する。
 コナギは種子で発芽するから、その根茎は貧弱であるが、クログワイは芋を地中に潜伏させ、それが田植え直前頃から一斉に覚醒してくる。
 俺の田んぼはコメヌカやクズダイズも施肥しない「無施肥」栽培であるが、通常の有機水稲栽培ではコメヌカやクズダイズを施肥する。これはそういった有機資材の投入により水田土壌を貧酸素状態にして雑草の発芽を抑制するためであるが、クログワイは貧酸素状態でも発芽するから、コメヌカやクズダイズの雑草抑制効果は期待できない。つまりクログワイは「農薬を使わない」稲作にとって大変やっかいな雑草なのである。
 この最終兵器とのも言えるクログワイを防除するためには、秋期に田んぼを深く耕起する方法がある。こうすることで地中にあるクログワイの芋を地表に露出させ、冬期の冷気にさらし凍死させることができる、そう言われている。
 しかし、田力本願稲作は、田んぼを耕起しないのである。しかも、クログワイの芋を地表に露出させるためには、通常よりも深く耕起する必要があり、これには専用の機械が必要となる。
 というわけで、我が田力本願水田では、毎年のクログワイが確実に生存空間を拡大し、平成17年秋には、上記写真のような状況となった。結果、その田んぼの収量は2.5俵を記録したが、この収穫量は
 ・農薬使っての稲作のおおよそ1/4
 ・農薬使わずの稲作の1/2〜3である。
まさに俺のクログワイ水田は、クログワイ革命
平成18年10月1日のクログワイ水田
により「田んぼ崩壊」の状況に陥った。
 ここまで書けば、農薬使わずの稲作にとってのクログワイ驚異が理解いただけると思う。しかし、なお俺は「クログワイに感謝する。」と言い切るのである。ツッパッてるわけではない、キンキキッズは口ずさむが横浜銀蝿は口ずさまないのが俺の農業ライフである。
 さて、次に今度は右上の写真を見ていただきたい。これは平成18年10月、稲刈り前のクログワイ水田の状況である。一目見
平成18年梅雨に試行運転した除草機
てわかるとおり、平成17年のものと比べ、クログワイらしき姿はほとんど確認できない。つまり、かなりのクログワイは消えてしまったのである。これはひとえに除草機を導入し、除草作業に励んだことによる。
 先に述べた雑草の抑制の話では、除草機の話題を出さなかったが、雑草対策の基本は、田んぼに入って手で雑草を抜き取る「手取り除草」である。昭和初期頃までは、6月に3回も田んぼに入って、腰を曲げながら雑草を手でこねくり回し、それを田んぼの土に埋めていった。
 これは大変骨の折れる作業である。これができたの
 平成18年夏に試作した田植え機と
 除草機を合体させた乗用除草機
も、昔はそれだけ米の価値が高く、田んぼで作業する人員も多かったからであるが、俺の田んぼは合計で5haある。u数で言うなら5千uであり、坪数で言うならおおよそ1千百坪になる。
 つまり、かなりの大面積になるわけだが、それでも稲作経営で生計を確立するには最低限の面積であって、この面積を下回れば稲作での生計は難しくなってくる。しかしながら、経営的には最小面積であっても、一人の労力で作業を行うには精一杯の面積でもある。ゆえに手取り除草をするだけの余力が無い。それを無理して行うならば、俺の体が持続可能でなくなる。だからといって、人を雇えば今度は経営のほうが成り立たなくなるだろう。
 つまり、有機稲作というのは前門の虎(作業負担の限界)、後門の狼(経営収支の限界)の狭間にあるギリギリのクリティカルポイントの上に成り立っているわけである。
 そういうわけで、昭和中期以降から、除草剤が一般的になってきた。ゆえに「自然のために除草剤を使わないで。」という言葉に対しては、複雑な気持ちを抱かざる得ないのである。
 
平成18年10月、除草ができなかった
水田にはクログワイ(赤い部分)が
繁殖していた。
しかし時代は変わり、農薬を使わない有機栽培米の需要が増えてきた。その結果として、このクリティカルポイントを堅持できる作業効率の良い除草機がいろいろ開発されてきたし、自ら除草機の改良に取り組む農家もポツリポツリと増えている。
 時代は変化している。それを教えてくれたのが「クログワイ」諸君なのである。ゆえに俺はクログワイに感謝したい。
 それで「クログワイ諸君ご苦労である。そろそろ君達も引退して稲に主役の座を譲ってね!」と心から願うのであった。



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