旬の八千代市(文化を追って)

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11月    
文化の日(11月3日)
 国民の祝日の一つで、昭和23年(1948年)に制定された国民の祝日に関する法律によって文化の日とされ、「自由と平和を愛し、文化を薦める」祭日と定められた。これは、昭和21年(1946年)のこの日に、戦争放棄・主権在民・基本的人権を宣言した新憲法が公布されたが、これを記念して平和への意思を基盤とする文化を発展、拡大させようというのがその趣旨である。
 以前、この日は明治節と呼ばれる明治天皇の誕生日であったが、文化の日は明治節とは関係なく定められた。この日は文化の発展に功労のあった人々に文化勲章が授与され、また文化功労者および各種褒章の受賞者の伝達式などが行われる。
 文化勲章は昭和12年(1937年)に制定され、紀元節(2月11日)、天長節(4月29日)などに表彰式が行われてきたが、戦後の昭和23年以降は、11月3日の文化の日に贈られることになった。
     
やちよ市民活動サポートセンター祭り(ふれあい祭り)<2004.11.3>
  本年7月より、各市民活動団体のメンバーの方々と実行委員会を立ち上げ、本日このお祭りを開催する運びとなりました。私たちは、多くの市民の皆さんに、もっと自分たちの活動を知っていただこう! この祭りを通して各団体同士の交流を図り、より良い活動に結び付けていこう! そして多くの市民の皆さんに参加していただき、八千代の未来につながるような一歩としよう!などを目標に掲げています。
  環境・福祉・こども・まちづくり・文化・スポーツなど、さまざまな活動内容をご紹介いたします。時間の許す限りお楽しみいただければと思います。
<やちよ市民活動サポートセンター祭り実行委員会長 津川康二>パンフより
という訳で今年よりスタートのまつり:大きく育ち八千代文化の交流の場となってほしい。
ーーーアルバムは「
八千代のお祭り」に載せる予定ですーーーー
 
市民文化祭:各地の「公民館まつり」を掲載する予定であったが今年は取材に行けなかった。
  開催日時等については「八千代のお祭り」を参照。    
     
源右衛門際(11月7日)
  
源右衛門際の起源等については、八千代のお祭り」を参照してほしい。
  今年の源右衛門際の特長は10月16日に開かれた『どーんと祭り』の八千代鍋グランプリで優勝した『八千代発展鍋(勝田代発展グルメの会出展)』が用意されることです。アサリとシャケなどのたっぷりの具と隠し味のバターが、八千代の青果物栽培面積第1・2位のほうれん草とにんじんに溶け込んでやちよの味を充分に出しているそうです。
この八千代鍋グランプリは山形県の芋子汁や山梨県のほうとう鍋に負けない八千代市の鍋を作ろうと「やちよ鍋の会」・「まちお輿委員会」「八千代商工会議所」等が仕掛けたとのことです。この八千代発展鍋」は今後「やちよ
鍋の会」の加盟店でメニュー化する予定もあるらしい。
  新川開削の祖、染谷源右衛門を受け継ぎ、八千代市の象徴「新川」をもっとキレイに!もっと楽しく!と毎年行われているのが源右衛門際です。会場は村上橋,浅間下駐車場で10時集合、全員で新川土手の清掃ボランティアを行ったあと、皆んなでたのしく鍋を頂くことになります。一杯100円とのことです。雨天決行。<写真提供:山室氏(萱田)>
 
七・五・三
 もともとは、公家や武家社会で行われていた「髪置」(かみおき)「袴着」(はかまぎ)「帯解」(おびとき)という3っのお祝いが 「七・五・三」の原形だと言われています。
 「髪置」は生まれてから剃っていた髪を伸ばし始める儀式の事で男女とも三歳になった時のお祝いでした。また「袴着」は、男の子の五歳の時のお祝いで、この時初めて袴を着けさせるお祝いでした。最後に「帯解」は、女の子のお祝いで、着物のつけひもを取って帯を初めて締める儀式でした。
 これらの儀式が 一般の庶民に広まり、神社に詣でるという形に江戸時代からなってきて子供の成長をお祝いするという 現代の「七・五・三」となった言われています。写真は「七百余所神社の7・5・3用のポスター」
     
勤労感謝の日
  勤労を尊び、生産の豊かなことを祝い、国民が互いに感謝しあう日という趣旨により昭和23年(1948年)に「勤労感謝の日」が制定された。何故、11月23日が勤労感謝の日か調べて見ると、この日は、それ以前(明治6年、1873年以降)、新嘗祭と呼ばれる祝日であり、その年の新穀を天皇が宮中で神殿に供え、感謝すると共に、ご自身で食されるという儀式であったが、国内の神社もこれに習い、民間でも農耕儀礼の一つとして重要な祭事であった。昔は、11月の卯の日に行われていたが、太陽暦になってから23日となった。新嘗祭のもう一つの大切な目的は、翌年に備え、大事な種子を取ることの儀式として行われたとのことです。

12月
     
     

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