旬の八千代市(文化を追って)

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9月    
二百十日
 立春から数えて二百十日目のことで、九月初めにあたります。このころが台風襲来の時期であるため、被害の経験も多く、農家の厄日となっています。それを避けるため、「荒れ除け信心」といって地区ごとに各々の鎮守に集まり、太鼓をたたき、ご祈祷をしました。八千代市内には、この日に勝田で獅子舞が行われます。昨年(平成15年)から9月の第1週の日曜日に変更されました。荒れる風に蓋をして、災害を避けようとの願いがこめられた習俗であろうか。 獅子舞の模様は『勝田の獅子舞』を参照されたい。
     
勝田と佐山の獅子舞
<勝田の獅子舞>毎年210日にあたる9月1日に勝田の円福寺と駒形神社で舞われましたが、近年第1日曜日に変更しました。写真は八千代の文化財(八千代市教育委員会第8版)より。<佐山の獅子舞>毎年9月23日に佐山の熱田神社と妙福寺で舞われます。写真は平成14年9月23日撮影。くわしくはここをクリック
 
敬老の日(今年は20日)
 敬老の日は、兵庫県多可郡野間谷村(現在の八千代町)の門脇政夫村長が提唱した「としよりの日」が始まりです。「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」と、1947年から、農閑期に当り気候も良い9月中旬の15日を「としよりの日」と定め、敬老会を開いたところが、1950年からは兵庫県全体で行われるようになり、後に全国に広がりました。「としより」という呼び方はひどいということで、1964年に「老人の日」と改称され、1966年に国民の祝日「敬老の日」に制定されました。
 国民の祝日に関する法律(祝日法)では「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨としています。元々は
9月15日だったが、2001年の祝日法改正(ハッピーマンデー制度の適用)によって、2003年からは9月第3月曜日となりました。
 なお、聖徳太子が四天王寺に悲田院を建立した日であるとか、元正天皇が養老の滝に御幸した日であるとかいう俗説もあるが、どちらも定かかではありません。
     
秋分の日   おはぎとぼたもちの違い」はこちら
 春分の日と同様に、昼と夜の長さが等しくなる日ですが、春分の日よりも昼の平均気温は10度程高く、まだ夏が残っている感じのする時期です。この日を中心とした一週間《秋分(春分)の3日前の日を「彼岸の入り」といい、3日後を「彼岸の明け」と言い、その7日間を彼岸と言います。春分・秋分はその中間に位置するので「彼岸の中日」と呼ばれています》を「秋彼岸」と言います。そのため各家々では、家族そろってお墓参りに行ったり、祖先を供養する「法会〔ほうえ〕」が行われたりします。
 元々、農村部では、春分の頃に豊作を祈り、秋分の頃に豊作を祝う自然信仰があり、山の神様である祖先の霊を春分以前に山から里に迎え、秋分以降に里から山へ送る儀式がありました。
しかし、仏教の浸透とともに、秋分は「秋の彼岸」として祖先を供養するようになっていきました。その後、明治時代に秋分の中日を「秋季皇霊祭」と定め、宮中において祖先をまつる日となったのをきっかけとして、一般市民の間でもそのように定着していきました。
 1948年に、お寺参りの日・先祖供養の日など、宗教的慣例としてのまつりの日としてだけではなく、広い意味での祖先を敬い、亡くなった人を忍ぶ日として国民の休日に制定されました。
 
佐山の獅子舞はこの日に行われますので「ヒガンジシ」とも呼ばれています。

10月
七百余所神社例祭(10月9日)    
 村上宮内の七百余所神社は鎌倉時代後期の創建と伝えられ、ここの森は縄文時代前の姿を思わせ極相林と呼ばれる森林の極限に近い存在だという。古代村上を覆っていたうっそうとした森には神々が多く存在していたとされ、村神と称した。八百万神ではおこまがしいが七百余所に神々は存在すると、神社名称が起こったと伝えられている。
 神楽の起源は天照大神が天の岩戸に隠れた時、外へ出そうと天鈿女命(あめのうずめのみこと)が神がかりに踊った故事とされる。神楽では「うずめ舞」と「湯巫女の舞」とのこと。(地域新聞10月1日号より抜粋したが、くわしくは「八千代のお祭り」のホームページに掲載することとしたい。少々時間を戴く。写真は平成15年10月9日に撮影したもの。「
八千代のお祭り」クイックでへワープします。
     
体育の日(10月11日)    
 以前は10月10日、今は10月の第2月曜日が「体育の日」として祝日になっています。体育の日が制定されたのは昭和41年です。昭和39年に日本で初めて開かれた「東京オリンピック」の開会式がおこなわれた日を記念して制定されました。
 なぜオリンピックの開会式が
10月10日になったのでしょうか?実は日本の観測史上いちばん晴れる確立が高い日が選ばれたのです。
 体育の日にもっともよく行われている行事が「運動会」でしょう。オリンピックというスポーツの祭典を記念しての祝日ですし、スポーツの秋と言われる季節でもあり、体育の日にちなんで行われているのでしょう。
 さて、この「運動会」なるものは、一体いつの頃から始まったのでしょうか。 運動会という行事は、文明開化の時に西洋から持ち込まれたもののようです。日本で初めて行われた運動会は、明治7年海軍兵学寮で行われたものだと言われています。この時のプログラムの中には、現代の運動会の競技に通じるようなものがありましたが、この後運動会は軍事的性格を持ち
団体訓練をする場として運動会が利用されるようになったのです。 が、現在では国民の健康増進や地域コミニュティ増進に大いに利用されて健全に文化として育っております。
 
2004.10.10の江戸川区民祭りの山形県長井市草岡の「黒獅子舞保存会」の皆さんの獅子舞を撮影してきました。八千代市保存会の皆さんの獅子舞と比較して文化を考えてみましょう。おりしも2004年の10月10日は9日の関東上陸台風では最大級の22号に見舞われ、11日の体育の日は雨にも関わらず、台風一家とはいかなかったものの10月10日は雨は降らないの伝説を見事に守りました。不思議です。
     

江戸川区民祭りの山形県長井市草岡の「黒獅子舞保存会」の皆さんの獅子舞

     
どんーと祭り(10月16日・17日)    

 「八千代どーんと祭は」、平成12年まで開催されていた「産業まつり」と「土と緑の祭典」が統合され装いを新たにし、市・農協・商工会議所が中心となって開催しています。
 市内の商工業、農業の紹介や展示即売などを行うことで、企業と消費者の相互理解を深め、産業の振興と豊かな生活、文化の創造に役立てることが目的です。
 昨年は、市内各企業・団体の出展、野菜の即売、などのほか、特典付きカラーボール投げ、キャラクターショー、ものまねショー、ライブステージ、ビンゴゲーム大会など、また市民参加のフリーマーケットなどが行われ多くの人でにぎわっていました。(文・カットとも八千代商工会議所HPより複写)
≪上記カットをクイックで商工会議所ホームページへ、
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