ストーリー
2005年5月22日放送 第二十回「鎌倉の人質」(演出:黛りんたろう) 寿永2年(1183年)2月。 暫く鳴りを潜めていた平家と源氏であったが、平家の大軍が都を発ったことでにわかに雲行きが怪しくなった。 その平家の動きに対して、頼朝(中井貴一)は3月に和田義盛(高杉亘)を総大将に3万の軍勢を西へ差し向けた。 木曾には頼朝に従わない義仲(小澤征悦)が、常陸には頼朝の叔父にあたる志太義広が鎌倉を伺う動きを見せていた為、頼朝は出陣しなかった。 義経(滝沢秀明)の屋敷を梶原景季(小栗旬)が訪れた。 そこへ弁慶(松平健)が現れ、景季に義経に未だ出陣の沙汰がない理由を尋ねる。 景季は志太義広が攻めてきた場合の備えが必要だからではと答える。 叔父甥で争うことを憂う義経に、常陸で事があった時は義経にも出陣の命が下るかもしれない、その時の為に備えをしておくようにと告げる景季。 それを聞き、いよいよと喜ぶ弁慶に頷く義経。 しかし志太義広の動きに対しては範頼(石原良純)が出陣し、更には味方の離反もあり志太義広は何処かへ逃げ落ちた。 これによって義経にはついに出陣の機会はなかった。 雨を眺めながら義経の帰りを待つ弁慶達郎党。 三郎(南原清隆)や次郎(うじきつよし)が出陣のない文句を弁慶に言っている時に、義経が帰館する。 継信(宮内敦士)と忠信(海東健)は義経に平伏し、自分達が藤原秀衡(高橋英樹)の内意を受けていると疑われたのが出陣の無い理由ではと詫びる。 もう済んだことだと継信達を叱った義経は、雨の降る庭へ出て「春の雨は心地ち良いぞ」と天を仰ぐ。 義経の後を追って三郎も庭に降り立ち、義経と顔を見合わせて笑う。 三郎の誘いで弁慶、喜三太(伊藤淳史)、次郎も庭に降り立ち、笑いながら雨を浴びる。 継信と忠信も後に従い、義経主従は雨を浴びながら共に笑い合う。 木曾。 その頃、義仲の元には頼朝に見放された行家(大杉漣)が身を寄せていた。 行家は義仲に、平家を倒す1番手には義仲になってもらいたい、頼朝に遠慮などすることはないと告げる。 平家を倒し頼朝より先に都へ入れば、朝廷も諸国の源氏も義仲を源氏の棟梁と思う筈という行家の言葉に目を輝かせる義仲と巴(小池栄子)。 行家に鎌倉と一戦を交えるくらいの気概を持とうと言われ、気鋭を上げる義仲。 義仲と巴、家臣で巴の兄である樋口次郎兼光(堤大二郎)と今井四郎兼平(古本新之輔)は、行家の申し出について話し合う。 兼平は、巴、兼光、兼平の父である中原兼遠(森下哲夫)と元服の際に岩清水八幡参詣の為に上洛した義仲が、いずれは都を我がものにすると口にしたと話す。 その時の思いを遂げる良い機会と進言する兼平に頷く義仲。 義仲の動きを知った頼朝は、自ら軍勢を率いて信濃へと出陣した。 しかし、この出陣にも義経に声がかかることはなかった。 義経、範頼、景季は庭で弓の稽古をしながら、今後の動きについて話していた。 義経は志太義広が義仲の元に身を寄せたと聞き驚く。 行家と志太義広を義仲が受け入れ、頼朝はこれを義仲の反抗と受け取ったと話す景季。 平家の大軍が進んでいる今、源氏の中で争っている場合ではないと話す範頼に、義経は頼朝は各地の源氏を1つにしようとしているのではと答える。 何故に景季の父の景時(中尾彬)は平家を見限ったのかという範頼の問いに、平家は東国の武士の苦労を解らない、東国に長くいた頼朝なら解ってくれると景時は思ったのだと答える景季。 頼朝はあまりに器が大き過ぎて計り知れないと話す景季に、義経は同意する。 頼朝の軍が信濃の善光寺近くに陣を敷いた頃、義仲の軍勢は信濃と越後の国境にいた。 鎌倉の軍勢が10万と聞いて動揺する義仲主従は、戦をするかを話し合っていた。 戦をけしかける行家に対して、義仲に和議を進言する兼光、兼平。 義仲は和議の道を選び、兼平を頼朝の陣に遣わせる。 頼朝は和議の条件として、頼朝に不満を抱く行家や志太義広の両人を差し出すことを要求する。 義仲は戻って来た兼平から頼朝の要求を聞き、厄介な両人を抱え込んだと頭を抱える。 兼光と兼平は、ここで行家達を差し出せば慈悲を欠いて義仲の信用を落とすことになると進言し、義仲は戦覚悟で行家達の差し出しを拒否する。 使者の兼平から義仲の拒否を聞いた頼朝は、情けに厚く豪胆と義仲を褒め、義仲の11歳の嫡男を6歳の娘の婿に迎えたいと告げる。 それを聞いた巴は、婿とは名ばかりで実質は人質だと反対する。 婚儀の申し出ならば断われないと弱気な義仲に、我が子同然に育てた宝の義高(富岡涼)を差し出したくない、断わって頼朝と戦をしろと告げる巴。 義仲は鎌倉勢だけではなく後には平家の軍勢もいる、前後を挟まれては身動きができないと巴に言い聞かせる。 巴は行家の元へ向かい、義広と共に頼朝の元へ行くよう迫る。 行家は朝廷との繋がりのある自分がいなければ、義仲が都入りしても源氏の棟梁にはなれないと告げる。 義仲が源氏の棟梁になれば頼朝は義仲の家臣、すぐに義高を取り返せると言いくるめる行家に黙る巴。 そこへ義高が現れ、鎌倉へ行くと笑顔で巴に告げる。 数日後、義高は僅かな供と信濃を発ち、鎌倉へと向かった。 馬を走らせ、高台から泣きながら義高を見送る巴。 その後、頼朝も義仲も兵を引き揚げた。 庭で継信と太刀で稽古をしていた義経は、弁慶から人質として義仲の嫡男が来るという噂を聞く。 京・平宗盛邸。 この日、2月に行われた宗盛(鶴見辰吾)の嫡男の清宗(渡邉邦門)と頼盛(三浦浩一)の娘の律子(堀有里)の婚姻のお披露目が催されていた。 頼盛は亡き清盛(渡哲也)の母違いの弟にあたり、幼い頼朝の命乞いに深く関わった池禅尼(南風洋子)の2番目の子であった。 その後、宗盛が頼盛の制止を振り切り、時子(松坂慶子)と知盛(阿部寛)の元へ怒鳴り込んで来る。 宗盛は頼盛の娘との婚儀は時子の薦めだから承諾したのに、実は知盛の差し金と頼盛が口を滑らせた、それを知っていれば婚姻を承知しなかったと悔しがる。 頼盛は幼い頼朝を救った池禅尼の子、頼朝が平家に仇なすのは頼盛の母親故と激怒する宗盛を、嗜める時子。 知盛は頼盛は頼朝のことで宗盛らに気を使い、宗盛らも頼盛を脇に追いやっていたと告げる。 一門の中に不平不満を持つ者がいれば一門にヒビが入る、一門が結束する為に宗盛と頼盛を結び付けようとしたと話す知盛に同意する時子。 宗盛は、亡き清盛も同意した筈との時子の言葉に黙り込む。 月を眺める時子の前に、手古奈(上原美佐)が下がる挨拶をしに現れる。 時子は手古奈に政子(財前直見)について尋ねる。 手古奈は、政子は幼い頃に男の中で育ち、物事が思い通りに進まないことが嫌いな激しい気性で、男なら一軍を率いるほどの器量と言われていると話す。 そのような女がこの世にはいるのかと感嘆する時子。 鎌倉に到着した義高は、頼朝、政子、娘の大姫(野口真緒)らに挨拶をする。 義高は大姫の屋敷の庭で、沢蟹を捕まえて大姫に見せる。 微笑む大姫。 頼朝は政子と安達盛長(草見潤平)を相手に酒を飲んでいた。 政子と盛長から義高と大姫がかなり打ち解け、仲睦ましい様子を見たとの話を聞く頼朝。 政子は、義経を義高と大姫の相手役にと進言する。 2人には侍女がいると答える頼朝に、鎌倉に来てから何の役目もない義経に不満を抱かせない為と告げる政子。 頼朝は義経の扱いに関しては考えていたと話し、子らの相手役を義経がどう思うかと政子に問う。 政子は、兄の子の相手役を義経がどう捉えるかで義経の心底も見えると答える。 大姫の屋敷へ向かう義経に、弁慶、三郎、次郎、喜三太が駆け寄る。 子守役を引き受けた義経に、女でもできる子守役を何故義経がと悔しがる弁慶。 三郎が子守なら自分も得意と場を和ませようとするが、弁慶に一喝される。 あまりの悔しさに泣いて座り込む弁慶に義経は、自分を頼朝の娘や義仲の嫡男の側に置くということは、自分を幼い子供の寝首を掻き切ることのできるところに置くということ、頼朝のその真意を有難いと思わず何とすると話し、大姫の屋敷へ向かう。 義高と大姫が遊んでいるところに義経が現れ、義経は2人に挨拶をする。 自分を警戒する2人に困った義経は、目の前を舞う蝶を片手で捕まえ、2人の前で手を広げて蝶を見せる。 義経は天狗について話し、どのようなものかお目にかけましょうと地面から木の枝や屋根の上へと飛んでみせる。 義高と大姫は、義経が天狗だと大喜びする。 自ら摘んだ花を並べ、花の名を問う大姫に答える義経。 義経は草花にも詳しいと喜ぶ義高と大姫に、次は山の上の方での花摘みを約束する義経。 そんな3人を、離れたところからそっと見つめる政子。 義高と大姫に降りかかる哀しい運命を義経はまだ知らなかった。 |
2005年5月29日放送 第二十一回「いざ出陣」(演出:黛りんたろう) 鎌倉・大倉御所。 政子(財前直見)に召し出され、庭で政子を待つ義経(滝沢秀明)、弁慶(松平健)、三郎(南原清隆)、次郎(うじきつよし)の4人。 何故自分達がと尋ねる弁慶に、義高(富岡涼)と大姫(野口真緒)が弁慶達に会いたいと政子に話したと答える義経。 そこへ政子が現れ、義経達は大姫の館へ向かう。 義高と大姫は弁慶を「力持ちの荒法師」と呼び、三郎を「蟹」と呼ぶ。 義経が折に触れ、弁慶達のことを義高と大姫に話していたと侍女から聞かされる弁慶達。 三郎は義経が自分を「蟹」と触れ回っていたことに驚くが、義高に「蟹三郎」と呼ばれ蟹のマネをして義高と大姫を笑わせる。 弁慶は左右に大石をぶら下げた棒を、三郎と次郎が石にしがみ付いた状態で両手で持ち上げ、その怪力に義高と大姫は目を輝かせる。 その光景を陰から見守る頼朝(中井貴一)と政子。 館に戻った義経は弁慶に礼を言い、義高を見ていると幼い頃の自分を見ているようだと話す。 そこへ千鳥(中島知子)が夕餉の支度ができたと告げに現れる。 千鳥が来ている理由を、賄い役の喜三太(伊藤淳史)が女の手が欲しいと言ってたからと義経に説明する弁慶。 三郎、次郎、喜三太も現れ、千鳥とイルカの話をして盛り上がる。 楽しげな三郎達を見て、微笑む義経と弁慶。 3日後の夜。 義経、景時(中尾彬)、景季(小栗旬)、義時(木村昇)らが酒を酌み交わしていた。 義経らが義高の話をしていると、一緒に飲んでいた平塚良郷(伊東達広)が、実は義高は頼朝の命を狙っているのではと言い出す。 そこへ頼朝と政子が現れ、平塚は義高のことを「人質」と呼び、生かしていては後々の災いになる、いっそ亡き者にした方が良いと頼朝に進言する。 険しい表情で平塚を見る頼朝と政子。 時政(小林稔侍)、景時、和田義盛(高杉亘)らが、頼朝の前で平塚の発言について話し合っていた。 平塚の発言にも一理有ると話す時政と、厳罰な処分をと主張する景時。 頼朝は平塚の処分を景時に一任する。 捉えられ景時の前に連行された平塚は、景時の手によって斬首される。 その場に駆けつけ、斬首の瞬間を目にして驚く義経。 時政に呼び出された政子は、時政に平塚の斬首は頼朝の命かと問われるが、景時の裁量であるが頼朝の意でもあると答える。 頼朝は日頃から景時は自分の胸の内を良く解っている、それなのにそれをひけらかすことなく神妙だと言っていると告げる政子に、景時を始め頼朝の側にいる者達が力を持てば北条家も安堵してはいられぬと話す時政。 政子は頼朝は務めを果たせぬ者は容赦なく任務を解く考えだと話し、頼朝への奉公が大事と時政に告げる。 義経は大姫の元へ向かう頼朝と政子に出くわす。 政子に物憂げな様子と指摘され、平塚の斬首について口にしてしまう義経。 その夜、義経は頼朝から召し出され、頼朝と酒を酌み交わす。 頼朝は義経に平塚斬首は厳しい処分と思うかと尋ね、義経は「いささか」と答える。 政子は義経は情に厚いと笑い、人の情けは道理を覆い隠し、判断を鈍らせると告げる。 頼朝は平塚の発言は間違いではないが、自分に異を唱えた者を許せば、この後自分に進言をする者が増える、それは主従のけじめがないのも同じと話す。 御家人に主従のけじめを示す為に斬首をと驚く義経に、それが「理」というもの、自分はこれまでの武士の集まりとは異なる形を作りたい、その為にはあやふやな「情」よりも「理」が必要だと話す頼朝。 義経の主従の間には「情」はないのかという問いに、頼朝はあっても良いがなくても良いと答える。 それを聞き主従を繋ぐ絆は何かと義経は尋ねるが、頼朝は自分は御家人の所領を与え、御家人はその恩に対して自分に奉公する、主従の間にはその契り有るのみと告げる。 鎌倉に新しき国を作ると語る頼朝は、源氏ではない何百という御家人を「情」ではまとめられない、「情」は必要だが第1ではない、平家には「理」が欠けていたと話す。 義経は平家には平家の良さがあった、まるで1つの家のように語らい遊び和やかだったと告げ、昔、清盛(渡哲也)が新しき国を作ると言っていたと口にする。 どんな国かと尋ねる政子に、異国と交わり富を得、争いの無い慈悲と情愛に満ちた国と答える義経。 夢を見るのは誰でもできるが夢を手にするには力がいる、力とは「情」に溺れない強さだと言い切る政子。 政子の言葉に、「夢を叶え己が目で見るには力がいる」と言った清盛を思い出す義経。 何故清盛は自分の命を助けたのか、あの世から清盛は我らをどのように見ているのかという頼朝の言葉に、義経は沈黙する。 寿永2年(1183年)4月。 その頃義仲(小澤征悦)は、信濃、越中、越後を手中に収め、信濃の余田城に拠点を置いていた。 義高を頼朝に差し出したことで義仲が頼朝に屈したと思う者もいる、その汚名を濯ぐ為にも頼朝より先に都へ上ると巴(小池栄子)らに告げる義仲。 義仲が越後へ向かったと知った平家では、越後へ向かう兵の総大将についての話し合いが行われていた。 知盛(阿部寛)は兵の士気を上げる為に宗盛(鶴見辰吾)自ら総大将になってはと進言するが、帝のいる都を守るのが自分の役目と拒む宗盛。 時忠(大橋吾郎)は宗盛の名代として相応しいと維盛(賀集利樹)を推挙するが、過去の戦での維盛の失敗を思い躊躇する宗盛。 弟の資盛(小泉孝太郎)から汚名返上の良い機会と薦められ、維盛は自ら総大将の役目を願い出る。 宗盛は維盛に10万の兵を与える。 越中に着いた平家方は維盛の軍勢7万を砺波山に布陣、一方義仲は軍勢4万をその東側に布陣した。 7万に減った平家方の兵が疲れきっているという状況を聞いた義仲は、倶利伽羅山に誘い込んで大軍の力を削ぎ落とす作戦に出る。 5月11日未明。 義仲の軍勢は倶利伽羅山で休息する平家の大軍に対し、松明を付けた牛を走らせて混乱に落とし入れ、そこを急襲した。 混乱の中逃げる平家勢は、暗い谷底に次々と雪崩の如く落ちて行き大敗を喫した。 数日の間山中を彷徨う維盛の側には、僅かな兵が残っただけであった。 傷ついた上に兵糧が尽きた為に息絶える兵の亡骸を埋め、鎧を剥いでその鎧を売って兵糧を手に入れる維盛達。 戦に勝利した義仲は軍勢を南に進め、越前の国府に陣を敷いていた。 都は目前と喜ぶ巴だが、義仲は全てが上手くいっていることに不安を抱く。 義仲の心配は都に入った後に孤立無援になることではと尋ねる行家(大杉漣)に、頷く義仲。 行家は比叡山延暦寺を味方につけることを進言し、義仲もその案を受け入れる。 頼朝は義仲が延暦寺に味方になるよう書状を送ったという報告を受ける。 義仲の動きを阻む為に兵を出すべきと進言する時政に、兵は滅多には出せないと答える頼朝。 理由を尋ねる時政に、義仲が先に都に上れば官軍となる恐れがあり、義仲軍と戦に及ぼうとする鎌倉軍は朝廷に弓引く賊軍になると説明する景時。 景時は法皇に貢物を送ってはと頼朝に進言する。 咄嗟にそれが貢物を守るという名目で大軍を都へ送れるということだと察する頼朝に、義仲の様子を見る為に少人数を送るのも手だと告げる景時。 兵を率いる役目を範頼(石原良純)にと考える頼朝に、政子は義経を勧める。 少人数でも兵を動かしたことを知った藤原秀衡(高橋英樹)が鎌倉を窺おうとした時に、義経が鎌倉にいては万が一のこともある、念には念をと告げる政子。 頼朝は義経に500の兵を率いて西へ向かうよう命じ、範頼を大将にする大軍が着くまで都付近に留まり、義仲の動きを見るよう言い渡す。 義経から出陣の命があったことを聞き、大喜びする弁慶、三郎、次郎、喜三太、継信(宮内敦士)、忠信(海東健)。 弁慶は杢助(水島涼太)の家へ向かい、千鳥と杢助に世話になった礼と別れを告げる。 千鳥はずっと待っている、帰って来なければ迎えに行くと言い、弁慶も微笑んで頷く。 義高と大姫に出陣の挨拶をする義経。 義高は義仲に会ったら自分は息災だと伝えて欲しいと義経に告げ、義経は承諾する。 そこへ弁慶、三郎、次郎が、義高と大姫に挨拶をしに訪れる。 戻ってきたら野山や海にお連れすると告げる三郎と次郎に、頷く義高と大姫。 頼朝は景季と共に出陣する義経に、義仲に情をかけるなと言い渡す。 義経はついに鎌倉から出陣した。 寿永2年のこの日、鎌倉は夏の日差しが降り注いでいた。 この出発が永き旅の始まりだということを、この時は誰も知らなかった。 |
(一部敬称略)
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