ストーリー
2005年10月23日放送 第四十二回「鎌倉の陰謀」(演出:柳川強) 義経(滝沢秀明)は鎌倉入りを許されず、ついには頼朝(中井貴一)とは違う道を歩む決意をした。 その義経が都に戻ったのは、6月も末のことだった。 法皇(平幹二朗)に召し出された義経は、法皇に宗盛(鶴見辰吾)の首を刎ねたことを報告し、知康(草刈正雄)から重衡(細川茂樹)の斬首を聞かされる。 法皇は鎌倉入りできなかった義経に労わりの言葉をかける。 義経が帰った後、知康と丹後局(夏木マリ)は法皇に、頼朝に対する策として、頼朝の唯一の恐れである義経を今まで以上に自分達の手元に置くよう進言する。 頼朝は盛長(草見潤平)から、宗盛親子斬首の時の義経の様子についての報告を受ける。 そこへ時政(小林稔侍)と政子(財前直見)が現れ、頼朝と共に今後の義経の対処について話し合う。 義経は静(石原さとみ)に、頼朝とは別の道を歩くことにした、頼朝の目指す国と自分の望む国とは隔たりがあった、自分の心は既に鎌倉を離れてしまったと話す。 それを聞いた静は、屋敷にいる正室の萌(尾野真千子)のことを心配する。 そこへ弁慶(松平健)と忠信(海東健)が現れ、義経の所領24箇所が鎌倉に取り上げられたと報告する。 頼朝は自分達の兵糧も取り上げたということかと呟く義経に、弁慶と忠信は鎌倉への奉公もこれまでと告げる。 7月、疫病によって苦しめられた都に、追い打ちをかけるように大きな地震が起きた。 義経は検非違使として、昼夜をおかず都の建て直しに努め混乱は収まった。 これによって、義経の都での評判は更に高まった。 そんなある日、お徳(白石加代子)に付き添われたうつぼ(上戸彩)が義経の屋敷に現れる。 流行り病で寝付いていた夫がこの地震で亡くなり、お徳のところに辿り着くまで都のあちらこちらを彷徨っていたといううつぼは、心に深い傷を負っていた。 喜三太(伊藤淳史)は義経に行く場所を失ったうつぼを義経の屋敷に住まわすことを申し出、義経もうつぼに屋敷にいるように告げる。 しかし、うつぼは自分が生き残ったのは1人で生きろというお告げのようが気がすると話し、自分達を頼りにしろという喜三太の言葉に、女1人でも生きていけるように商いを覚えたいと答える。 お徳はうつぼがその気なら吉次(市川左團次)に頼むのが良い、自分が吉次に話をすると告げる。 8月、義経は突然、法皇に召し出された。 義経は法皇から、地震時に尽力したことに対する褒美として、伊予国を与えられ伊予守に任じられ、それを受ける義経。 義経が伊予守に任じられ、新たな所領を与えられたことを喜ぶ三郎(南原清隆)、次郎(うじきつよし)、喜三太、義久(長谷川朝晴)。 しかし忠信は、義経がまたも無断任官したことに対する頼朝の処置を心配する。 義経は頼朝に無断で伊予守に任官したことを心配する弁慶に、頼朝とは別の道を行く決意の表明だと告げる。 義経が伊予守を受けたことは鎌倉にも伝わっていた。 時政、景時(中尾彬)は、義経の伊予守任官は法皇の鎌倉に対する敵対だと話す。 頼朝は景時に、都に向かうことを命じる。 広元(松尾貴史)は兵を率いて都に入れば法皇が何と思うかと心配するが、景時は都へ仏具を買いに行くのだと答える頼朝。 頼朝は景時に良い仏具が揃うまで都に留まり、じっくり見回して選ぶようにと告げ、その真意に気付いた景時は承知する。 政子は時政に、義経の伊予守任官は法皇に取り込まれた形ながら、義経の鎌倉への抗うという意思、頼朝もそれを解っている、それ故の景時の上洛だと話す。 景時が都に入ったのは9月初めのことだった。 忠信は義経に、景時が上洛の挨拶をしに訪れたと報せる。 それを知った次郎は追い返すべきと憤り、三郎はたった今自分が討ち取ると息巻く。 しかし、義経は弁慶たちに景時と会うと告げる。 景時は義経に、仏具を求めに上洛した挨拶をする。 そこに現れた萌と2人きりになった景時は、萌の父の河越氏からの「何か障りがあれば東国に戻るも良し」という言伝を伝えるが、萌はそのつもりはないと答える。 庭で太刀を振る義経の前に現れた萌は、自分はどうすれば良いかと尋ねる。 義経の元を去らねばならないのかという萌の問いに、それには及ばぬと優しい言葉をかける義経。 それから数日後、義経の屋敷を行家(大杉漣)が訪れる。 行家は義経が頼朝に対して弓を引く時の支えになりたい、頼朝は義経を鎌倉に仇名す者と見て景時に義経と法皇の動向を窺わせている、頼朝を討伐するべきと告げる。 義経は自分には鎌倉への謀反の心はない、ただ頼朝の目指す国とは違う自分なりの国を探す覚悟と答えるが、行家は鎌倉にとってそれは謀反と同じ、そのような存念ならば義経がどう思おうと鎌倉は義経を敵と見なしていると言い切る。 鎌倉は義経に何らかの矢を放ってくる、その時はどうするのかと行家に問われた義経は言葉に詰まる。 行家は義経が頼朝の討伐を決断するまで、何度でも説得に来ると告げる。 行家の度重なる動きは、すぐさま鎌倉へともたらされた。 時政は行家と義経が結託することを危惧し、義時(木村昇)は義経を討つべきだと主張する。 しかし、広元は鎌倉から兵は出せない、法皇から伊予守に任じられた義経に兵を向ければ逆賊になってしまうと告げる。 兵を出さずに義経を討つ手立てはあるのかという善信(五代高之)の言葉に、時政は必ず手はある筈だと答える。 1人で海を見る頼朝の前に、政子が現れる。 一途な者ほど怖い者はないと弱気になる頼朝に、政子は義経を生かしていてはならない、ここで打つ手を誤れば全ては水泡と帰す、義経のことは全て自分に任せてくれるよう告げる。 義経の気掛かりは、10月になっても都に留まっていた景時のことだった。 仏具を買い求めに上洛した景時が未だに都に留まっているのは、事に備えているのではと告げる弁慶。 そして、義経の知らないところでは、密かに何かが動き始めていた。 |
2005年10月30日放送 第四十三回「堀川夜討」(演出:大杉太郎) 法皇(平幹二朗)に召し出された義経(滝沢秀明)に知康(草刈正雄)は、義経に与えられた伊予国に頼朝(中井貴一)が地頭を置き支配下に置いたことを報せる。 伊予国が義経の思い通りにならなくなったことに同情した法皇は、他の領地を与えると義経に告げる。 頼朝と政子(財前直見)は伊予国を失った義経の反撃を案じるが、時政(小林稔侍)は刺客が都に向かったので大丈夫だと答える。 京・六条堀川。 夜、義経の館の側を通りかかった朱雀の翁(梅津栄)と烏丸(高橋耕次郎)は、屋敷の様子を窺う不審な男たちを見つける。 検非違使である義経の屋敷を狙っているのなら都の盗賊ではないと言う烏丸に、男たちの後をつけるよう命じる朱雀の翁。 お徳(白石加代子)の家を訪れた弁慶(松平健)は、お徳と烏丸から不審な男たちが三条の寺に入った、東国から来た10人ばかりの者達がその寺を宿にし、その中に土佐坊昌俊(六平直政)という者がいたと聞く。 弁慶は土佐坊昌俊と会うために、その寺を訪ねる。 現れた昌俊と弁慶は旧知の仲で、昌俊は主である渋谷重国の代参で熊野に詣でるために来たと告げる。 弁慶は熊野へ海沿いに行くのなら熊野別当の湛増(原田芳雄)に文を渡してほしいと話すが、昌俊は吉野から山道を行くと答える。 ならば本宮の宮司に言伝をと言う弁慶に、昌俊は弁慶が何故熊野に拘るのかと不審がる。 今夜文を届けると告げる弁慶に、承知したと答える昌俊。 堀川館に戻った弁慶は、義経に呼び止められるが何も答えず、三郎(南原清隆)たちに昌俊の様子がおかしいと話す。 次郎(うじきつよし)は景時(中尾彬)が都に来たことと係わりがあるかもしれないと話すが、弁慶はそれは解らないが昌俊の様子が気に掛かる、用心するに越したことはないと告げる。 用心といえば正室の萌(尾野真千子)はと問う義久(長谷川朝晴)に、先日景時が萌を訪ねたしと答える次郎。 弁慶は今夜昌俊に会いに行くと話し、忠信(海東健)も共に行くと申し出る。 残った自分たちは館の警護をと告げる三郎。 弁慶は、このことは仔細が解るまで義経には内密にしようと三郎たちに告げる。 庭を眺める義経に萌が声をかけ、郎党たちが自分の言動を窺っている気がすると話す。 自分に不審があるなら直に問うことを求める萌に、そのようなことはないと答える義経。 昌俊が都に来ているという報告を受けた行家(大杉漣)は、昌俊が鎌倉の放った刺客だと気付く。 行家は、頼朝の腹の内を義経に身に染みて解ってもらわねばと言い、家来に堀川の館から目を離すなと命じる。 その夜、義経は静(石原さとみ)に、弁慶らが萌を窺うなど密かに動いているらしいと話す。 静は、弁慶たちは義経のために動いているはず、疑わないようにと告げる。 義経は戦のない新しき国のことを静に語るが、それは容易く敵うものではないことを郎党に言わず、そのまま従わせていることは郎党を騙しているのではと胸の内を明かす。 静は義経に、弁慶たちは義経の思いに自分たちの思いを重ねている、困難など承知の上と答える。 昌俊の逗留する寺を訪れた弁慶と忠信は、昌俊たちが寺を引き払ったことに気付き、慌てて堀川館へ向かう。 堀川館では、義経が静を相手に酒を飲んでいた。 夜も更けた頃、昌俊率いる一団が堀川館に現れる。 館では戦支度の三郎、次郎、喜三太(伊藤淳史)、義久が昌俊らの夜襲に備え、義経は転寝をしていた。 昌俊率いる一団の夜襲が始まり、三郎たちと目を覚ました義経は迎え撃つ。 静や萌も、薙刀を手に昌俊たちと対峙する。 そこへ戻ってきた弁慶と忠信が加勢し、武装した行家も家来と共に駈け付け、弁慶たちは昌俊たちを取り押さえる。 行家は、事ここに及んで決起しなければ武士として笑い者になると、義経に決起を促して引き上げる。 誰に命じられたかと昌俊を問い質す弁慶たちを、この者は言わないと制する義経。 昌俊は義経に、自分は何も言わないが恐らく察しているはずと告げ、義経たちは昌俊が頼朝の命を受けた刺客と気付く。 東国では義経を討つ者を内々に集めたが、誰も名乗りを上げなかった、義経を闇討ちするほど恨む者も憎む者もいなかった、自分は褒美の所領がほしかった、自分がどうなろうと年老いた母親に所領が与えられる、だから自分が引き受けたと話す昌俊。 義経の前に現れた弁慶たちは、隠密で動いたことを義経に詫びる。 昌俊の処罰を問われた義経は、昌俊を死罪にすると答える。 三郎は鎌倉の動向を心配するが、次郎は昌俊をどう処分しようが鎌倉側の意は変わらないと告げる。 義経も次郎に同意し、「ここは私の存念を頼朝に示すのみ」と言い切る。 義経は自らの手で、土佐坊昌俊を斬首した。 もはや、後戻りできない頼朝との決別であった。 そして、義経は法皇に頼朝追討の院宣をと願い出る。 こうして法皇は、義経と行家に対して、頼朝追討の院宣を下した。 頼朝と時政から、昌俊が義経襲撃を失敗し、義経自ら昌俊を斬首したことを聞かされる政子。 義経と行家に頼朝追討の院宣が下されたことを知った政子は、頼朝にどうするつもりか尋ねる。 頼朝は「もはやこれまで、九郎を討つ」と告げる。 頼朝は自ら兵を率い、鎌倉から出陣した。 義経の館を、吉次(市川左團次)とうつぼ(上戸彩)が訪れる。 義経が鎌倉と戦をすると知ったうつぼは、兄弟で争うなんて惨い、自分はもう誰も死ぬのを見たくないと告げる。 吉次は義経に、鎌倉の軍勢はおよそ10万、勝算がないのなら平泉の秀衡(高橋英樹)を頼るよう進言する。 義経は、この戦は自分と頼朝の新しき国を賭けた抜き差しならない戦だからと、秀衡に頼ることを断る。 義経は何か躊躇っているのではと弁慶に問われ、都を戦場にしなければならないことと答える。 都で迎え撃つことに驚く静に、弁慶は行家が兵を集めているが鎌倉の兵の数には及ばない、小勢なら狭い所に誘い出すのが肝心と説明する。 自分たちが熟知している都で敵を翻弄すれば勝機もある、しかし、戦になれば都を焼くことになり、家を失う者や巻き添えで命を失う者、肉親を失う童が出る、法皇やお徳など都の恩ある人々を彷徨わせることになると話す義経。 義経の前に現れた行家は、近隣の武士は皆頼朝を恐れ、義経たちに従う気配無しと報告する。 摂津の渡辺党や熊野の湛増も従わないと聞き、弁慶は湛増を説得しに行こうとする。 義経は弁慶を止め、1人で思案したいとその場を立ち去る。 法皇と丹後局(夏木マリ)は、義経に加勢するのは行家の兵300のみ、頼朝の兵は10万との報告を知康から受ける。 知康は頼朝が勝った場合、頼朝追討の院宣を下した法皇に対して頼朝がどう対するかと話し、丹後局は院宣を出すのを早まったと嘆く。 驚いた法皇は、「ここは慌てず思案じゃ」と呟く。 静の奏でる笛の音を聞きながら1人思案していた義経は、側に控えていた忠信に弁慶たちを呼ぶよう命じる。 席を外そうとする静を、静にも係わりのあることと呼び止める義経。 静と弁慶たちを前にした義経は、この度は一旦都を去る、戦で都を焼くわけにはいかないと告げる。 弁慶たちは、何処へでも義経に付き従うと答える。 都はすでに冬、義経はついに新たな旅立ちを決意したのだった。 |
(一部敬称略)
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