ストーリー
2005年8月14日放送 第三十二回「屋島の合戦」(演出:木村隆文) 元暦2年(1185年)2月17日夜半、摂津の港を出た義経(滝沢秀明)の船は、荒海で激しい波に飲まれていた。 大きく風を孕んだ帆に、帆柱が折れそうな状態になるが、義経は帆を太刀で斬り風を抜けさせる。 その嵐も夜明け近くには治まり、常ならば3日はかかる行程を義経一行は1日で阿波・勝浦に到着した。 嵐のおかげで、敵に気付かれず1日で着いたことを喜ぶ義経主従。 そこへ近藤親家(水野純一)が現れ、義経に加勢したいと申し出る。 親家は平家に父親(西光法師)の命を奪われた恨みを忘れておらず、平家追討のために100騎の兵と共に義経の前に現れたのだった。 義経は喜んで親家を迎え入れ、直ちに屋島へと向かう。 義経の軍勢は急ぎ先へと進み、阿波と讃岐の国境に横たわる山並みを越えたのはその夜のことだった。 親家に案内され、高台から屋島を見る義経主従。 親家を加えた義経主従と景季(小栗旬)は軍議を行う。 目指すは三種の神器と安徳帝(市川男寅)のいる行宮だが、平家の兵は2000〜3000、義経軍は250。 攻め込んでも小勢と解れば攻め返されると話す弁慶(松平健)。 しかし、三郎(南原清隆)が三草山の時のように義経軍の数を解らないようにすれば良いと提案し、義経もそれを採用する。 屋島を取り囲むように方々で火をつける作戦で、親家がこれを請け負う。 陣を出た義経を弁慶を呼びとめ、行宮に義経の義妹の能子(後藤真希)がいるのではと尋ねる。 義経は能子が乳飲み子の時に別れた為に顔は知らない、味方の士気に係わるために能子のことは誰にも知られてはならないと弁慶に告げる。 屋島・宗盛(鶴見辰吾)の陣。 宗盛は嫡男の清宗(渡邉邦門)の報せで、周りの山で火の手が上がっているのを知る。 親家が裏切ったと激怒する資盛(小泉孝太郎)。 そして、義経軍は一気に平家の陣へと攻め込む。 戦支度をする宗盛は、山から攻めてきた敵は源氏だという報告を資盛から受ける。 海に敵の姿が無いと知った宗盛は、船隠しの軍勢を急ぎ行宮の近くに廻させ、安徳帝や建礼門院徳子(中越典子)、三種の神器を船に移すよう命じる。 平家勢に攻めかかる義経主従。 時子(松坂慶子)を筆頭に領子(かとうかずこ)、明子(夏川結衣)、輔子(戸田菜穂)、能子らが安徳帝と弟の守貞親王(水谷大地)、徳子、三種の神器と共に船へと向かう。 行宮へ乗り込んだ義経軍だが、一足遅く行宮はもぬけの殻であった。 景季の報せで、沖へと逃げる船のもとへ向かった義経軍だか、船を持たないため後を追うことはできなかった。 資盛から源氏の大将は義経で、敵は大軍ではないとの報告を受け憤る宗盛だが、しばらく義経軍の様子を見ると告げる。 それを知った時子は、宗盛が義経の奇襲に意気消沈したと憤り、何とかして味方の士気を高めなければと焦る。 領子と明子は義経の器量を計ることを進言し、時子は宗盛に小舟を用意させるよう命じる。 能子は時子に小舟に乗る役目を自分にと願い出るが、領子は小舟に乗って義経の元に逃げるつもりかと問い質す。 時子は能子が源氏方の矢に射殺される覚悟があると知り、その役目を能子に任せる。 海上に、扇を付けた竿を持った能子が乗り込んだ1艘の小舟が現れる。 弁慶は扇を射落とせるかという敵の挑発だと憤るが、義経は自ら射落とそうとする。 しかし、継信(宮内敦士)に1の矢は家来にと諌められ、義経は弓の名手を集めさせる。 義経の前に4名の武者が並び、その内の3名は我こそはと義経に自らを誇示する。 しかし、残りの1名の若者は自分には無理だと告げる。 若者は名を那須与一宗高といい、17歳であった。 何故無理なのかと問われ、与一は海風が山肌に当たって吹き返し、扇は波に揺れ、山野にて鳥を射落とすのとは勝手が違うと答える。 義経は与一に扇を射落とす役目を命じる。 弁慶から与一に決めた理由を問われた義経は、与一が自信がないと言ったからだと答える。 謙虚さは用心深さとなり、与一は風や波のことを見ていると話す義経。 騎乗した与一は波打ち際から、小舟で能子の持つ竿の先の扇を狙う。 明子は、時子は平家の行く末を扇で占おうとしているのではと領子らに話す。 能子は義経を見つめ、心の中で「兄上」と呼び続ける。 与一の射た矢は見事に扇を射落とし、源氏方は大いに沸く。 落胆する時子だが、戻って来た能子に労わりの言葉をかける。 その夜の軍議では、今後の作戦について話し合われた。 継信は、源氏軍が屋島に着いたことは阿波の田口教能(新井康弘)も既に気付き、すぐにでも駆けつけるかもしれないと話し、景季も3000の教能の軍勢が最大の難敵だと話す。 教能の兵を何とか味方に引き入れたいと言う義経に、三郎がその役目は自分がと申し出る。 3000の兵を率いる教能を相手にしては、まともに近付けば生きて帰れないと反対する弁慶だが、三郎はまともに兵を率いて近付けばの話だと告げ、三郎の作戦に気付いた義経は頷く。 阿波水軍・田口教能の軍勢は、屋島とは目と鼻の場所で休んでいた。 そこへ三郎が1人で現れる。 笑顔で気軽に入って来た三郎は、教能の兵に呼び止められ名を尋ねられる。 三郎は義経の家来と名乗り、教能に会いたいと告げる。 そこに現れた教能に、「源氏にお味方くだされ」と頭を下げる三郎。 戸惑う教能に三郎は、2人で話がしたいと申し出る。 2人きりになり石に腰掛けた三郎は教能に、屋島の平家は敗れ、海へ逃げ西へと去ったと嘘を告げる。 驚く教能に、平家追討の院宣は源氏に下されているのでこのままでは平家に付く教能は逆賊、摂津からの源氏の大軍と伊予の河野水軍の計20万の軍勢が攻めてくると話す三郎。 田口水軍が滅ぶのは忍びないと嘆く三郎に、教能は考え込む。 喜三太(伊藤淳史)や熊(長谷川朝晴)が、義経に海上の平家の様子について報告する。 そこへ次郎(うじきつよし)と親家が飛び込んで来て、平家勢は志度の寺に集結し、背後から義経軍を襲うつもりだと報告する。 義経は志度寺へ向かうと告げ、景季に陣の護りを頼む。 志度寺に乗り込んだ義経主従らを、隠れて待ち構えていた資盛を大将とする平家勢が迎え撃つ。 応戦する義経主従らだが、義経を狙った資盛の矢を、義経を庇った継信が受けて倒れる。 驚く義経主従は継信に駆け寄り、その隙に平家の兵に取り囲まれてしまう。 その時、三郎と共に教能とその兵達が現れ、劣勢となった平家勢は退却する。 横たわる継信と、継信を囲む義経主従。 継信は義経に最後まで供ができないことを詫びるが、義経はこの後も付き従ってもらうと告げる。 継信は忠信(海東健)に、自分の分も義経を護ることを託し、忠信も承知する。 義経は継信1人旅立つことを許さない、これからも自分の側にいるようにと告げて涙を流す。 継信は「はい、おります」と答えた後、苦しい息の下、弁慶、三郎、次郎、喜三太、熊の名を呼び、平泉での日々の思い出を話す。 義経は継信にまた皆で平泉に戻ろうと告げ、継信も「はい」と答える。 「ならばそれ故、今ここで眠ってはならぬ」という義経の言葉に、継信は「はい、心得ましてござる」と答え、目を開けたまま絶命する。 継信の名を呼び、泣きながら継信の唄を唄い、継信の死を哀しむ弁慶達。 平泉から義経に付き従い、苦楽を共にしてきた佐藤継信の最期であった。 船の上から屋島を見つめ、「最早、屋島は去るのみ」と告げる宗盛。 時子は射落とされた扇が海に漂う様を見つめる。 海を見つめる義経は弁慶に、此度の戦は三種の神器を奪還できなかった上に、継信を失うという思いもよらないことばかりだったと話す。 弁慶はいつの日か継信を平泉に連れ帰ることもあると告げる。 義経は手にした継信の遺髪に、「戦が終わるまで私と共にあれ」と呟く。 義経にとっては、平家を追い払ったとはいえ、何とも苦い屋島での合戦であった。 |
2005年8月21日放送 第三十三回「弁慶走る」(演出:大関正隆) 平家方が西へと去った翌日、梶原景時(中尾彬)の軍勢が屋島に到着した。 軍議で景時は三種の神器を取り返せなかった件で義経(滝沢秀明)を責め、摂津で梶原水軍を待つべきだったと告げる。 弁慶(松平健)が景時に反論するが、安田義定(真実一路)と景季(小栗旬)が間に入る。 今後についての考えを尋ねられた義経は、次こそは必ず船戦になる、このままでは水軍の数で勝る平家には敵わない、それどころか平家に追いつく前に背後を熊野水軍に付かれたら挟み撃ちになる、しばらく屋島に留まり味方の水軍を集めると答える。 弁慶から義経の考えを聞く三郎(南原清隆)達。 次郎(うじきつよし)はその数800といわれる熊野水軍について説明し、熊野水軍を味方にするか否かで戦の結果も変わると話す。 それを聞いた三郎は、熊野水軍の長である湛増(原田芳雄)を説得に行くと言い出し、喜三太(伊藤淳史)や熊(長谷川朝晴)、次郎も田口教能(新井康弘)を源氏に引き入れた三郎ならと賛成する。 そこに現れた義経に、三郎が熊野別当・湛増の説得に行くと願い出ようとした時、弁慶が自分が湛増に会いに行くと願い出る。 三郎や次郎は、湛増は一筋縄でいかない豪胆で荒ぶる男、そのような男に同じ荒ぶる男の弁慶が掛け合えば、まとまるものもまとまらないと反対する。 義経から成算を問われた弁慶は「いや」と答えるが、継信(宮内敦士)が生きていれば継信は熊野に行くと申し出たはず、義経や自分達の行く末を案じていた継信に成り代って自分が何としてもと訴える。 弁慶の心中を察した義経は弁慶に熊野行きを命じ、三郎らも「心して参られよ」と言葉をかける。 義経に時が来れば自分を待つことなく出立するよう告げ、無事に熊野を出れば追いかけると笑う弁慶。 その夜、熊野へ向かう弁慶を見送る義経主従。 もう郎党を失いたくないと告げる義経に頭を下げ、弁慶は熊野へと出立する。 長門・彦島。 平家方の軍議で宗盛(鶴見辰吾)は知盛(阿部寛)に総大将を命じ、知盛もそれを承諾する。 知盛は今度ばかりは船戦しかなく、そうなけば平家は勝つと言い切る。 彦島の辺りの海は平家にとっては庭のようなもので、潮の加減も良く知っている、気掛かりの範頼(石原良純)の軍勢も義経勢が船を揃える前に潰せば活路は開ける、肥前や筑前などの軍勢や阿波の田口重能(教能の父)、熊野水軍なども加えれば船戦に慣れない源氏など恐れることはないと話す知盛。 時忠(大橋吾郎)の「この西国で盛り返しやがては都へ」という言葉に、宗盛は大きく頷く。 時子(松坂慶子)や領子(かとうかずこ)は、貝合せをする安徳帝(市川男寅)と守貞親王(水谷大地)の側で、安徳帝が三種の神器と共に無事であったことを喜び合っていた。 安徳帝は貝に絵が無い理由を尋ね、明子(夏川結衣)と輔子(戸田菜穂)は都から持ち出した貝は割れたり欠けたりし、知盛が代わりの貝として浜辺にあった貝を集めたが、絵を描く者がいないためだと答える。 時子は改めて、安徳帝と守貞親王を何としても護ることを誓う。 京・御所。 眠っていた後白河法皇(平幹二朗)は、大膳大夫信成(木村彰吾)から義経が屋島の平家方を蹴散らしたとの報せを受ける。 義経が手元にあれば心強いと笑う法皇。 信成は義経が三種の神器を取り返し損ねたことを話すが、法皇は在り処さえ解かっていれば自分達の元に戻ってくるだろうと告げる。 鎌倉。 屋島での戦いの結果の報せを聞いた頼朝(中井貴一)は、義経が平家を追い詰めたが、問題は豊後で身動きの取れない範頼軍だと政子(財前直見)に話す。 義経が海を知り尽くした平家に対してどう立ち向かうのかと告げる頼朝に、それは危ぶんでいる言葉か楽しんでいる言葉かと尋ねる政子。 屋島。 太刀の稽古をする三郎達の前に現れた義経は、今ある船で長門へ向かうと告げる。 義経は急げば4日で着く長門に1ヶ月かけて向かう、そうすることによって海に慣れない源氏の将兵も船と海のことを会得するだろうと話し、三郎達は納得する。 「なれど弁慶が」と言う喜三太に、義経は弁慶なら心配ないと答え、次郎もそのうち追いつくと告げる。 その頃、弁慶は湛増のいる田辺へと向かっていた。 湛増の館に到着した弁慶だが、僧兵や湛増の手下は湛増は誰にも会わないと告げる。 弁慶を追い払おうとする湛増の手下達だが、弁慶は手下達を投げ飛ばす。 長門へ向かう船中で、義経と景時、景季、忠信(海東健)は軍議を行っていた。 義経は周防にいる船所五郎正利に味方に付くように密書を送り、その近くにいる三浦水軍に義経軍と合流するよう使いを出すよう命じる。 景季は義経に弁慶のことを尋ね、景時は1人で湛増のもとへ向かった弁慶を無謀だと話す。 義経は「時には無謀も策略のうちということもある」と景時に告げる。 熊野別当・湛増は、庭で僧兵や手下らと共に闘鶏に興じていた。 そこへ弁慶に投げ飛ばされた手下らが現れ、弁慶のことを湛増に報せる。 湛増は一々訪れた者の頼みごとを背負いすぎては身が持たない、本宮に上った客も戻ると告げ、手下らに弁慶を追い払うよう命じる。 大勢の僧兵や湛増の手下が現れ弁慶を追い払おうとするが、弁慶は次々と手下らを倒し館へと入って行く。 湛増の前に現れた弁慶は名乗り、湛増に話があると申し出る。 そこへ客が本宮から戻ったと報せが入るが、湛増は弁慶を館に上げる。 湛増と対峙した弁慶は、源氏に味方するか、平家に付くことなく熊野から動かないでいてほしいと願い出る。 湛増は一笑に付すが、弁慶は断われば湛増と刺し違える覚悟と告げる。 弁慶にそれほどの覚悟をさせる義経に興味を持ち、弁慶に義経のことを尋ねる湛増。 湛増は清盛(渡哲也)に恩義があるからと断るが、弁慶は義経は天下の安寧のために平家と戦っていると訴える。 頭を悩ます湛増に、弁慶は以前、湛増の船人が鎌倉の杢助(水島涼太)に助けられたことで杢助にも恩義があるはずと切り出す。 弁慶が自分は杢助の娘の千鳥(中島知子)の婿だと告げると、湛増は手下に合図をする。 手下に連れられ弁慶の前に現れたのは、客として熊野に来ていた千鳥であった。 驚く弁慶に千鳥は、弁慶に会いに都へ行ったが弁慶達は屋島に発った後で、熊野に来たと話す。 湛増から弁慶は婿かと問われた千鳥は頷き、弁慶の言葉が偽りでないと知る湛増。 人払いをして弁慶と2人きりになった湛増は、源氏に付くか平家に付くか激しく悩む。 煮えきらない湛増にいらだった弁慶は、弁慶の頼みを聞くか聞かないかを闘鶏で決めることを提案する。 湛増は自分が勝てば弁慶の命を思いのままにすると告げ、弁慶も承諾する。 湛増の手下達や千鳥が見守る中、闘鶏が行われ、湛増の鶏が勝利を収める。 覚悟を決めた弁慶は湛増の前に座り、「突く等斬る等ご存分に」と告げる。 千鳥は「夫が死ぬなら私も共に」と願い出、湛増は2人に今生の別れだから話でもしろと告げる。 部屋で千鳥と2人きりになった弁慶は、事の成り行きを千鳥に詫びる。 そこに湛増が現れ、弁慶に書状を義経に届けるよう命じる。 驚く弁慶に、弁慶の命は自分のもの、どう使おうと自分の勝手、弁慶の命は義経にくれてやると告げる湛増。 弁慶は泣いて湛増に頭を下げる。 義経の元へと向かう弁慶を千鳥が呼び止め、2人は鎌倉での再会を誓い合う。 1人になった湛増は「武蔵坊弁慶か、わしの負けよ」と呟き、弁慶は笑顔で義経主従の元へと走って行く。 義経主従を乗せた船は、備後の鞆ノ浦の辺りにいた。 船の上では次郎や喜三太らが、出立してから14日も帰らない弁慶のことを心配していた。 義経は空を飛ぶカモメの声に耳を傾け、次郎に船を鞆ノ浦に着けるよう命じる。 理由を尋ねられ、義経は「何やらカモメの声がここじゃ、ここじゃと言うてるような。弁慶が待っているやもしれぬ」と答える。 三郎達は頷き、次郎は直ちに船を鞆ノ浦に着けるよう命じる。 陸へと向かう船の上で弁慶の姿を見つけた三郎達は、大喜びで弁慶に手を振る。 船に乗った弁慶は義経に湛増からの書状を渡し、源氏に味方すると書かれた書状に喜ぶ義経主従。 義経は弁慶を労い、これより長門を目指すと告げる。 時は3月、義経の軍勢は平家の留まる長門の国・彦島に迫っていた。 |
(一部敬称略)
このページTOPへ