ストーリー
2005年9月25日放送 第三十八回「遠き鎌倉」(演出:大関正隆) 御所に召された義経(滝沢秀明)は、法皇(平幹二朗)と知康(草刈正雄)から建礼門院徳子(中越典子)を見舞ったことについて聞かれる。 景時(中尾彬)の館を訪れた義経は、景時から徳子を訪ねた理由や、処分の決まらない敵を見舞ったことを問い質される。 館を出る義経を景季(小栗旬)が呼び止め、この後は義経を気安く訪ねることはできないと告げる。 この日、鎌倉には義経がしたためた頼朝(中井貴一)への起請文が届いた。 広元(松尾貴史)に義経をどうするか問われた頼朝は、返書は送らない、この後の義経の振る舞いを見ると答える。 ある夜、義経の前にお徳(白石加代子)が現れる。 お徳は義経と頼朝の不和についての噂を耳にしたと告げる。 頼朝に二心は無いと言う義経に、景時の書状には義経が東国の武将を蔑ろにし独断に走ったと書かれていたと話すお徳。 義経はそんな憶えはないと戸惑うが、お徳はそう受け取らない人がいると告げる。 頼朝に直に会って話をしたいが鎌倉は遠いと嘆く義経に、都と鎌倉の隔たりは大きいと呟くお徳。 その何日か後、暫く音沙汰のなかった叔父の行家(大杉漣)が、堀川の屋敷に現れた。 行家は義経の戦いぶりを讃え、頼朝の義経への態度を非難し、此度の仕打ちは頼朝の義経への嫉妬だと話す。 行家は、法皇を後ろ盾に共に鎌倉を抑えようと義経に持ちかける。 義経は自分は争いのない世の中を願って戦をした、源氏同士争いたくないと話すが、行家はそのようにキレイ事を言うが、同じ源氏の義仲(小澤征悦)を討ったではないかと反論する。 義経は、できるものなら避けたい戦であった、それ故に切ない戦であった、あのような戦は2度としたくないと告げる。 静(石原さとみ)と2人きりになった義経は、己の心の内を静に打ち明ける。 親王として過ごしている安徳帝(市川男寅)を徳子から引き離して鎌倉に連れて行けば、頼朝に会えるのではないかと邪な思いが胸をよぎった、そんな己の卑しさに腹が立ったと話す義経。 今の義経の心には、頼朝への思いだけがあると告げる静に、文だけでは真意を言い尽くせない、人の口が間に入れば思いも歪む、自分には自分の思いがあることを頼朝に直に伝えたいと話す義経。 いずれ機会もあると慰める静に、頷く義経。 鎌倉。 一方、気鬱の病が続いていた大姫(野口真緒)について、政子(財前直見)も心穏やかではなかった。 政子は床に伏している大姫に、月命日に義高(富岡涼)の供養塔に花が手向けられているらしい、一度供養塔に行こうと誘う。 義高の供養塔を訪れた政子と大姫は、そこで千鳥(中島知子)と杢助(水島涼太)に出会う。 政子は2人を呼び止め、供養塔に花を手向けていた理由を問い質す。 千鳥は鎌倉を去る義経に、義高の月命日に花を供えるよう言いつけられていたと答える。 その時、大姫が「九郎の叔父上、お会いしたい」と呟き、政子は驚く。 この大姫の一言が、政子にある決意をさせる。 政子は義高斬首以来、久しぶりに口を開いた大姫のことを時政(小林稔侍)に話す。 義経に会えば大姫の心も癒えるのではないか、義経は人を惹きつけるだけでなく心を癒す力もある、義経を鎌倉に呼んでほしいという政子の言葉に驚く時政。 公と私の区別を重んじる頼朝に事情が知れれば危うくなるのは自分達、それに無断任官した24名には墨俣川を越えてはならないという命が出ていると、政子に話す時政。 ところが、義経にとって思いがけないことが法皇の元にもたらされた。 知康は義経に、頼朝から宗盛(鶴見辰吾)・清宗(渡邉邦門)親子を鎌倉に送り届けるよう言ってきたが、その役目を誰に申し付けるかを義経に聞くために呼んだと話す。 義経はその役目は自分が承りたいと願い出る。 無断任官した者は墨俣川より東に越えてはならないと頼朝の下知があると言う知康に、法皇はそれには義経の名前はなかったと告げ、義経に宗盛・清宗親子を鎌倉に届けることを命じる。 義経は宗盛と清宗を護送して鎌倉へ向かった。 頼朝と話をしたいという熱き思いが、義経を突き動かしていた。 知康は法皇に、何故頼朝は義経の名を記さなかったのかと尋ねる。 法皇は頼朝は義経を試したのではないかと答え、官位をそのままに鎌倉に向かう義経を、頼朝がどう扱うかは自分達にも大きく係わることと告げる。 法皇は義経を使って頼朝を試すのかと尋ねる知康に、人を試すのは頼朝も好みのようだからとほくそ笑む法皇。 鎌倉。 頼朝に、南都・興福寺より重衡(細川茂樹)の引渡しの催促の書状が来たと報告する広元。 時政に内容を問われた広元は、南都焼討ちの張本人の重衡を引き渡してほしいと今までと同じ内容だが、今回は拒めば僧兵を送り鎌倉を攻めると強硬な物言いと答える。 南都の僧兵を討つのは容易いが寺の者達は後々厄介、清盛(渡哲也)もそれらに手を焼いて遂には力を削ぐことになったと思案する頼朝。 伊豆。 重衡は頼朝の庇護の下、伊豆で日を送っていた。 そこへ、かつて頼朝の助命を嘆願し、その後鎌倉へ下った叔父の頼盛(三浦浩一)が突然訪ねて来た。 平家を裏切ったと恥じる頼盛を、重衡は平家での頼盛の立場を知っていたと労わる。 頼盛は、頼朝が南都・興福寺のことで苦慮していると話し、重衡は自ら興福寺に行くと告げる。 一門の人々が西国の海に悉く沈んだ今、1人東国にあってもなすこともない身の上と、亡くなった母の時子(松坂慶子)や兄の知盛(阿部寛)を思い涙する重衡に、泣いて詫びる頼盛。 重衡が南都・興福寺へ行きたいと申し出たと、頼朝に報告する善信(五代高之)。 そこへ広元が現れ、法皇は宗盛・清宗親子を鎌倉に護送する役目を義経に命じ、すでに義経一行は墨俣川を越えたと報告する。 官位をもらった者は墨俣川を渡ってはならないという頼朝の下知は、義経には通じていないようだと告げる時政。 義経のことを聞いた政子は、頼朝に義経を鎌倉に迎えるよう進言する。 墨俣川を越えてはいけない24名の中に義経の名前がないのだから、義経が鎌倉に入ることは形の上では差し障り無いという政子の言葉に迷う頼朝。 思案を巡らす頼朝の前に現れた広元は、義経を鎌倉に迎えれば他の御家人に示しがつかない、鎌倉の行く末を磐石にするためと、義経を鎌倉に入れないよう進言する。 相模・酒匂川。 義経一行は鎌倉まであとわずか、酒匂川の近くにいた。 そこへ、鎌倉の御家人の伊豆頼兼(浦山迅)一行が現れる。 義経と対面した頼兼は、自分は頼朝の命で南都・興福寺へ重衡を護送する途上、休息の為に立ち寄ったと告げる。 義経の立会いの下、向かい合う重衡と宗盛・清宗親子。 時子の最期を尋ねる重衡に、時子と知盛の最期を話す清宗。 全ては自分のせいと言う宗盛に、時の衰勢と告げる重衡。 宗盛は、これが重衡との今生の別れと知り涙を流す。 重衡は清宗に宗盛のことを託し、義経に頭を下げる。 その夜、義経は重衡を思って1人泣く宗盛を目にする。 義経は宗盛・重衡兄弟の有様を思い出しながら、自分と頼朝のことを考えていた。 そして翌日義経は鎌倉へと向かった。 ところが、鎌倉の外れの腰越で、義経一行を時政が迎えた。 時政は義経に、宗盛・清宗親子を受け取りに来た、義経は腰越に留まるよう告げる。 驚き抗議する弁慶(松平健)たちに、時政は全て頼朝の仰せと告げ、宗盛・清宗親子を連れて立ち去る。 義経は「我等は鎌倉には入れてもらえぬようじゃ」と弁慶たちに告げる。 義経は頼朝のこれまでになく強い意志を感じていた。 |
2005年10月2日放送 第三十九回「涙の腰越状」(演出:黛りんたろう) 鎌倉入りを拒まれていた義経(滝沢秀明)主従は、腰越の満福寺で頼朝(中井貴一)からの沙汰を待っていた。 万福寺に入ってもう3日が経とうとしていた。 一方、鎌倉に入っていた宗盛(鶴見辰吾)・清宗(渡邉邦門)親子にも頼朝からは何の沙汰もなかったが、ついにこの日、召し出された。 頼朝と対面した宗盛と清宗は、時政(小林稔侍)から三種の神器の宝剣の行方について問われる。 御座船は自分達の船から離れており、最期は見届けられなかったと答える清宗。 宗盛は頼朝に、頭を下げて自分達の命請いをする。 宗盛の態度に失望した頼朝は、時政や広元(松尾貴史)に宗盛の器量次第では朝廷との架け橋にするつもりだったと話す。 門の側で頼朝からの使者を1人待つ弁慶(松平健)の元に、千鳥(中島知子)と杢助(水島涼太)が怒鳴り込んでくる。 そこへ現れた三郎(南原清隆)、次郎(うじきつよし)、喜三太(伊藤淳史)に、杢助は鎌倉に来ていながら自分達に報せに来ないことを責める。 弁慶と次郎は入りたくても鎌倉には入れないと話し、弁慶達が困っていると解った杢助は義経主従の面倒をみると告げる。 そこに現れた義経は、杢助と千鳥に礼を述べる。 政子(財前直見)は義経の処遇を気にしていた。 政子が大姫(野口真緒)に義経に会わせたいと思っていることを知る時政は、そのことを頼朝に言ってはならない、それを言えば北条家への不審に繋がると政子に言い聞かせる。 夜、侍女の深井(藤田むつみ)に伴われて館を訪れた千鳥の前に、姿を現す政子。 翌日、義経と弁慶の元を訪れた千鳥は、義経に近くにある小動(こゆるぎ)神社に今から行くよう勧める。 弁慶に理由を問われた千鳥は、政子に頼まれたと答える。 政子は千鳥に、義経が大姫の心の病を治したならば道は開けるかもしれない、自分は明日大姫と共に小動神社に行こうと思っていると話していたと告げる。 大姫が心の病と聞き驚く義経に、義高の供養塔の前で大姫が義経に会いたいと言っていたと話す千鳥。 義経は迷うが、千鳥の申し出を断る。 義経が断わったことを知った政子は、融通の利かない義経に「許せぬ」と激怒する。 弁慶は義経に、義経を求めている大姫に会ってやるべきではと進言する。 妙な動きをしては頼朝の不審をかうと答える義経に、弁慶は頼朝は以前から義経には構えていたと告げる。 義経は頼朝に隙を見せ過ぎ、頼朝を甘く見ている、義経は一御家人として頼朝に仕える言っているが、胸の内は頼朝を兄と慕う心で溢れている、そのような心が頼朝を見る目を曇らせていると訴える弁慶。 義経は弁慶の口から身内の誹りや悪口を聞くとは思わなかったと憤り、そこへ三郎達が駆けつける。 弁慶は義経があまりに不憫と思って物申した、義経に対して頼朝が兄弟としての情を見せたことがあったのか、義経が望むのはただそれだけなのに、そのことに応えないのが頼朝と告げ、「時には情というものをお捨てなさいませ」と涙ながらに訴える。 義経は三郎達に、所領も栄達も与えられない自分に付き従ってきたのは何故か問い、忠信(海東健)らは「殿を慕えばこそ」と答える。 義経は「我ら主従を繋いでいたのは情ではなかったか。欲得のない絆ではなかったか」と問いかけ、その自分に情を捨てよと言う郎党ならいらぬ、立ち去るよう弁慶に言い渡す。 驚いた三郎達は弁慶に謝罪するよう諭すが、弁慶は泣きながら義経に暇乞いを申し出、その場を立ち去る。 弁慶は杢助の家に行き、千鳥は後を追って来た喜三太と義久(長谷川朝晴)に、弁慶は誰にも会わないと言っていると告げる。 その夜、集まった三郎達は義経と弁慶について話し合う。 三郎は弁慶に謝らせると息巻くが、次郎はあの弁慶が易々と謝るわけがないと止め、三郎も弁慶は義経に輪をかけて融通が利かないと納得する。 弁慶の言うことも一理あるが、義経が怒るのも解らないではないという次郎の言葉に、頷く三郎達。 杢助の家に転がり込んだ弁慶は、物も食べずただ泣いていた。 翌朝、杢助が弁慶が溺れたと叫びながら満福寺に駆け込んで来る。 それを聞いた義経主従は、杢助の家で横たわる弁慶のもとに駆けつける。 目を開けた弁慶は義経に驚き、次郎はその様子から杢助と千鳥が謀ったことに気付く。 千鳥に昨夜から泣いていたことを暴露された弁慶は憤るが、次郎や三郎は義経と弁慶のことで気を揉んだ千鳥の機転だと諭す。 弁慶は義経に謝罪し、義経も弁慶と三郎達にすまなかったと詫びる。 その夜、義経は己の思いを文にしたため、公文所の別当・大江広元宛に送る決意をする。 「左衛門少尉源義経、恐れながら申上げまする。 我が身鎌倉を入るを許されず、故に申し開きも叶わず、この腰越にて空しく日々を送りおりまする。 久しく兄上にはお目通り叶わず、今猶お会い下さらぬとあらば、兄弟骨肉の情愛は最早無く、現世の縁もこれまででござりましょうや。 或いは前世の報いにござりましょうや、これに勝る苦しみとてござりません。 今更申上ぐるも愚痴に過ぎませぬが、生まれて間もなく父義朝様はご他界、母上の胸に抱かれて大和の国に落ち延びてよりこのかた、一日とて心安らかに過ごせしことは無く」 義経の胸に、生まれてから鎌倉で頼朝と語り合った時までの日々が甦る。 「この心中の悲しみ、神仏の加護に縋りてお伝えするのみと存じ、あまたの起請文を捧げましたなれど、猶もってお許しは叶いませぬ。 我が願い、もはや神仏もお聞き届けにならぬのでござりましょうや。 この上は大江殿に頼る他すべはございませぬ。 何卒お慈悲をもちまして兄上にお執り成し下されますよう、幾重にもお願い申し上げる次第にござりまする。」 義経の思いを受け止めた弁慶は、清書をした上で寺の者に託して広元に届けさせると告げる。 世に言う腰越状はこの日、鎌倉へと届けられたのだった。 |
(一部敬称略)
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