ストーリー
2005年9月11日放送 第三十六回「源平無常」(演出:一木正恵) 元暦2年3月24日、総大将源義経(滝沢秀明)率いる源氏と平家が命運を賭けた一戦、壇ノ浦の戦いは平家滅亡という形で幕を閉じた。 奥州から郎党と共に鎌倉の頼朝(中井貴一)の元に馳せ参じてから5年、義経はついに平家追討の使命を果たしたが、戦場は未だ混乱していた。 弁慶(松平健)は義経に、この有様では味方の様子も平家の人々の様子も解らないと告げ、義経に休むよう勧める。 義経は三種の神器や主上の行方が気になると告げ、弁慶を始め、忠信(海東健)、三郎(南原清隆)、次郎(うじきつよし)、喜三太(伊藤淳史)、熊(長谷川朝晴)は手分けして戦場の様子を見に行く。 海上では船に乗った源氏の兵が、海の中へ沈んだ三種の神器や平家の人々を探していた。 義経は平家一門の命を飲み込んだ海を、1人見つめていた。 そこへお徳(白石加代子)が現れ、義経に何故平家はこのような最期を迎えたのかと尋ねる。 義経とお徳は海を見つめながら、20年以上前から今日の平家一族の栄枯盛衰を顧みる。 義経はお徳に、戦に勝ったというのに喜べない、何やら虚しいと話す。 お徳は義経に、何か大きなことを成した後はそのようなものだと告げて微笑む。 壇ノ浦・義経の陣。 景時(中尾彬)、景季(小栗旬)や郎党らが待つ中、義経が現れる。 景時らは三種の神器の内、宝剣が見つからないことについて話す。 そこへ忠信が現れ、捕らえた平家の人々の名前が解ったと報告する。 建礼門院徳子(中越典子)、時忠(大橋吾郎)、守貞親王(実は安徳帝)(市川男寅)、明子(夏川結衣)、輔子(戸田菜穂)、宗盛(鶴見辰吾)、清宗(渡邉邦門)、能子(後藤真希)。 能子が助かった平家の人々の中にいたと聞き、義経主従は安堵する。 景時から能子に会うかと問われた義経は、まず敵の大将の宗盛に会うと答える。 宗盛と清宗の前に現れた義経は、三種の神器の宝剣と主上について尋ねるが、宗盛は義経に「あの牛若よな」と告げる。 宗盛は義経に時子(松坂慶子)の消息を問うが、弁慶から引き上げられた人々の中にはいないと聞き、涙を流す。 義経は徳子、明子、輔子の3人と対面する。 徳子は義経に、能子の兄である義経が平家を滅ぼした、憎しみでもあるのかと問う。 義経はこの度のことは自分が源氏故の運命だと答え、主上と三種の神器の宝剣の行方について尋ねる。 宝剣と主上を抱いて時子は入水、宝剣も主上も海の底に眠っていると告げる明子。 義経は海辺で能子と対面する。 義経は能子が生まれた時のことを語り、やっと巡り会えたことを喜ぶ。 都で共に暮らそうと言う義経だが、能子は自分は平家の女子として他の平家の人々と運命を共にする覚悟と告げる。 義経は戦の最中に、能子が白い布を掛け庇った子は誰かと尋ね、能子は守貞親王だと答える。 能子は義経からもらった文の礼を言い、この世に自分の兄がいるということが心の支え、例え1人でも淋しくないと告げ、頭を下げて去って行く。 義経は兄妹とはいえ、思いのままにならないこの世の無常を感じていた。 そして今、義経の胸の内にはある1つの疑いがはっきりと見えていたが、義経の心中は複雑に揺れていた。 |
2005年9月18日放送 第三十七回「平家最後の秘密」(演出:木村隆文) 壇ノ浦では毎日のように戦で死んだ人々の供養が執り行われ、その声は捕らわれた平家の人々にも届き、亡くなった人々への思いを新たにしていた。 そしてこの日、義経(滝沢秀明)の元には法皇(平幹二朗)から平家追討を果たしたことを労う書状が届いた。 法皇の言葉を喜ぶ義経主従。 義経は、郎党に何としても見つからない宝剣を探さなければならないと告げる。 「主上のお行方も」という忠信(海東健)の言葉を聞いた義経は、安徳帝(実は守貞親王)(水谷大地)を抱いて入水した時子(松坂慶子)と、能子(後藤真希)が白い布を纏わせ護った親王(実は安徳帝)(市川男寅)の姿を思い出す。 鎌倉・大倉御所。 頼朝(中井貴一)を中心に、北条時政(小林稔侍)、義時(木村昇)親子、大江広元(松尾貴史)、善信(五代高之)が、三種の神器や主上について話していた。 宝剣と主上が見つかり三種の神器と主上が鎌倉にあれば、法皇の意向を恐れることもなく、鎌倉にて自分達の帝を擁立することもできたと話す善信と時政。 三種の神器の内の2つが義経の元にあるのは幸いと言う善信に、頷く頼朝。 広元は頼朝の命を受け、義経に都へ戻り守護につくよう書状を出したと告げる。 前年の一ノ谷や屋島で勲功のあった二十数名が、頼朝の許可なく法皇から官位を賜り、平家追討の最中に処罰すれば士気を削ぐ為に先延ばしにしていた件をどうするのか頼朝に尋ねる広元。 時政からその者達はどのような者かと問われた広元は、三浦党などに加え義経もと答える。 頼朝は無断任官した者達への処罰は義経を通して申し渡す、内容は「名を連ねし二十数名の者、この後、美濃の国墨俣川を東へ渡るを許さず」、列記する者の中に義経の名を記さなくても良いと命じる。 頼朝の意図に気付いた時政は、「なるほど、後は九郎判官殿がいかに出処進退を示されるかでござるな」と告げる。 元暦2年4月25日、義経は3ヶ月ぶりに都に戻った。 その日さっそく法皇は、義経に神器を携えて院に参るよう命じた。 陣中に書状を賜ったことに対する礼を述べ、宝剣を見つけられなかったことを詫びる義経を、知康(草刈正雄)は神鏡と神璽の2つが戻って幸いと労い、この後も検非違使の務めに励むよう命じる。 義経は六条・堀川に屋敷を賜り、ここが都の住まいとなった。 義経主従を迎えた正室の萌(尾野真千子)は、その場に静(石原さとみ)を呼ぶ。 弁慶(松平健)は萌と静に、継信(宮内敦士)の討死を告げる。 義経は熊(長谷川朝晴)に直々に侍の名を与え、熊は鷲尾三郎義久と名乗ることとなる。 留守中の都の様子を聞かれた静は、うつぼ(上戸彩)が嫁いだことを告げる。 義経はめでたいと喜ぶが、うつぼに思いを寄せていた喜三太(伊藤淳史)は落ち込む。 頼朝からの無断任官した24名に対する仕置きの書状が義経の元に届く。 義経の名がないことを喜ぶ弁慶に、義経も頼朝の自分に対する恩情であろうと告げる。 弁慶は24名に申し渡す役目を義経に任せたのは頼朝の信頼があればこそと話し、義経も頷く。 その日、鎌倉の頼朝の元には、都に留まっていた梶原景時(中尾彬)からの書状が届いていた。 屋島、壇ノ浦では義経に従っていた軍目付としての報告であった。 景時はその文に、義経は勝利はしたもののどの戦いも不意打ちなどの奇策を用い、堂々たる戦ぶりとは思えないと記していた。 更には、屋島へ向かう船に逆櫓を付けるかどうかで対立したことについては、その独断振りに呆れ、一軍の将としての器に疑問を投げかけていた。 義経は東国の戦の仕方どころか戦そのものを知らないまま大将になったために、戦場の習いを知らなくても仕方ないと話す頼朝と政子(財前直見)。 そこへ、都からの書状を持って広元が現れる。 書状には義経が2つの神器を法皇に返したと書かれており、頼朝、政子、時政らは驚く。 義経が法皇に取り込まれたのではと心配する義時。 墨俣川を越えてはならないと伝えた24名の者は、無断任官の所業を悔いて悉く侘びを入れてきたが、義経は未だに音沙汰がないという広元の言葉に、頼朝は「九郎、何も解っておらぬのか」と激怒する。 暫く後のこと、京の町から義経邸へ戻った忠信、三郎(南原清隆)、次郎(うじきつよし)、義久は、いつもと違う周りの様子を義経に報告する。 忠信は、洛中で景時の家来と行き会った時、普段は挨拶を交わすのに昨日は妙に余所余所しく、安田義定(真実一路)も困惑気に目を逸らしたと話す。 そこへ、景季(小栗旬)が訪れて来る。 景季は迷った末に義経主従に報せに来たと告げる。 先日、景時の元に頼朝から書状が届き、その書状には「この後、義経に従うことはならない」と書かれていたと話す景季。 義経は書状には何と書かれていたかと問うが、景季は仔細は記されていないと答える。 義経が頼朝の勘気を被るようなことはないと憤る弁慶達。 弁慶と2人になった義経は、頼朝の不審をかった憶えはないと嘆く。 以前、無断任官した者は墨俣川を越えてはならないという達しがあったことを持ち出す義経だが、弁慶は義経の名は記されてなかったので、そのことではないはずと否定する。 義経は名の挙がった者は官位の返上に務めていると聞いているが、自分も鎌倉に戻る時は官位を返上するつもりだと話す。 2つの神器を返したことが差し出たことと思われたのではと問う弁慶に、いずれ返す神器を頼朝の手を煩わせることなく返したまでと答える義経。 義経は戦でしか役に立てない自分は不要ということなのか、自分が戦に赴いたのは頼朝の目指す国造りの役に立ちたい一心だったのに、何故頼朝は自分を疑い怒っているのかと哀しむ。 鞍馬。 毘沙門天像のあるお堂を訪れた義経に、声をかける覚日律師(塩見三省)。 覚日律師の義経はいつも重いものを抱えて鞍馬に戻るという言葉に、義経は軽くしたいわけではない、思案に暮れていると答える。 覚日は重いものは打ち捨て、修羅の道が険しければ逃げれば良い、1つのことに拘るなと告げる。 そこへ、弁慶が迎えに現れる。 義経は覚日に、自分1人ならばそれも思案の内だが、従う郎党がいる今の自分には容易く打ち捨てることはできないと告げ、その場を立ち去る。 その夜、義経は頼朝に起請文をしたためる。 暫く後、東山・長楽寺で、建礼門院徳子(中越典子)は髪を下ろし仏門に入った。 意を決した義経は、弁慶に壇ノ浦以来気掛かりなことを確認するために徳子を訪ねると告げる。 徳子のいる寺を訪ねた義経は、庭で遊ぶ親王を目にする。 そこに親王の相手をしていた明子(夏川結衣)と輔子(戸田菜穂)が現れ、義経に気付いて親王を奥へと連れて行く。 義経の前に現れた徳子は義経の気遣いに礼を言い、自分は生まれた時から平家の為に生きてきた気がするが、初めて自分で落髪を決めたと話す。 義経は何かを抱え過ぎたら打ち捨てよと言われたが、自分には捨て切れない、それに比べれば徳子は強いと告げる。 徳子を訪ねた理由を問われた義経は、親王の顔を拝見するためと答え、徳子は表情を硬化させる。 先程、庭にいた親王を見たが、徳子と血の繋がらない親王が徳子と顔立ちが似ていると告げる義経。 いざという時の為に小刀を手に、緊張した面持ちで外で話を聞いている明子と輔子。 主上に似ている親王を鎌倉に連れて行くと言うのなら、自分の命を奪うことだと義経に話す徳子。 徳子の決意を察した義経は、徳子にこの後は親王を慈しみ過ごすよう告げる。 徳子は義経の気遣いに礼を言い、頭を下げる。 親王はいずれかの寺に預け、僧侶として亡き人々の菩提を弔う生涯を送らせようと思うと話す徳子に、しかと承ったと答える義経。 弁慶と共に寺を去ろうとする義経を、徳子、明子、輔子、能子が見送る。 4人は義経に頭を下げ、その場を立ち去る。 弁慶に確かめたかったことを問われた義経は、そのことは自分の胸の内に収めたと答える。 義経はこの後、建礼門院徳子とも妹の能子とも2度と会うことはなかった。 梅雨も間近いある日のことであった。 |
(一部敬称略)
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