ストーリー
2005年5月8日放送 第十八回「清盛死す」(演出:木村隆文) 京、西八条第の蓬壷。 近頃は蓬の壷にばかりいる清盛(渡哲也)に声をかける時子(松坂慶子)。 1人で蓬を眺める清盛の姿が福原で海を眺めていた清盛の姿と重なる、蓬の畑は海かと尋ねる時子に、蓬の壷は煩わしいことを忘れさせてくれると答える清盛。 鎌倉。 義経(滝沢秀明)は頼朝(中井貴一)の住む大倉御所の一棟を住まいとして賜っていた。 弁慶(松平健)や三郎(南原清隆)達の姿が見えないことを継信(宮内敦士)と忠信(海東健)に尋ねる義経。 忠信は弁慶、三郎、次郎(うじきつよし)は屋敷を度々抜け出し、漁師の杢助(水島涼太)のところに行っていると答える。 義経は三郎達は初めての屋敷暮らしで、見知らぬ御家人達との中で息が詰まるのだろうと話し、呼びに行くという継信を止める。 杢助の家では、弁慶、三郎、次郎が杢助と千鳥(中島知子)を相手に酒を飲みながら、兄の頼朝の役に立ちたいと鎌倉に駆けつけたが、東国の御家人が周りを固めて何の役目もない義経の肩身の狭い立場を嘆いていた。 京。 お徳(白石加代子)の店では、うつぼ(上戸彩)と烏丸(高橋耕次郎)が組紐の仕事を手伝っていた。 そこへあかね(萬田久子)が、義経から吉次(市川左團次)を訪ねるよう言われた手古奈(上原美佐)を連れて現れる。 あかねはお徳に、手古奈に侍女の働き口を探してくれるよう頼む。 うつぼから義経の様子を聞かれた手古奈は、鎌倉の海の近くに住むことや義経主従の仲の良さを話す。 義経の妻について聞かれた手古奈は、静(石原さとみ)のことを話そうとした時のうつぼの様子でうつぼの義経への気持ちを察し、弁慶の恋人の話だけを話す。 義経が妻を迎えていないと知り、ホッとするうつぼ。 盛国(平野忠彦)の屋敷を訪れた清盛は盛国に、最近何度か生母の鶴羽(堀越美穂)が出てくる夢を見ると話す。 ここを訪れたのはいつ以来かと尋ねる清盛に、平治の乱後の義経が牛若だった頃以来と答える家貞(来須修二)。 牛若(神木隆之介)は知盛(森聖矢)や重衡(岡田慶太)と良く遊んでたと懐かしむ清盛だったが、酒を飲もうとして突然、意識を失い倒れる。 清盛は高熱にうなされ、知らせを聞き駆けつけた時子と宗盛(鶴見辰吾)は、体中が焼けた鉄のような清盛の状態に驚く。 病の床に着いた清盛の平癒祈願が連日執り行われたが、容態は一進一退だった。 鎌倉。 庭や屋敷の掃除をする義経主従。 そこへ頼朝と政子(財前直見)が訪れ、義経に清盛が病に倒れたことを知らせる。 京。 清盛はいくらか気分の良い日に時忠(大橋吾郎)を呼び、自分の死後の天下のことは宗盛と談合の上計って欲しい旨を、後白河法皇(平幹二朗)に伝えるよう命じる。 法皇は書物を調べ、清盛の病は異国からの船が持ち込んだ病らしいので治らない、見舞いも行かないと丹後局(夏木マリ)に話す。 法皇からの返事がないと聞いた時子は、宗盛を御所に向かわせる。 翌日、御所を訪れた宗盛を迎えたのは「鼓の判官」と呼ばれる平知康(草刈正雄)であった。 法皇は病に苦しむ清盛の顔を見るのが辛いと悲しむフリをし、知康の「清盛の死後は法皇を父と思って仕えるように」という言葉に平伏する宗盛。 その姿を見てほくそ笑む法皇、丹後局、知康。 時子は一門の宝という宝を寺に奉納し、一門挙って清盛の平癒祈願を重ねたが、清盛の容態は日増しに悪くなっていた。 知盛(阿部寛)が外から戻って来た五足(北村有起哉)を呼び止め、耳役が何故清盛の側を離れたと咎める。 そこへ時子と宗盛が現れ、五足は福原へ清盛がいつも手にしていた菩提樹の数珠を取りに行っていたと答える。 先月取りに行くと言った自分に清盛はいずれ福原に戻るからと答えたが、その後の災いや清盛の病は数珠のせいではないかと思ったと話す五足を責める宗盛。 五足から数珠を受け取った時子は宗盛と共に清盛の元へ向い、清盛に数珠を手に握らせ、思い残すことがあれば今のうちに自分が承ると告げる。 清盛は「今生思い残すことは無い。死後の仏事は無用。一門皆力を合わせて東国の謀反を鎮めるように」と告げた後、「夢、新しき国」と呟き、苦しみ悶えて息を引き取る。 清盛の手を取り涙する時子。 平家一門の者達の前に現れた宗盛の呆然とした様子で、清盛の死を知り悲しむ一同。 平家という武門に生まれ、朝廷や院も意のままに動かす程の栄華を一代で築いた清盛も病には勝てず、治承5年閏2月4日、64年の生涯を閉じた。 五足はお徳にまだやることがあると告げ、清盛邸へ向う。 1人残ったお徳は、まだ夢半ばだったと清盛に語りかける。 西八条第の蓬壷が炎上する。 清盛が手塩にかけて育てた蓬を燃やしてはならないと叫ぶ時子の前に、捕らえられた五足が連れて来られる。 火をつけたと言う五足に、時子は平家に恨みでもあるのかと叱責する。 仔細を問われ、あの世には誰も連れて行けない、せめて蓬の壷を道連れにという清盛の自分への遺言だと答える五足。 それを聞いた時子は、清盛が新しい国を福原に求めたこと、数珠を置いて来たのは夢が叶わなかった無念からだったことに気付き号泣する。 西八条第を出て1人歩く五足は、突然数人の武士に取り囲まれ斬り付けられる。 翌朝、西八条の片隅で五足の亡骸が見つかる。 誰もいない京の町を、五足の亡骸を乗せた台車を引いて進む烏丸。 清盛に近付き過ぎたとはいえ、あまりに惨い平家の仕打ちであった。 鎌倉。 頼朝に召し出された義経は、清盛が亡くなったことを聞かされる。 義経の複雑な心境を探る頼朝、政子や時政(小林稔侍)。 義経は清盛との奇妙な縁が今まで自分を縛っていたが、その枷が取れたからには源氏の武士として存分に働く覚悟と話す。 頼朝は義経の言葉を聞き安堵した、平家もこれまでと告げる。 屋敷に戻った義経を心配して駈け付ける三郎達を弁慶が制止し、1人にしておくよう無言で促す。 経を唱えながら清盛との日々を思い出す義経は、「おさらばにございます」と呟き涙を流す。 京。 時子を心配し集まる平家一門。 時忠は時子に清盛の遺言を尋ねるが、宗盛は以前話した通り「死後の仏事は無用。一門皆力を合わせて東国の謀反を鎮めるように」のみで、清盛が時子に何かを話しかけたが声にはならなかったと答える。 それを聞いた時子は意を決し、清盛のもう1つの遺言を自分が承ったと告げる。 「今日まで身に余る恩賞をいただき天子様の外戚にも登り、子孫までも栄華を極めもはや思い残すことは何1つ無い。ただ1ついかにも無念は伊豆に流した源頼朝の首を見ずして死ぬことである。我が世を去った後は堂や塔は建てずとも良い。追善供養も不要。この言葉を聞いた者は直ちにこの場を立って、頼朝を討ちに参れ。そしてその首を刎ねて墓前に供えよ」。 清盛はそう言ったと、時子は一同に向って力強く言い渡す。 それを聞いた一同は、清盛の遺言を肝に銘じたと平伏し、清盛の望み通り頼朝の首を討ち取ると誓う。 鎌倉の海を1人見つめる義経。 清盛は義経の父を討った仇であり、源氏にとって平家の棟梁の清盛は宿敵であった。 そのような人の死というのに、何故哀しく切ないのか。 理屈では割り切れない何かが義経の心を突き動かしていた。 |
2005年5月15日放送 第十九回「兄へ物申す」(演出:木村隆文) 都から朱雀の翁(梅津栄)の使いが鎌倉に到着する。 五足(北村有起哉)の死を知らされた義経(滝沢秀明)は、清盛(渡哲也)に続き親しい者の死に動揺し竹林で激しく刀を振り回す。 五足と都で過ごした日々を思い出し、涙を流し悲しむ義経。 三郎(南原清隆)達は、義経の辛い心中を思いながら義経の帰館を待っていた。 弁慶(松平健)が次郎(うじきつよし)から事情を聞いているところへ義経が帰館し、心配をかけたがもう大丈夫だと告げる。 義経と同じく五足と昔馴染みであった喜三太(伊藤淳史)は、義経と目を合わせ笑顔で頷く。 京。 清盛の死後、都は動き始めていた。 後白河法皇(平幹二朗)は法住寺殿に移り、そこを院の御所とした。 法皇は丹後局(夏木マリ)や平知康(草刈正雄)と共に、今後の行方について話し合っていた。 清盛亡き後の平家の勢力が衰えた以上、代わりになるのは源氏と話す丹後局に、源氏といっても鎌倉、甲斐、木曾、常陸とあると告げる知康。 法皇はしばらく成り行きを見るよう知康に言い渡す。 鎌倉。 頼朝(中井貴一)に召された義経は、頼朝の異母弟で義経の異母兄にあたる範頼(石原良純)に引き合わされる。 範頼は近江国池田蒲御厨で生まれたことから「蒲殿」と呼ばれることになった。 義経と範頼は時政(小林稔侍)から、清盛の死後6日目にして平家の大軍が都を出て東に向かっていると聞かされる。 平家の大軍が東へ向かっているのに何故動かないのかという範頼の問いに、常陸などに頼朝に従わない者達がいる為に鎌倉を動けないと答える時政と梶原景時(中尾彬)。 しかし信濃の木曾義仲、駿河の武田、尾張の行家(大杉漣)等がいるので、平家の大軍が容易に東へ進めないと聞き、頼朝の考えに感服する範頼。 頼朝は清盛亡き後平家の勢力が衰えた理由を皆に問う。 景時の嫡男の景季(小栗旬)は園城寺や南都の寺々との確執から逃れられなかったからと答え、和田義盛(高杉亘)は官位に縋り付き過ぎたからと答える。 それらに対して頼朝は、清盛は親族一門を重用しすぎた故に登用に偏りができた為だと話す。 武家の拠り所を鎌倉に作り、平家と同じ道を歩まないと一同に告げる頼朝。 木曾。 平家の大軍を討ち取り都へ上ると息巻く義仲(小澤征悦)に、頼朝より先に都に上れば義仲が源氏の旗頭になると告げる巴(小池栄子)。 鎌倉。 ある日、義経の元に範頼が訪れる。 義経と範頼は兄弟として初めて酒を酌み交わす。 範頼に問われ、今までのことや母について答える義経。 兄に会えた喜びを告げる義経に、範頼もずっと兄弟を求めていたと語る。 2人はこれからの親交を誓い合い、義経は柔和な範頼に家族の温もりを感じる。 京。 時子(松坂慶子)の前に、お徳(白石加代子)からの口利きで侍女となった手古奈(上原美佐)が挨拶に現れる。 時子の見舞いに訪れていた領子(かとうかずこ)から以前仕えていた屋敷を問われ、政子(財前直見)に仕えていたが耐えられないことがあって出奔したと答える手古奈。 そこへ宗盛(鶴見辰吾)が現れ、時子に法皇の御機嫌を伺うよう促す。 この日、法皇の元には頼朝からの書状が届いていた。 書状には法皇に対して謀反の心が無いこと、兵を動かしているのは法皇の敵である平家を討つ為であること、平家を討つべきでないなら平家と源氏を共に取り立ててくれるように等が書かれていた。 知康は頼朝の含みの有る書状に感心する。 丹後局から理由を問われた知康は、法皇が書状の内容を受ければ、源氏の逆賊の汚名を返上した上に頼朝を東国の覇者と認めたことになる、受け入れなければ平家と源氏の戦になるからだと話す。 戦になってどちらが勝っても構わないが、都に災いが及ぶのは嫌だと頭を悩ませる法皇。 知康は法皇に、頼朝は都に執着は無い、鎌倉を源氏の本拠にしているから法皇の懸念は無用と告げる。 そこへ時子が御機嫌伺いに訪れるが、法皇は丹後局に相手を任せる。 時子は応対をする丹後局と知康から、頼朝が平家との和議を望んでいる旨を聞き驚く。 御所から戻った時子から頼朝との和議について聞かされた宗盛は、法皇と自分の近しい関係を考えれば法皇から直々の言葉がある筈、近臣の者の言葉など聞く必要はないと話す。 法皇に近付き過ぎるのは良くないと知盛(阿部寛)は注進するが、頼朝の首を墓前に供えよとの清盛の遺言があると答える宗盛。 自分が言った嘘の遺言を宗盛に持ち出され、黙り込む時子。 鎌倉。 頼朝は平家が和議を受け入れないのは思案の内であるし、法皇は平家と源氏のどちらに分があるか見極めるつもりだろうと景時、義盛に話す。 義盛は尾張にいる行家から加勢の催促が来ていると頼朝に告げる。 行家の態度の大きさに怒る義盛だが、行家を見捨てると平家の兵に勢い付かせると進言する景時。 頼朝は行家に1000の兵を送るよう言い渡す。 治承5年3月。 平家勢2万は総大将の維盛(賀集利樹)に率いられ、美濃から尾張へと進んでいた。 美濃と尾張の国境に近い墨俣には行家の軍勢が待ち構えており、源氏と平家の軍が初めてぶつかり合う戦となった。 しかし平家勢が敵を蹴散らし、大将の行家は命からがら逃げたのだった。 京。 維盛、重衡(細川茂樹)、知盛は宗盛に戦の報告をしていた。 しかし宗盛は、何故逃げる行家の後を追い東国に責めなかったかと叱責する。 知盛は頼朝が大軍を率いて尾張に向かっているという噂が流れたからと反論し、宗盛に責められる維盛を庇う。 鎌倉。 それから暫く後、行家が頼朝の前に現れる。 行家は加勢の兵が抜け駆けをしたから負けたと開き直り、兵を立て直す為に所領が欲しいと頼朝に訴える。 頼朝は所領は自分の手で切り取るものだから、行家の好きにするようにと突き放す。 墨俣の戦で平家の軍勢に攻めかかる時、行家が自らを源氏の大将軍と名乗ったことを持ち出す頼朝に、以仁王が令旨を各地に配るよう命じたのは自分を源氏の棟梁と思ったからだと反論する行家。 その気概を持って己の才覚で所領を得るよう告げる頼朝に、行家は立腹してその場を立ち去る。 行家は義経の元へ行き、元々平家の一族だった者ばかりを側に置き、親族を蔑ろにしている頼朝の悪口を並び立てる。 頼朝を庇う義経に、共に手を取り源氏の旗頭になろうと誘う行家。 義経は自分は兄の家来で十分、栄達の望みなど無いときっぱりと断わる。 治承5年6月。 信濃横田河原において、義仲軍と越後の城資長軍が戦となる。 越後方3万の兵に対し義仲軍は3千の兵だったが、義仲の必死の奇策が功を奏し越後方を打ち破った。 戦に勝ち意気を上げる義仲と郎党は、源氏の棟梁と名乗り都へ上ると誓い合う。 京。 宗盛、知盛、重衡は、東国の平家方が次々と源氏方に付いていることに頭を悩ませていた。 知盛は奥州の藤原秀衡(高橋英樹)を陸奥守に任命し東国への抑えにすることを進言、宗盛もそれを採用する。 鎌倉。 継信(宮内敦士)と忠信(海東健)が、義経に暇乞いを申し出る。 理由を問い質され、秀衡の元家臣である自分達が義経の家来であることに対し、侍所では秀衡の内意を受けているのではという疑いを持っていると答える継信。 忠信は自分達が疑われるだけならまだしも義経をも疑っている者がいると話し、継信は義経への疑いを晴らす為に暇乞いを許してくれるよう義経に願い出る。 継信と忠信の話を聞いた義経は、その足で頼朝の元へ向かい、頼朝との謁見を申し出る。 現れた頼朝に義経は、佐藤兄弟が暇乞いを申し出たことを告げる。 義経は佐藤兄弟が郎党になったいきさつを話し、自分も佐藤兄弟も秀衡の内意は受けていないと天地神明にかけて誓う。 頼朝は義経に、陸奥守に任命された秀衡は平家の息のかかった存在で、強大な兵力財力を持つ秀衡が自分の背後にいることを皆が警戒して疑うのは当然ではないかと告げる。 それに対して義経は、秀衡が以前自分に「攻められた時は戦うが自ら進んで攻めることはない」と話した言葉に偽りは無い筈、だから秀衡が鎌倉を攻めることはないと言い切る。 義経は平伏し、郎党の声は侍所に届かない、彼らは自分とってかけがえのない郎党だと必死に訴える。 義経がその場を去った後、頼朝は同席した政子に、以前政子が言った「義経には人を惹き付けるものがある」の意味が解ったと告げる。 義経の一途さに人は惹かれると言う頼朝に、一途さには怖さもあると答える政子。 帰館した義経は、継信と忠信に暇乞いは許さないと言い渡す。 驚く継信と忠信の側に歩み寄った義経は、今まで通り側に居るよう告げて微笑む。 義経の言葉に感涙する継信と忠信に、駆け寄り喜ぶ三郎達。 義経主従の絆は更に強く結ばれたのだった。 |
(一部敬称略)
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