ストーリー
2005年11月6日放送 第四十四回「静よさらば」(演出:木村隆文) 義経(滝沢秀明)は行家(大杉漣)に都を去ると告げる。 都を戦火で巻き込まないためと話す義経に、自分たちは官軍、頼朝(中井貴一)を討つ好機と反論する行家。 都を出て戦えば良いと言う行家に、10万といわれる鎌倉勢を相手に近江のような広い場所では不利だと答える義経。 行家に都を去ってどこへ行くのかと問われた義経は、西国へ遣わせてもらいたいと法皇(平幹二朗)に願い出ていると答える。 承知できないと憤る行家だが、義経は自分たちだけでも都を去る覚悟と言い切る。 大軍を率いて鎌倉を出た頼朝は、駿河の黄瀬川近くに陣を敷いて都の動向を窺っていた。 和田義盛(高杉亘)、土肥実平(谷本一)はこの場所が5年前に義経と頼朝が初めて会った場所ということに気付き、頼朝も過ぎ行く歳月の無常さを感じていた。 法皇は都の荒廃を案じて戦を避ける義経を褒め、義経に地頭として九州、行家に四国に行くよう命じる。 知康(草刈正雄)は法皇の頼りは今でも義経と行家、西国で兵を募り力を蓄えて頼朝に備えるよう告げる。 義経は萌(尾野真千子)に鎌倉へ戻るよう告げる。 萌は義経に付き従う覚悟だったが、鎌倉に戻ると答える。 父から義経の様子を鎌倉に報せるよう言われていたが、自分は1人の女子として義経の側にいたと涙ながらに話す萌。 義経は解っていたと答え、萌も心穏やかに去ることができると告げる。 静(石原さとみ)は母の磯禅師(床嶋佳子)の元を訪れていた。 磯禅師は静に、自分のことは気にしなくても良いから義経の供をするよう告げる。 義経主従はこの夜、200騎余りを率いて堀川館を出た。 義経は法皇と丹後局(夏木マリ)の前に現れ、都を去る挨拶をする。 自分たちを西国に連れて行くために義経が現れたと危惧していた法皇と丹後局は、挨拶のみで義経が去り安堵する。 こうして都を出立した義経主従は、西国へ向かう船に乗り込むため摂津国大物浦に着いた。 行家は義経に、雲行きが怪しいので急ぐよう告げ、義経と別れ四国へ向かう。 義経主従は豊後国へと船を進めていた。 嵐の中、船を進める義経主従の前に、突如、知盛(阿部寛)の亡霊が現れる。 知盛の亡霊は西国の海は平家のもの、1人残らず海の底に引き摺り込むと告げ、船は操縦不能な状態となる。 義経は弁慶(松平健)に読経を命じ、弁慶の懸命の読経に苦しむ知盛の亡霊はついに姿を消す。 しかし、船は横波に襲われ転覆する。 黄瀬川の頼朝は、義経と行家が都を去り、西国へ向かったという報告を受ける。 義時(木村昇)はこのまま都に押し上ることを進言するが、義盛は鎌倉を空ければ奥州の秀衡(高橋英樹)が懸案と答え、頼朝は鎌倉に戻ると告げる。 船が転覆し海に投げ出された義経主従だが、義経と静と弁慶の3人は和泉の辺りに流れ着いていた。 義経が都を落ちるや否や、法皇は知康を鎌倉に遣わした。 頼朝は法皇が自分に対する追討の院宣を出した理由を問うが、知康は魔が差した、義経に強く迫られ仕方なく院宣を下したが法皇の頼りは頼朝と答える。 それならば頼朝追討の院宣は無効かと尋ねる広元(松尾貴史)に、「無論でござる。故にお上は九郎判官都を落ちたを見て、追討の院宣を下されたではござらぬか」と答える知康。 頼朝は法皇のことを日本一の大天狗と言い、義経と行家を追い捕らえることの許しを願い出る。 更に、広元と時政(小林稔侍)は、追捕のために国ごとに守護を置き、荘園ごとに地頭を置くことを認めるよう知康に迫る。 政子(財前直見)は頼朝と時政に、今回のことで自分たちの真の敵が法皇だと解ったと告げる。 頼朝は先程の申し出を拒めなくするために、時政に1000の兵を率いて都へ向かうことを命じる。 辺りの浜に忠信(海東健)たちを探しに行っていた弁慶が戻り、忠信たちの姿はなかった、法皇が義経追討の院宣を下したという噂を耳にしたと義経に話す。 驚いた義経は、直ちに都に立ち返ると告げる。 他の郎党のことが気掛かりではあったが、3人は再び都を目指した。 途中、追捕の兵と戦う義経たちの前に鬼一方眼(美輪明宏)が現れ、兵たちを追い払う。 師である方眼との再会を喜ぶ義経。 方眼は西の海の上に青白き亡霊が漂っているのを見て不吉な胸騒ぎを憶え、山を下りたところこの場にと話す。 都へ向かうと言う義経に、それはならない、都に義経の居場所はない、京の都に拘るな、他の土地で己の都を開け、逸れた他の郎党も自ずと集うと告げる方眼。 方眼は追っ手が来るから急ぎ立ち去るよう義経に告げ、弁慶に義経と静のことを頼む。 弁慶は命に代えてと答え、義経たちはその場を立ち去る。 道中で休憩する義経たちの前に、別の追捕の兵が現れる。 義経を捕らえようと兵たちが襲い掛かったその時、忠信、三郎(南原清隆)、次郎(うじきつよし)が現れ、兵たちに襲い掛かり追い払う。 忠信、三郎、次郎は、2日前に浜で船の残骸を見つけ、姿を隠すなら山中に違いないと思っていたと話す。 弁慶は喜三太(伊藤淳史)と義久(長谷川朝晴)のことを尋ねるが、忠信はしばらく浜で待ったがと答える。 静はきっと2人に会えると話し、義経もその時を待とうと告げる。 義経は都に戻って法皇に追討の院宣を覆してもらわなければ西国にも行けないと話し、弁慶は熊野詣の一行として吉野山の金峯山寺に向かうことを進言する。 義経主従が吉野の金峯山寺に入って、数日が経った。 旅の疲れか体調を崩している静を、義経と忠信は心配する。 麓の様子を見に行っていた三郎が戻り、追捕の兵が探し回っていると報告する。 三郎が自分たちが義経一行だと知った寺の出方を案じていると、弁慶が現れて寺の者たちの様子がおかしいと告げる。 そこへ、僧兵がこちらに向かっていると次郎が飛び込んで来る。 忠信、三郎、次郎が僧兵を迎え撃ち、義経、静、弁慶はその隙にお堂に逃げ込む。 暫くして、僧兵たちを巻いた忠信たちが合流する。 義経はもはや山は下りられないと告げ、弁慶にこの道の行き先を尋ねる。 弁慶は大台ケ原を通り熊野に抜けると答え、義経はその道しかないと告げる。 静を気遣った三郎は、その道は険しく、奥の大嶺山は雪で寒さもきついと話す。 静は自分はこの場に残る、皆の足手まといにはなれないと告げるが、義経はそれはできないと答え、三郎たちも頷く。 静は自分のことで義経の身を危うくさせてはならない、大事の前の小事と話す。 弁慶は静の分別に安堵した、大嶺山は女人禁制だと告げる。 義経は静に都の母の元に戻るよう告げ、忠信と次郎に静を送り届けるよう命じる。 義経は都へ向かう忠信と次郎に静のことを頼み、都に入った後は吉次(市川左團次)やお徳(白石加代子)を頼り、自分たちの報せを待つよう告げる。 義経は静に、これは一時の別れと告げ、静は手元に残った笛をお守りの代わりにと義経に渡す。 雪の中、静、忠信、次郎の3人は、義経たちに見送られて都へと向かう。 |
2005年11月13日放送 第四十五回「夢の行く先」(演出:木村隆文) 熊野を目指す義経(滝沢秀明)、弁慶(松平健)、三郎(南原清隆)の3人は、大嶺山に差しかかっていた。 季節は秋から冬へと移る頃、義経たちの行く手を遮るかのように、山中は身を切るような寒さに包まれていた。 三郎は吉野で別れて都へ向かった静(石原さとみ)と忠信(海東健)と次郎(うじきつよし)のことを案じるが、弁慶は今頃は山を下りている告げる。 一方、静一行は道案内の雑色を雇い、都を目指していた。 山道を下る一行の前に、突然、追捕の兵たちが現れる。 忠信たちを怪しんだ兵たちは捕らえようと襲い掛かり、忠信と次郎は応戦するが、静が兵たちに連れて行かれてしまう。 忠信は、後を次郎に任せて静の後を追うが、足を滑らし崖から転落する。 お堂で休息していた義経たちは、僧兵に取り囲まれる。 僧兵は麓では女子連れの者も追われていると告げて義経たちに襲い掛かるが、3人は応戦してその場を逃げ去る。 三郎は静たちのことを心配して麓に探りに行こうとするが、義経と弁慶は三郎を制し、3人は先を急ぐ。 その頃、鎌倉では大きな節目が訪れていた。 義経反逆の折に法皇(平幹二朗)に守護と地頭を据え置く勅許を得た頼朝(中井貴一)は、御家人を前にして、鎌倉に逆らった公卿全てを解官させると告げる。 「これからはこの鎌倉の武士が名実共に要となり、この国を動かしていく。これぞまさしく天下の草創」という頼朝の言葉に、満足気に頷く政子(財前直見)。 その頼朝の意を受けて都に入っていた時政(小林稔侍)は、1000騎の武力に物を言わせ、鎌倉方の激しい要求を法皇に押し付けていた。 時政は知康(草刈正雄)の解官を告げ、鎌倉の知行国に義経に与えた豊後国も加えるよう要求する。 法皇は憤るが、知康はのらりくらり対応して日を重ねるよう進言する。 義経を頼むしかないと話す法皇に、丹後局(夏木マリ)は方々の寺社に義経を匿うように文を遣わすことを進言し、知康はそのように取り計らうと告げる。 文治2年(1186年)。 年が明け、大嶺山を抜けた義経たちは熊野山中にいた。 義経たちは弁慶の旧知の間柄であった僧侶を頼り、小さなお堂に留まっていた。 弁慶と三郎は、熊野本宮の僧に聞いたが静たちの消息は届いていない、諸国の寺社に法皇から義経を匿うようにという通達があったと義経に報告する。 義経は法皇が自分を見放してはいなかったと喜び、都に向かうと告げる。 法皇に追討の院宣を取り下げてくれるよう願い出ると言う義経に、都に入れば静たちの様子も解ると弁慶は同意するが、三郎は都には時政の軍勢がいると都入りを反対する。 義経はこのままでは追捕の兵に追われ続ける、何としても都に入り法皇に目通りしなければならないと話し、弁慶と三郎は頷く。 京の都を目指した義経たちは、追捕の兵を逃れ、伊勢から伊賀の山中を抜けようやく近江へと辿り着いた。 しかし、都には入れず、春になっても近江の寺で息を詰めたように留まることになった。 義経から法皇に宛てた文を、寺の別当に届けてもらうよう頼んだと報告する弁慶。 そこに三郎が戻り、同時にうつぼ(上戸彩)が義経と弁慶の前に現れる。 続いて喜三太(伊藤淳史)と義久(長谷川朝晴)が現れ、義経たちは再会を喜ぶ。 2人はお徳(白石加代子)のところに現れ、その後喜三太は朱雀の翁(梅津栄)の元に、義久は丹波の妹の元にいた。 静たちが見つからないことを案ずる喜三太たちに、静のことは吉次(市川左團次)、お徳、朱雀の翁が手を尽くして探していると告げるうつぼ。 法皇は義経からの文を受け取る。 丹後局は、義経に近付いたことを知った鎌倉の所業を案じ、今は動かないことを法皇に進言する。 法皇も頷き、義経には今しばらく逃げ回ってもらおうと告げる。 物見から戻った喜三太は、静が六波羅の鎌倉方の屋敷に捕らわれていると報告する。 捕らえられたが静が無事と解り、喜ぶ弁慶たち。 忠信と次郎の消息を尋ねられた喜三太は解らないと答えるが、三郎は2人は必ず生きていると告げる。 六波羅・北条時政の館。 静は時政から義経の居場所を問われるが知らないと答え、逆に時政に義経の消息を尋ねる。 「聞いたことに答えよ」と時政が憤ったことで、義経がまだ鎌倉に捕らわれていないことを知る静。 政子は頼朝に、法皇が義経の逃亡を裏で助けているのではと話す。 頼朝は謀反人を匿えばどうなるか解らせるために、公卿や寺に更なる締め付けを加えると告げる。 その頼朝の意はすぐに功を奏し、和泉国に潜んでいた行家(大杉漣)の元に追捕の手が及んだ。 義経は行家が捕らえられたという報告を受ける。 弁慶や喜三太は寺の僧の様子がおかしいと告げ、義経は文が法皇に届いているのかと案じる。 そこへ三郎が現れ、一刻も早くこの寺を出るよう進言する。 行き先を問われた三郎は「京の都・三条」と答え、義経は頷く。 義経たちは、吉次が用意した京・三条の隠れ家に入る。 そこに、うつぼに連れられた次郎が現れる。 うつぼは、3日前にお徳の前に次郎が現れたと話し、次郎は泣きながら平伏する。 静を護れなかったことを詫びる次郎は切腹しようとするが、三郎たちに止められる。 義経はどんな罰でも受けると言う次郎に、これからも自分に付き従うよう言い渡す。 苦労をかけたという義経の言葉に、泣き崩れる次郎。 行家は和泉国から六波羅の時政の館に送られて来た。 時政と対峙した行家は、義経は西国に向かう船から落ちた自分を助けもせず姿を消した、鎌倉追討の院宣を強く望んだのは義経、自分は仕方なく義経に従っただけ、このことを頼朝に直に申し開きたいと話す。 時政は、頼朝の言伝として「源氏の武士ならば、往生際を潔く」と告げる。 行家は「源氏は頼朝1人のものではない、いずれ災いは頼朝にも降りかかる」と叫ぶ。 そして、行家は斬首される。 義経の叔父・源行家は、こうしてその波乱に満ちたの生涯を閉じたのだった。 行家斬首を知った頼朝は行家を哀れむが、政子は自業自得と告げる。 これで義経は1人になったと話す頼朝に、政子は静を鎌倉に呼ぶことを進言する。 物見から戻った弁慶たちは、忠信の消息、静の様子や御所の様子も解らないと報告する。 この先を憂う義経は、ふと置いてある屏風に気付き、喜三太に屏風を広げさせる。 その屏風は、福原が描かれた清盛(渡哲也)の屏風だった。 義経は弁慶たちに屏風と清盛の夢の都のこと、自分の探す夢の都のことを話し、そのためには拠り所を定めなければならないと話す。 そこに現れたうつぼは、屏風を見て「平泉だ」と告げる。 次郎は平泉ではなく福原だと答えるが、うつぼは平泉もこのように穏やかだったと話す。 弁慶や三郎も確かにと同意し、義経は新しき国の手本は平泉にあるのかもしれないと告げる。 吉次は義経に平泉に行くことを勧め、義経も皆で平泉に行くことを決意する。 喜三太は、静を救い出して共に平泉にと進言する。 孤児の自分にとって義経は父で静が母、弁慶たちが兄弟、だから静を救い出し皆で平泉へという喜三太の言葉に、同意するうつぼ。 義経は弁慶たちに、静を救い出し共に平泉に行く、平泉を足がかりに必ず自分たちの新しき国を作ると告げる。 |
(一部敬称略)
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